農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
バラ満開
1年前は藪でした。小さな手鍬一本で、竹、クズ、ヤブガラシ、ギシギシなどの根を掘り、大きな石もたくさん掘り出し、半年かけて草一本ない畑にしました。
次女は薬剤師として岡山で働いていたのですが、うつを患って、いろいろあって家に連れ戻し、もう4年あまり引きこもり状態でした。去年の春、突然、「バラ園を造る」と開墾を始め、毎日、ほぼ一日中外で作業をするようになり、近所のおばさんたちとも親しく会話できるようになり、バラが咲き始めた5月、ついに就職しました。
祖母の最後を看取ったこともあって、ヘルパー2級の資格を取る気になり、4月に講座に通い、資格を取りました。しかし、就職となると薬剤師の経歴がけっこう重く、「なぜ、高給がとれるのに、薬剤師の仕事をしないのか」と不審がられたり、また、介護施設はどこも「夜勤」があって、「夜勤は無理」という次女の望むようなパート勤務は簡単に見つかりません。
そんな時、有光さんのお仲間の安部住職が理事長をされている犀川学園という知的障害者施設にお世話になることになり、「夜勤は無理」と言いつつ夜勤も何とかやっています。
毎日、帰宅するともうぐったりで、バラの手入れどころではなくなってしまったけれど、一ヶ月続いたので、ちょっと希望もてるかなぁ、とハラハラしながら話聞き役に徹しています。
バラの花がら摘みや消毒や草取りも娘に代わって私がやります。「仕事がザツ」と文句言われながらやっています。
満開のバラに囲まれて、道を通る近所の人たちに「きれいねえ」とか言われたりしたかったのだろうけど、でも、社会人として再出発できたことの方がどれだけ娘の人生にとって大事なことか、と思うのです。給料は薬剤師の頃の3分の1くらいだけど、でも、前を向いて歩いてくれれば、それだけでいい、と思うのです。
「バラ園」造りがとてもいいリハビリになったのだなぁと、炎天下でしゃがみこんで竹やクズの根と格闘していた去年の次女の姿を思い出しています。
ところで、老人介護施設や障がい者施設などの職員の仕事というのは、肉体的・精神的に本当に重労働なのに、給料が低すぎると思います。福祉国家とは名ばかりで、高速道路造ったり軍艦や戦闘機を買ったりする方に税金をつぎ込んで、福祉の現場で働く人たちは家族を養えないような低賃金のままです。彼らを支えているのは使命感なのでしょうか。
それに甘えている「政治」に、私たちはもっと怒るべきです。民主党の「モノから人へ」なんて、うそっぱちじゃねえか!
渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.43(2012.5.31発行)より転載
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