農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
M君、酪農廃業
船迫という地区はかつては酪農がとても盛んな集落で、私がここに来て酪農を始めた頃は、船迫全戸で60戸くらいの集落の中に酪農家が11戸もありました。あれから35年、今回のM君廃業で最後の1戸が消えました。
築城は当時からレタスの特産地で、牛飼いの我々はレタス農家の庭先を回ってレタスの外葉を回収して(もちろんタダ)牛に食わせて乳を搾っていました。冬場の半年はレタスと稲わらだけで粗飼料は十分でした。脂肪率3.0の時代の話です。レタス農家に「牛飼いはええなぁ。タダの物食わせて乳でもうけて、おまけにクソまで金にする」と言われていました。
時代は変わり、乳脂肪率が3.5だの3.6だのと誰の意向か知らないけど、どんどん引き上げられ、レタスで牛飼いは出来なくなりました。輸入乾草で牛を飼うのが常識のようになり、みるみる収支残高は減っていきました。円高・円安などというどうにもならない情勢に振り回される不安定な経営が農家を疲弊させ、精神を荒廃させて行きました。
今、ホルスタインの乳脂肪率はほぼ4.0以上です。牛自体がそういうものに「品種改良」されてしまって、元には戻せないらしいです。それが経営安定につながるのではなく、経営基盤を弱らせ、収入を減らし、廃業や倒産を促進しているとしたら、それは「改良」とは言えないのでは?
稲わらとレタスの外葉、いわば産業廃棄物の有効利用で営んでいた酪農。それは収入の過多という意味とは別の「豊かさ」を示していたように思います。
日本の酪農の将来がどうなろうと、私の知ったこっちゃないけれど、かつて一緒に汗を流した仲間たちが次々と借金返済不能で倒産廃業に追い込まれていくのを見るのはつらいし、こんな風に農家を押しつぶして平気な国が栄え続けるはずがない!と腹が立つのです。
渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.41(2012.2.29発行)より転載
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