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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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山のむらでの稲つくり14年 (1)

 このむらで百姓として稲を作るにあたって「自然の循環系の中の農業生産」と位置付けて出発した。然しながら、具体的な設計もプログラムも持ち合わせてはいなかった。ただ、「無農薬・無除草剤」が条件であった。
 既に触れたように知識としての稲作技術は十分に持ち合わせている自覚はあった。この知識としての稲作技術の実証が当面の稲作の課題でもある。この課題がどのように具体的に現れたか見てみよう。
 稲籾を播き、苗を作って田植、収穫そして収穫した米を食べる。この作業の終点は米の収量である。
 (「稲作収量の経過」の表は省略)
 こうした収量の経過を見ると、中々一筋縄にはいっていない。稲作の経験が年を追って生きているとは言えない。1990年からの3ヶ年と2001年からの3ヶ年の収量で見る限り何の成長も見られない。これが、山村の稲つくりであろう。
 収量を規制しているものは、まず天候と病害虫被害、さらに1998年頃からの猪の被害である。最終的には奥田での稲作の放棄になった。前田だけに限ってみると、病害虫被害はあったが、収量は安定的であった。
 我が家では稲つくり、大型機械を使う作業は全て委託したため、手仕事と管理である。まず、苗から始まる。育苗箱の土入れから種籾の塩水選・浸種・催芽・播種・出芽加温までは手順通りで、問題は加温機の温度管理と搬出時期の判断である。
 加温機にはサーモスタットが設備してあるが、調整が微妙で適温で発芽を斉一にして搬出時に望ましい芽長にしなければ、ハウスでの育苗管理に影響する。
 健苗育成に拘ったが、田植機で田植をしてみると、一定の苗長がないと水田で苗が水に沈んでしまう結果になった。何年かの育苗体験から平均的は稲苗の姿を設定した。
 (「平均的な稲苗の姿(1990~1996年)」の表は省略)

小松展之
『あわくら通信』第35号(2009.10.10発行)より転載
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