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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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山のむらでの稲つくり14年 (2)

 稲作は、稲が水田でどのように生育するか、1年1年、観察して確認することから始まった。田植の際、前田の畦畔際に1本植えの稲葉齢・分げつ調査株を5株~10株植え、この稲を田植から収穫まで2日毎に葉齢・分げつの調査を毎年繰り返した。
 有効分げつは第7号分げつ(第10葉出葉)までと想定でき、安心した分げつが出芽するのが第4号分げつから第7号分げつであると判断した。
 栽植密度を15cm×30cm、72株/3.3㎡で田植することでえられる実際の水田での穂数の確認等から、経験的に想定できる予測収量を
 1株の穂数×1穂籾数×登熟歩合×千粒重=収量・・・500㎏/10a
として、田植以降の生育管理を可能な限り綿密に行なってきた。
 現実には、田植、収穫作業を委託としたため計画通りには進まない面が多々あったが、1990年から1995年の稲作経過を検討して稲作技術設定を行なった。それは、次のような設定である。

1. 田植 5月15日
2. 栽植密度 30×15㎝ 22株/㎡ (72株/3.3㎡)
3. 有効分げつ 第4号~第7号分げつ(第7葉~第10葉出葉期)
  6月2日~6月20日
4. 中干し期 葉齢指数 92まで 主稈出葉9.1葉~11.5葉
 6月20日~7月10日
5. 幼穂形成期 第1次枝梗分化期(第11葉出葉期)
 6月27日
6. 出穂期 8月1日
7. 刈り取り 9月20日

 「自然の循環系の中の稲作」を目指して「無農薬・無除草剤」稲作を始めたが、除草、特に稗にはてこずった。しかし、水田の生態環境はよくなったようで1996年の奥田の水田に大量の蛍が乱舞した。水田一面に宝石を鏤めたように乱舞する様には感動させられた。
 しかし、問題は稗である。中耕除草機を掛けると生育初期の稲は株が浮いてしまい根を傷め、一方、田面の耕土反転で新たに稗が発芽するという悪循環の繰り返しで、どうしても物理的に稗を取りきれず、残った稗種で年々稗の発生が増加してきた。6年を経過して遂に稗の軍門に降らざるを得ず1996年から除草剤を使用した。
 こうした中で、田植から出穂までの約75日間、1日の休みもなく稲の管理を行なうのである。日課は朝の水入れから始まって生育に合わせた日々の仕事がある。
 水田管理の中の大きな作業が畦畔の草刈である。畦畔率33%という棚田での稲作期の間の最低3回の草刈は、高齢者百姓にはキツイ作業であるが、稲への通風性と病害虫防除、収穫作業等から必須作業である。70歳を過ぎてからは、この作業がキツクなってシルバー人材センターのお世話になることが多くなった。

小松展之
『あわくら通信』第35号(2009.10.10発行)より転載
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山のむらでの稲つくり14年 (1)

 このむらで百姓として稲を作るにあたって「自然の循環系の中の農業生産」と位置付けて出発した。然しながら、具体的な設計もプログラムも持ち合わせてはいなかった。ただ、「無農薬・無除草剤」が条件であった。
 既に触れたように知識としての稲作技術は十分に持ち合わせている自覚はあった。この知識としての稲作技術の実証が当面の稲作の課題でもある。この課題がどのように具体的に現れたか見てみよう。
 稲籾を播き、苗を作って田植、収穫そして収穫した米を食べる。この作業の終点は米の収量である。
 (「稲作収量の経過」の表は省略)
 こうした収量の経過を見ると、中々一筋縄にはいっていない。稲作の経験が年を追って生きているとは言えない。1990年からの3ヶ年と2001年からの3ヶ年の収量で見る限り何の成長も見られない。これが、山村の稲つくりであろう。
 収量を規制しているものは、まず天候と病害虫被害、さらに1998年頃からの猪の被害である。最終的には奥田での稲作の放棄になった。前田だけに限ってみると、病害虫被害はあったが、収量は安定的であった。
 我が家では稲つくり、大型機械を使う作業は全て委託したため、手仕事と管理である。まず、苗から始まる。育苗箱の土入れから種籾の塩水選・浸種・催芽・播種・出芽加温までは手順通りで、問題は加温機の温度管理と搬出時期の判断である。
 加温機にはサーモスタットが設備してあるが、調整が微妙で適温で発芽を斉一にして搬出時に望ましい芽長にしなければ、ハウスでの育苗管理に影響する。
 健苗育成に拘ったが、田植機で田植をしてみると、一定の苗長がないと水田で苗が水に沈んでしまう結果になった。何年かの育苗体験から平均的は稲苗の姿を設定した。
 (「平均的な稲苗の姿(1990~1996年)」の表は省略)

小松展之
『あわくら通信』第35号(2009.10.10発行)より転載

小さな苗木

 去年5月末に福岡市の山にある<大杉栄・伊藤野枝の墓石だった巨石=ルイさんの石>を見に行きました。その時、石のすぐそばにあった芽生えたばかりの雑木の小さな苗を掘り起こして持って帰りました。
 帰ってすぐに、素焼きの植木鉢に植えてせっせと水やりをしました。秋になると葉を落とし、マッチ棒状になり、それも枯れてしまったように見えました。あ~あ、やっぱりダメだったか…。なにしろ、ゴムの木だって、サボテンだって枯らしてしまった過去の実績を持つ私です。すっかり、あきらめていました。
 ところがどっこい、ルイさんの石はルイさんの意志と同じに強くて、その石の強さが、傍らに芽吹いた雑木にも受け継がれていたかのように、春の日差しを受けると、小さな若芽を吹いたのです。
 ルイさんが「おひさしぶり!」と言っているみたいで、うれしい!
 ルイさん、枯らさないようにちゃんと水やりするからね。きっと大きな木に育ってよ。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.34(2011.4.27発行)より転載

原発なしでも、暮らせます

 原発が危険で制御不能になる代物だということを連日見せ付けられながら、それでも「原発なしには暮らせない」と、政治家もマスコミも御用学者も言い続けています。これこそ最大の「デマ」です。火力・水力発電でも、今ある設備を全部稼働させれば十分に電力は供給できます。例えば豊前火力発電所など、1年に十数日しか稼働していません。最初からそうなのです。原発の補助としてしか使っていないのです。「何が何でも原発ありき」なのです。そこには我々には思いもよらない利権や思惑が隠され、そういうもので「国の方針」が決定され、我々の税金も命も吸い込まれているのです。
 「原発がなければ、こうして毎日、停電になったりするんだぞ」と国民を恫喝し、マインドコントロールするための「計画停電」に踊らされることなく、「原発なしで、暮らしたい」と声を上げましょう。もし、電力が不足したら、まかなえる電力にみあった暮らし方をすればいいのです。
 一晩中、こうこうと明かりをつけ、大きな音を出し続けて人々を享楽へ誘う繁華街。3交代で機械も人も休ませないで生産を続ける工場群。季節外れの農作物を生産するためのハウスの電光と保温。金儲けのために次々と生み出されたシステムやモノや「場」を点検して取捨選択することで、我々の暮らしはずっとシンプルで穏やかで安全なものになるでしょう。
 菅総理がこんな事態でも「原発は必要」と言い続ける理由の一つに、CO2削減目標25%というのがあるらしいけれど、CO2を削減しても、世界中に放射能を撒き散らしたらもっと迷惑です。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.33(2011.3.31発行)より転載

稲作条件

 稲を作るということは、苗を作る、田を耕起する、田植をする、生育管理する、稲刈する、乾燥調整・籾摺する、精米することである。こうして初めて米・御飯として食べられるのである。
 自産・自消はこれらの稲作工程を全て自前で行なうことになる。残念ながら、僅か20aの水田を自作しようとする私には不可能である。
 今の稲つくりにはそれなりの道具立てが必要である。苗つくりの播種機・加温出芽機・育苗ハウスに始まって、耕耘・代掻き・田植にトラックター・田植機、刈り取りにコンバインハーベスター、乾燥調整に穀物乾燥調整機そして籾摺調整機である。これらを整備するには1,000万円以上の資金を必要とする。
 実際には 1)共同作業、2)委託作業、3)自律作業の3種の作業の組み合わせで稲作を行なった。
(1) 共同作業 このむらで百姓を始める1990年2月、隣人との話の中で苗つくりを共同作業で行なうことになった。彼は元教師で定年後に百姓専業になったが稲作については「隣百姓」であった。
 稲作に必要な機械類一式は設備していたので苗作り機材は共同で使うこととし、私が、苗つくりの技術は知識として提供することとした。1990年から1998年まで続けた、1999年は統一地方選挙があり選挙管理委員長であったため共同作業が出来ず、農協育苗センターから購入した。以後購入苗を使うことになった。
(2) 委託作業 耕耘から収穫調整にいたる大型機械は設備不可能、筏津農作業組合に全面委託作業とした。実際的には、細かい作業調整が出来ないため作業時期(田植期・刈り取り期)、田植作業(栽植密度・田植精度)、刈り取り作業に不十分な点がでた。
(3) 自律作業 大型の機械・施設の必要とする分野は共同、委託作業としたなかでの稲作は、自律的に出来る稲作は生育管理であった。
 育苗・田植から出穂までの管理・出穂後管理である。

小松展之
『あわくら通信』第35号(2009.10.10発行)より転載

鳥日記 (2011.2)

 去年秋に横着していて菜園の春野菜準備が大幅に遅れました。キャベツやブロッコリーの苗を植えたのは11月に入ってから。冬が思いの外寒かったこともあり、まだ「苗が大きくなった」程度でキャベツも玉になっていないし、ブロッコリーの花芯も小指の先くらいのままです。その畑に2月になってから、ヒヨドリが襲いかかり、数日で全ての葉を食べつくしてスジだけにしてしまいました。あわてて寒冷紗を掛けたけど、葉っぱがなくっちゃ、この後の成長は望めないだろうなぁ、と気落ちしています。憎きヒヨドリめ!どうしてくれるんだよう。
 2月10日、中津市山国町の山国中学校に平和学習の講師として行きました。全校生徒65人の小さな学校です。
 授業が終わって帰る途中、あ、去年、鳥師匠三丸さんの案内でオシドリを見に来たのは確かこの辺りじゃなかったっけ?と思って車を停めて、下の川を覗いたら、うわぁっ、奇跡だよ、いるじゃないかよ!オシドリがいっぱい!
 感動、感激、至福の時間を過ごして、「山国中学での話、へたくそだったかなぁ」という後悔の念を洗い流してさらさらと忘れて家に帰りました。
 2月も終わり近くなって、最近、家の周辺が少し寂しくなり始めています。田んぼにいっぱい群れていたツグミがめっきり減りました。昨日まで毎日庭の木や車のミラーに止まって、ヒッヒッと鳴いて愛嬌を振りまいていたジョウビタキが今日は一度も姿を見ませんでした。
 そろそろ「渡り」が始まっているのでしょうか。あの、小さな翼を何万回も動かしてシベリアまで戻って行く小鳥たちの旅が無事であることを祈り、また秋に会える日を待ちます。
 旅の途中でハヤブサなんかに食われるんじゃないよ。
 昨日、今川河口に行ったけど、4羽越冬していたクロツラヘラサギはもう1羽もいませんでした。ウミウもカモ類もめっきり減っていました。この場所は秋までは本当にガランとして何もいなくなります。漁港近くなのでトンビは年中ぐるぐる飛んでいますがね。
 ところで、鹿児島県出水市のツルや大分県でオシドリなど、野鳥に鳥インフルエンザの発生が伝えられたけれど、あの出水市のツルのように密集して暮らしていても、野鳥の場合、大量死にはならないのですね。自然界の不思議というか・・・。
 最近、鳥の写真がくっきり撮れません。目に問題あり、です。眼科で「軽い白内障。更に緑内障を疑わせる所見あり」と言われました。がが~ん、ショックです。3月18日に検査です。単なる老眼の進行だと思っていたのに・・・。体は確実に老朽化しているんだわぁ。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.32(2011.2.28発行)より転載

あたまも老朽化

 一月末、北九州美術館に「伊藤若冲展」を観に行きました。結構不便な所にあるので車で行きます。今まで3回くらい自分で運転して行きました。しばらくぶりなので、念のため道路地図で事前に確認もしました。
 なのに、迷ってしまったのですよ。車を停めて何度も地図を見ました。「ほら、紫川に沿って下れば街に出るはずなのに、なんでどんどん田舎っぽくなって行くんだよ?」とイラつきながらよくよく見ると、川の上流に向かって進んでいるじゃないですか。
 結局、30分以上の時間とガソリンを無駄に使い、神経をすり減らし、腹をすかしてへろへろになって、やっと若冲にご対面です。
 今度、カー用品の安売り広告が入ったら、絶対、ナビを買うぞーっ!
 ところで、若冲ですが、軍鶏図の屏風、すごかったです。息を呑む迫力でした。
 実は、以前から油絵で鶏を描きたいと思っていたのです。でも、若冲の鶏を観てしまったら、ちょっと描けないなぁ、という気がしてたじろいでいます。若冲とは違う、若冲のマネでない鶏を描くことが出来るか?自分の鶏をどう描くか?
 凡庸な才能は天才の絵の呪縛に息絶え絶えです。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.32(2011.2.28発行)より転載

メイちゃんの俳句

 私がバイトに行っているY牧場の孫・メイちゃんは小学校1年生の女の子で、牛が大好きです。
 彼女の学校のある豊津に国分寺の三重塔があり、町のシンボルとして、毎年、祭りが開催されます。その国分寺祭りのイベントの一つに子どもの俳句コンクールがあります。「お題」は「お正月」でした。
 メイちゃんの句が教育長賞に選ばれました。
 「お正月 おなかがすいたと 牛が鳴く」という句です。
 正月と言えども、牛飼いは早朝から、いつもと同じ通りの仕事をしなければならないわけで、元旦くらい、ちょっと寝坊してもいいだろう・・・なんて思っても、牛たちはそんなことお構いなしにいつもの時間になれば「エサをくれーっ」と鳴くのです。
 そういう牛飼いの生活をよく表現していて、牛飼いの家族ならではの句だと感心。
 メイちゃんのママいわく、「来年は『お正月 乳を搾れと 牛が鳴く』にすればいいやん」
う~ん、妙案。そのテで行けば数年は使えるねぇ。「お正月 子が生まれると 牛が鳴く」とか、さ。
 とにかく、メイちゃん、おめでとう。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.32(2011.2.28発行)より転載

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
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