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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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あわくらの「むら」の稲作立地

 1990年から2003年まで14作の稲作りをした。14年という年月は、365日×14年=5,110日+3日=5,113日である。この驚く程の日数のなかで14作(14作×180日=2,520日)なのである。
 確かに、1作に180日:6ヶ月の月日が懸かるが、この間は稲の生育に合わせた1日1日が初体験である。この様な稲作経過の中で体験させられたのは、稲作管理技術を超えての稲の生育を支配する自然条件すなわち立地である。
 わが稲作の場である田んぼの状況を説明しておこうと思う。
(1) 地形 このむらは、古来、百の谷を持つといわれ、周囲を標高600~800mの山に囲まれ、山間に幾条もの谷のある総面積700haのなかに耕地が7haほどの小さなむらである。従って、南北谷と東西谷では耕地の日照は全く違う。
 我が家の水田の奥田という地名のところは、南北谷で日照は真夏で9時頃から15時頃までで、前田は東南に開けているがそれでも日照は7時頃から17時頃までである。これでも平場から見ると夏場の日照時間が極めて少ない。
(2) 土質 この地方の耕地は花崗岩が母材で、このむらの各所で良質の「真砂土」がとれ、稲苗つくりの際の培土にわざわざ遠地から採取に来るほどの花崗岩土壌である。
 この様な花崗岩土壌の水田に水田基盤整備事業が導入され、従来の1筆3~5a程度の棚田を整備、埋め立てをして1筆10a程度(実際は6~12a)の水田に耕地整理して、1982年に事業が完成した。
 作土は埋め戻してはいるが土性が変わって礫の多い砂壌土になっている。基盤整備後8年しか経過しておらず、水田の水持ちは極めて悪く、朝完全に湛水しても翌朝には田面が出ている状態である。
(3) 気候 中国山脈の南側に属するが、山脈の稜線直下であり、天候は平地が晴れても曇・小雨という山陰型である。山の中のむらであり真夏の最高気温でも30度を越えることは珍しい。11月に入るとキタゲ(時雨)がはじまり、木枯らしが吹いて山が鳴る。冬は最低気温が氷点下20度に下がることもあるし、降雪期は12月から3月までである。
 ちなみに、百姓が本格的に始まる4月上旬の気温は、隣村の大原町古町で最高15度、最低3度で田植の始まる5月上旬でも最高22度、最低8度であるが、このむらは古町よりは1~2度低いとみてよい。
(4) 水温 山間の谷条のむらであるから川の水温は夏でも低く、用水の温度は真夏でも10度~12度程度、水口を空けて掛け流しにすると水口の周りの稲は青立ちする。慣行的に水口から畦沿いに導水溝を20~30m作って青立ちを防いでいる。我が家の場合は、毎朝水口を空けて1時間ぐらい水を入れ湛水して完全に水口を閉めて青立ちを防いだ。
(5) 水田の形状 このむらの水田は、元々1筆3~5a程度の棚田であったが、水田基盤整備事業により1筆10a前後の水田に耕地整理をおこなった。我が家の場合、台帳の水田面積は10a、9a、9aの3筆である。
 問題は夫々の水田の畦畔率(台帳面積-水張面積)/台帳面積 である。3筆が27.6%、37.1%、33.9%になっていて、平均すると32.7%である。
 このことを1筆10aの水田の畦畔率33%として試算してみる。棚田の場合、4面のうち1面は農道に接しており、1面は上側の水田の畦畔となり法面は残る2面である。
 この様な設定で畦畔率33%の水田の畦畔幅を計算すると約5mとなる。この水田の法面の勾配を15/10とし、畦幅を0.5mとすると、畦畔の高さは7m位となる。そして、法の実長は9mにもなる。
 この勾配15/10、畦畔高7m、法長9mが、畦畔の草刈をするときの実際の草刈面積である。この様に、水田10a(水張面積6.7a)の草刈面積は6aである。稲の作付面積の90%に相当する面積の草を年間3回は刈取るのである。
 山間のむらの稲つくりは、平地と比べると、その立地から比べようもない労働力を必要とする地形・土質・気候・水温・水田形状の中で行なうのである。そしてこれを支えている百姓は限界集落といわれる中での高齢者である。

小松展之
『あわくら通信』第35号(2009.10.10発行)より転載
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稲との関わり

 稲を作るということを、種を播いて刈り取りをして米にして食べると単純に云うことはできない。その過程での一定の手順、即ち栽培管理が必要である。
 私は、このむらで生まれ百姓の息子として国民学校初等科終了まで暮らしたので、一通りのことは子供なりに見ており、苗取り田植などを手伝ってきた。
 学生として、農学を学び、社会人として農林省農業技術研究所において稲作収量の成立過程の解析研究の一端に関わることで稲体の生育・発育についての知見を得ることができ、富山県の農協の現場で地区の様々な立地条件での稲の収量を高める技術対策に講じ、更に、埼玉県農協連の技術担当職員として県内の稲作安定と収量500kgどり対策等で現場技術に関わってきた。
 こうして、社会生活の出発から60歳で中国山地の「あわくら」で百姓を始めるまで何らかの形で稲と関わってきた。百姓をすること、稲を作ることには何の不安も躊躇もなかった。稲作技術について知識としては十分に会得しているという自覚があった。
 しかしながら、百姓として自らが苗を作り、田植をし、生育管理をして、収穫・調整そして食べるということは、全く初仕事であった。
 この様な経緯の中で1990年「あわくら」での私の稲作は始まった。

小松展之
『あわくら通信』第35号(2009.10.10発行)より転載

武井秀喜さんと父

 脳梗塞で左半身不随となり入院している父の病室に、ずっしりと重いジュースの瓶が三本置かれていた。りんごジュースが2本と、りんごより少し透きとおった色のマルメロのジュース1本である。話すことにはほとんど支障のない父が、「武井さんが見舞いに持って来てくれた」と告げた。一人で来てくれたのかと聞くと、そうだと言う。「こんな俺の姿を見て、切なそうだった。俺の方が先にくたばってしまって」と父は寂しそうに言った。仰向けになったゾウのようにベッドに横たわる父を、小柄で身軽な武井さんが困惑した顔でながめている情景が浮かんだ。戦死した6歳違いの父の兄と、武井さんは同い年で、父は武井さんを兄のように慕っていた。父は85歳、武井さんはたしか92歳になるはずだ。
 武井秀喜さんの家は、岡谷では数少なくなったが、今なお現役の果樹農家である。父は頻繁に武井さんの農園を訪れて、家族のために、あるいは知人への贈答用に、ぶどうやりんごを購入して届けた。つい先日も、山羊の餌にと、はねだしのリンゴをもらってきてくれたばかりだった。
takei_san.jpg 私が郷里に帰って間もない春、父と武井さんの農園に行き、ぶどう(ナイアガラ)の樹2本と、プルーンの若木1本をもらってきた。道路の拡張でつぶれるという果樹園の一画から、武井さんは、この時期なら根づくかもしれないと言って、一番細い樹を選んだ。いずれも一握りほどの太さだった。武井さんは3本をあっという間にスコップで掘り起こして渡してくれた。身のこなしが若々しくて年齢を感じさせなかった。少年のように苦もなく木に登れるのではないかという印象をもった。家の庭に植えたぶどうはその年から実をつけた。プルーンも大きくなったから今年あたりから実をつけるかもしれない。
 脳腫瘍の手術を受けてから体調がすぐれず床につくことが多い母は、武井さんの話題となるとその健康にあやかって「爪の垢を煎じて飲みたい」というのが口癖である。そういう父や母と接していて、高齢になっても働き続けることができるのなら、それが一番の幸せだと思うようになった。農作業を続けていれば、武井さんのようにいつまでも元気でいられるのではないかという気がしている。
 父も、糀と味噌づくりの家業を細々と続け、1月の下旬に倒れるまで現役で働いていた。空いている桶を気にかけて、2月の半ばには糀をさして味噌の仕込みを始めるつもりで、すでに大豆とコメも調達していた。さすがにもう作業場に立つことは無理である。今年の仕込みはどうするのか、手が必要なら手伝ってもいいと心配してくれる近所の方がいる。父に代わって、仕込みをする算段をしなければならなくなった。

片倉和人
(農と人とくらし研究センター代表)

鳥日記 (2011.1)

 「宇佐のツルさん」に会いに行きました。宇佐の都留さん(85歳でなお元気な活動家都留忠久さん)ではなくて、鶴さんです。
 数日前、新聞に「大分県宇佐市にマナヅルが13羽越冬のため飛来している」と載っていて、矢も立てもたまらず鳥師匠三丸さんに案内してもらって会いに行きました。
 その日は雨・雪・晴れが頻繁に入れ替わるあいにくの天候でしたが、内モンゴルから来たというマナヅル3羽、ヒシクイ(ガン)4羽、そしてあの美しいタゲリもいっぱい見ることが出来、大満足の一日でした。
 私、野生の鶴を見るのは初めてです。鹿児島県出水市の何万羽のツルも見たいけれど、小雪舞う田で首を曲げてエサを探す3羽のツルはとても健気で優美でした。宇佐には数年前から来ているそうです。知らなかったぁ。
 最近の我が家の周辺の鳥状況ですが、寒くなってから毎日のように、アトリとエナガがやって来て声と姿で私を幸せにしてくれます。アトリはヒヨドリくらいの大きさで明るいベージュ色で口ばしが黄色のオオム型でキキリコキイーと高く鳴きます。時には10羽くらいの集団でやって来ます。エナガはピンポン玉くらいのまん丸な体に長い尾があり、白に黒とピンクの模様でほんとにカワイイ!と声が出てしまうくらいかわいいです。ジュリジュリと低音で鳴きます。10~20の集団で来ます。窓から見えるくらい近くに来ます。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.31(2011.1.18発行)より転載

嗚呼・山桜

 わがムラ船迫の船迫小学校は3年前に廃校になり、跡地は国に買いあげられることが決まり、校舎取り壊しの予算も議会を通り、いよいよ工事が始まったようです。跡地に何が出来るのかも住民は知らないままです。数日前より、校庭にユンボが見え、「いよいよ取り壊しが始まるのか」と複雑な思いで下の道路を通っていました。そうしたら、校舎破壊の前に衝撃の光景が…!
 学校へ上がる坂道の上り口の脇にあった大きな山桜の木が根元からざっくりと切り倒されて切り株だけになってしまっていたのです。
 学校の入り口というより船迫の入り口という位置にあって「ようこそ」と出迎える桜でした。切らねばならない理由があったのか?とても残念です。長い長い年月を生きて、毎春、広い枝いっぱいに花を咲かせて人々の上に花びらを降らせてきた巨木です。どんな音をたてて巨体は倒れたのでしょう。事前に説明があれば「あの木は残して」という働きかけも出来たろうに。本当に残念です。人間のいとなみの愚かさに腹立たしさいっぱいです。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.31(2011.1.18発行)より転載

(2011年1月18日)

duredure31-1.jpg 遅まきながら、新年明けましておめでとうございます。
 別に、正月だからといって特別なことは何もない我が家です。でも、年末年始の大雪にはちょっと驚かされましたねぇ。我が家の周辺では積雪量は大したことはなかったので、雪国の方々には申し訳ないくらいなのですが、それでも、2日の基地前座り込みにみんな来られないのでは、いや、私自身が行けないのでは…と気が気ではありませんでした。(実際には、2日の午前中だけ奇跡的に青空がのぞき、風もなく穏やかな座り込み日和でした)
 実は私、12月の初め頃に事故りまして、長年愛用のトラックを「大破」させてしまいました。このトラックは積載量850キロとハンパな大きさではありましたが、私の酪農人生の半分くらいを共に働き、乗用車を買う前は、遠出の外出も常にこれでした。普通車貨物なので毎年車検で結構費用がかかるので、酪農をやめた時点で軽トラに替えようと思いながら、でもまだちゃんと動いてくれるので決断できずにいました。「苦楽を共にした相棒」なので…。
 12月3日早朝、酪農ヘルパーの仕事に行く途中、信号のない交差点で乗用車と出会い頭の衝突です。さいわい相手側に停止の標識があり(私も当然、徐行義務があるのですが)だから運転席のドアにぶっつけられた相手も病院へ行くなどと言い出すこともなく、物損だけで解決しました。最終的に責任は相手が8割・私が2割ということになりました。私の愛車は修理不能で廃車にしました。代わりに中古(かなり古い)の軽トラを20万で買いました。(牧場のバイトの通勤に乗用車を使うとどうしても臭いが染み付いてしまうので、トラックが必要なのです。)
 8割相手の保険から出るというので、楽勝で軽トラ20万はもらえると思っていたら、何と私の愛車の評価額が10万7千円で、その8割だとかで8万少々が入金になりまして、大変な赤字となりました。ええっ、私の相棒評価って、そんなに低いの?と愕然としましたが、かれこれ20年近く乗って、しかも、かなりハードな仕事をさせてきたので、まあ、仕方ないでしょう。人間も車も古くなると評価は下落するばかりです。
 で、何十年ぶりかに、軽トラに乗る日々が始まったのですが、なんと頼りないことか。怖いくらいにふわふわ感があり、これで事故ったら即「病院行き」って慎重に運転しています。年末の雪の日、バイトの帰り道、ちょっと峠を越すのですが、ベチャ雪が1センチほど積もっていただけで、ずるずる尻を振って進めなくなり、とても焦りました。対向車でも来たらどうなっていたかと、今思い出しても冷や汗ものです。前のトラックはこの程度の雪に動じることはなかったのに…。
 ところで、この年末の大雪で、鳥取が急に有名になりました。大晦日に1000台の車が立ち往生とか500隻以上の漁船が雪の重みで沈没とか…。鳥取といっても、今回被害が出たのは県西部で、私の故郷は県東部(鳥取砂丘に近い方)なのですが、テレビで「鳥取県」を連呼されるなんて久々のことで、変な感じです。なにしろ、日本で一番目立ない県=鳥取県なので…。友人から「鳥取に1000台も車が走っていたなんて」と言われて笑えました。
 鳥取県といえば、選挙の「1票の格差」という時に必ず引き合いに出される県です。裁判で、現在の格差は憲法違反だという判決が出て国も選挙区の見直しにとりかかるようです。でも、人口比だけで単純に割り切られると、田舎に国会議員はいなくなるとまではなくとも、極端に少なくなり、結果、田舎の声は国に届かないことになります。それに、今言われている選挙区見直し案って、「道州制」導入への布石のようでイヤな臭いを感じます。
 鳥取県がんばれ! 石破茂は嫌いだけど、「珍獣ハンター・イモト」がんばれ! それから、…、あと有名人って誰? もういない? う~ん、有名人じゃなくてもいいから、鳥取県人がんばれ!

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.31(2011.1.18発行)より転載

雪と籾とすずめ

yuki2.jpg 1月半ばから数日間続いた寒波で、雪の少ないわが地域でも、毎朝数センチから、多い時には20センチの積雪があり、あたり一面雪に覆われてしまいました。
 めったに積雪しないところなので、白菜や大根、ねぎ、ほうれんそうなどは、使う度に畑に採りに行っていたのが、雪に覆われてしまい、仕方なく、冷たさをこらえて雪をどけながら、凍った野菜を採りに行く羽目となりました。
 雪雲が去って、陽射しが戻り、庭や畑に積っていた雪が少しずつ融けだし、地面があらわれてきました。離れの東の壁際に、大根やさき干し、干し柿を吊るす竿が2本かけてあります。その下の雪も融けて、そこにもみ殻が散らばっていました。不思議に思ってよく見ると、竿の端っこに稲わらが掛けてありました。その稲わらは、昨年秋に、地元の小学校で「自然と農業」というタイトルで、なかよしクラブ(小学生の縦割り学習グループ)にお話しをした時に使った籾のついた稲わらで、その後、そこに掛けたままにしてあったのでした。
 そういえば、まだ雪の積もっていた朝の起きたてに、生ごみを畑に持っていこうとして、離れの東に出たところ、すずめが5~6羽、サーっと飛び立ったことを思い出しました。すずめたちも、あたり一面の雪で食べる物がなく、籾のついた稲わらを見つけたのでしょう。これはごちそうと、仲間でやって来てチュンチュンついばんだようです。この稲わらは、正直なところ、どうしようかと思っていたものなので、すずめたちが食べてくれるのならよかった、よかったと思いました。
 このもみ殻に義母も気がついて「あんなところにもみ殻をかけとくで、すずめに食べられたやないか。あの稲束は祈願祭に使って貰うとええと思っとったで、すずめの来んところにしまっとかなあかんで」と言われてしまいました。祈願祭とは、2月中旬に集落で行うもので、その年の豊穣を願って、集落の代表者が、氏神様にお供えをして祀る行事です。
 義母はやはり根っからの農婦でした。田んぼに稔っているうちから稲を食い荒らすすずめに同情するどころか、大事な祈願祭の稲束をも食ってしまうすずめから、稲束を守らなければいけないのです。すずめが一時の空腹を満たせてよかったと思う私などは、まだまだ足元にも及ばない農婦の心構えです。
 そして私にはまだ、「雪が降るようなら、早めに野菜を採っておかなあかんで」ということも抜けていました。そんなところもすずめと同じなので、同情心が沸いたのかもしれません。稲わらは、祈願祭に必要な分だけをしまって、後はそのまま掛けて置くことにしました。祈願祭は大切な行事で、豊穣を祈る気持ちはあるのだけれども、有り余る米、売っても安い米の時代の農婦なのです。

福田美津枝

手紙(2010年12月3日)

厳しい真夏日の連続に悩まされた日々の印象が消えない内に、師走を迎えてしまいました。
昨今の報道を見聞きしていると、異状は気象だけでなく社会と地球規模の問題でもあり理解と判断の枠を越えてしまった思いがしております。(中略)
むら私論・あわくらの記録も第2部の「稲をつくる」で一先ず止めて第3部のノートつくりを始めたところです。
傘寿という歳を迎えてみて、個人の記録への拘りをあらためて感じているところです。現役の頃、周辺で養蚕が消え始め農家での養蚕技術が消滅していく様をみて農家個人の技術が完全に消滅してしまうと思ったものですが、あわくらでは山の管理(杉・檜育成)技術の消滅でした。
わたしのあわくらの体験は個人の道楽・趣味のものですが、こうゆうものでも記録は記録であろうと纏めているところです。むらむらの小さな記録がセンター的なところに集められ、整理されてむらの農業技術論であれ農業史であれ纏められる機能があればという思いはあります。
山村の現状から見ると、何時の日かと言う段階は過ぎていて、あらゆるものが消滅崩壊に近づいていると思っています。農家個別所得補償制度、TPPに絡んで若干議論が聞こえてきますが、日本の農業という大枠議論だけで流されてしまうように見えます。今こそ各学会に頑張ってもらいたいものです。
あわくら通信第39号、第40号を御送りします。ご笑覧下さい。

小松展之

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
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