農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
カテゴリー「■ づれづれ草」の記事一覧
- 2025.04.21
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- 2009.06.13
りんご可愛いや
- 2009.05.24
鳥日記 (2009.4)
- 2009.05.16
楽しみは
- 2009.04.20
鳥日記 (2009.1)
- 2009.03.23
鳥日記 (2009.3)
- 2009.01.26
泉ちゃん、ありがとう
- 2008.12.07
ノビ
- 2008.11.30
-「肥だめ」の心くみ取ろう-
りんご可愛いや
台風で落下したりんごとかいうなら、まだ「仕方ないか」とも思うけど、まともに木から収穫したりんごを、こともあろうに堆肥にしているなんて!
りんご農家さんの気持ちを思うと言葉がありません。
スーパーで、ちょっと小ぶりのりんごが14個入って一箱580円でした。全農あおもりと箱に書かれていまいした。青森からの運送費、箱代、スーパーの利益などを考えると、農家にいったいいくら収益があったのでしょう?そこから肥料代、農薬代なども引かれるのです。赤字間違いなしです。
かつて、輸入オレンジによって、みかん農家はみかんのたわわに実る木を泣く泣く伐りました。今度は、キウィやマンゴーによって、りんごの木を伐ることになるのでしょうか。
学生の頃、自治会室に泊まり込みでビラのガリ切り・印刷をして、朝、学生会館の前でビラ撒きをし終わって、眠い目をこすりながら、売店に行き、小さなチーズと紅玉という名の甘酸っぱいりんごを一つずつ買って食べるのが楽しみでした。とてもリッチな気分になれたものでした。
りんごが堆肥にされる時代になりました。我々が求めた豊かさの果てがこれです。りんご農家さん、貧乏な私が時々買うくらいじゃぁ、助けにならないでしょうけど、りんごの木、伐らないでがんばろうよ。
りんごは人を幸せにする果実だよ。
渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.15(2009.4.20発行)より転載
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楽しみは
楽しみは 今年生まれた熊鷹の 餌ねだる声 聞き分けしとき三丸 祥子
中津の「鳥プロ ○丸S子さん」として再三登場してきた三丸祥子さんの作品です。短歌ですが、これは『独楽吟』といって、「楽しみは」で始まって「……の時」で終わる形の独特の短歌なのです。
福井の「歴史のみえるまちづくり財団」という団体の主催する「第十四回平成独楽吟」に応募したこの作品が「福井新聞社賞」を受賞したのです!!
さすが、わが鳥師匠!!
それで今回より勝手に実名で願うことにしました。三丸さんは、鳥プロの上に、植物プロであり(実際に、職業訓練校に通って、庭師の資格を取り、仕事にしていた時期もあったから、これは本当に「プロ」です)、虫(蝶やとんぼ)も好きだし、俳句も短歌も詠むとてもすてきな人です。草の根の会のメンバーです。今は熊鷹に夢中です。
3月15日に福井市で授賞式があって、福井まで行ってきて、「来年はみんなで作品応募して、誰か賞を貰ったら、みんなで福井に行こうよ」と言っています。
三丸さん、おめでとう。
ところで、この『独楽吟』なる短歌の形、私は今まで知りませんでした。
「橘 曙覧(たちばな あけみ)」という江戸時代末期の福井の歌人がいて、あ、「あけみ」と言っても男の人です。
この人、生涯に千二百首以上の短歌を残したらしいのですが、とくに『独楽吟』と題した「楽しみは」で始まり「……の時」で終わる連作52首が秀逸なのです。
彼はとても貧乏で、その貧乏な暮らしの中で、日々、小さな喜びや楽しみを見つけて短歌に詠んだのが独楽吟です。
例えば
たのしみは まれに魚烹て 児等皆が うましうましと いひて食ふ時
たのしみは 昼寝せしまに 庭ぬらし ふりたる雨を さめてしる時
たのしみは 常に見なれぬ 鳥の来て 軒遠からぬ 樹に鳴きしとき
というようなのが橘 曙覧の作品です。
彼のことは、福井でもずっと忘れられた存在になっていたそうです。それがにわかに注目されるようになり、福井の町起こしの柱の一つになって来たのには意外なエピソードがあったのです。
1994年、天皇皇后が訪米した時、歓迎式典で当時の大統領クリントンが歓迎スピーチの最後を独楽吟の一首でしめくくったのだそうです。
たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲けるを見る時
もちろん、クリントン自身が橘曙覧を知っていたわけじゃなくて、ホワイトハウスのスピーチ起草室の一人が書いた原稿なのですが、彼はハーバード大学でライシャワー教授に学び、ライシャワーから『日本文学選集』(ドナルド・キーン編)を教えられていたので、その中に入っていた独楽吟8首を思い出して、大統領スピーチの原稿に引用したのです、とさ。
日本人からほとんど忘れ去られていた橘曙覧がアメリカから逆輸入のような形で脚光を浴びることになったわけです。
さて、橘曙覧という人は、裕福な商家に生まれながら、生家を出て、定職をもたず、国学者・歌人として生き、藩主からの士官の誘いも断って、極貧の暮らしを選び57歳で死んでいるのですが、彼の独楽吟にも出て来るように、ちゃんと結婚して子どもも6人(うち3人は幼児期に病死)もうけているのです。極貧の自由人にして家庭人でもあった。妻がえらかった、というべきかも…。
「足るを知る」くらし。少しは私もその境地に近づきつつあるかなぁ、と思うのですが、う~ん、まだまだ家の中にモノはあふれているし、スーパーやコンビニにもしょっちゅう行くし…。
まだまだですなぁ。
「楽しみは………の時」と、一日一首へたな独楽吟を詠むことで「足るを知る」暮らしに到達出来るのかもしれないなぁ。
渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.15(2009.4.20発行)より転載
鳥日記 (2009.1)
書き始めたのは、「わからない鳥」を見つけた時、大まかな特徴を文字とスケッチで記録して、後で図鑑を見、それでもわからない時は鳥プロの○丸S子さんに聞く、そのためでした。
そのうち、「わが家」の鳥たちの動静や犬の散歩の時に今日は何と何を見たとかまで書き、ま、ついでに鳥以外のこと、つまり普通の人が日記に描くようなことも「ついでに」メモ風に書き留めたりと、日記らしくなってきました。
必ず毎日書く、と気負わずに時々は休みながら書いています。
写真の方も東京のSさんから頂いた一眼レフのカメラは鳥専用という感じで使わせてもらっています。鳥というのはなかなか近くに寄らせてくれないし、じっとポーズをとってもくれないので、ピントが合う前にいなくなったりして、難しいです。
去年、餌台のミカンをついばむメジロのアップ写真を送ってくれた国東(大分県)の養鶏農家大熊さんが新作メジロ写真をまた送ってくれました。手紙がついていて、「2m迄近づいても逃げずに撮らせてくれるのは撮影者の『純粋さ』?か。」とありました。
悔しいねぇ。私はまだメジロのアップは撮れてません。
きっと、大分県のメジロは去年一年間、国体マスコット『めじろん』で人気沸騰だったから、カメラ慣れしてるんだよ。
な~んて、負け惜しみの一人言です。
先日、鳥プロの○丸さんの案内で、耶馬溪にオシドリを見に行きました。オシドリなんて、掛け軸の中や着物の裾にしかいない生き物という印象なのだけど、いるんですねぇ、自然界に。しかも、そこいらへんに、どっさりと。
山国川の少し上流、耶馬溪の入口あたりの川にいましたよ、あの「おもちゃみたいな色と形のオシドリ」が2~30羽ひとかたまりで。川幅が広く、道路の対岸近くに浮かんでいて、小さくしか見えなかったけど、確かに「オシドリ」です。
写真を撮ろうとガードレールから一歩先に踏み出したら、途端にパーッと全員飛び立ってしまいました。ごめん、ごめん、彼らにとって危険水域に踏み込んでしまったんだろうね。
オシドリに逃げられたので更に上流へ。梶原さんの実家に立ち寄ると家のすぐ裏のハゼの枝に小鳥がいっぱい。「ほらほら、エナガだよ」と○丸さん。あの、あこがれのエナガが本当にいっぱい、ハゼの実を捜して枝から枝に。長いしっぽも羽根のピンクの模様も見えたよーっ!
エナガというのはメジロくらいの小鳥で、鳥マンガ『とりぱん』で「ハムスターの耳を取ったような顔」と紹介されていて、以来、あこがれていたのです。
ほかにもいろんな鳥に出会えて、満足、満足。(ルリビタキ、イカル、オオタカ、カケス、ハヤブサ等々)
○丸さんはすごいです。変態かも。だって、走行中の車の前をさっと横切った鳥(らしき影)を「今、○○のオスがあそこに降りた」なんて言って、その通りなんだもの。「この辺、何かいそうな匂いがする」なんて、やっぱり変態だぁ!
渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.13(2009.1.31発行)より転載
鳥日記 (2009.3)
あっという間に春です。一気に春です。もう、春となると、ぐぅわーッと春です。
2週間ほど前にウグイスの初音を聞きました。今では毎日あちこちでウグイスのさえずりがすごいです。
春が来て、花が咲いて、鳥がさえずって、それはそれでステキなんだけど、ジョウビタキやツグミなどの冬鳥がいなくなる日が近いことでもあります。さびしいです。それに、暖かくなると虫(ハエや蚊、アブ、ハチ、ムカデなど)がわんさかと出て来るし、ヘビも嫌だし・・・。
私の鳥狂いは日毎に度を増しています。
人が集まる場でも、すぐに鳥の話題に行こうとするし、以前、孫の写真を持ち歩いて見せびらかしていたと同様に、今は、鳥の写真を持ち歩いて、さして興味のない人たちにまで「見る」ことを強要しているこの頃です。みんなから、「もう、病気やね」と言われてます。そして、鳥プロの○丸S子さんから「この病気に感染した人で、回復した人はいない」と言われてしまいました。
近ごろ、雨がとても多いです。たまに、雨がやんで、青空でも見えようものなら、何か鳥が見えないものかなぁ・・・と気もそぞろです。カメラ持って出かけます。一人で行くのだから、○丸さんみたいに山奥深く分け入って・・・なんてことはしません。私、とても臆病なのです。
2月11日の新聞に左掲の記事が載りました。すぐ、その日、クロツラヘラサギを一目見たいと、今川沿いの道を下りました。でも、場所を特定出来ませんでした。こんな記事が載ったんだから、きっとその場所に、たくさんの人が見に来ているに違いない、などと思ったけれど、それらしい人だかりはなく、あきらめて、ユリカモメの群れを撮って帰りました。
あきらめきれずに、翌々日、再度挑戦。うろうろ、のろのろと危ない脇見運転を続けながら、もう、すっかり河口近くまで来てしまって、漁港近くになったあたりで、堤防のずっと向こうにちらっと中洲が見え、それに白いものが・・・。慌てて車を道脇に寄せ、双眼鏡で覗くと、いましたよ!広い河口付近の中央あたりに、細長く出来た中洲にクロツラヘラサギが5羽、寒風に首を縮めて身を寄せ合ってしゃがんでいました。カメラの望遠で覗くと、何とかくちばしも見えて、「見た!」記念にパチリ。
翌日、松下竜一さんの二人芝居の慰労会が中津であり、○丸さんたちに写真を見せたら、その日のうちに「見に行く!」となって・・・。ああ、みんな病気です。
それから、10日くらいして、税務署に青色申告をやめる手続きに行って、意外に早く終わったので、せっかく行橋まで出て来たんだから、と、また、例の中洲まで。すると!その中洲がすごいことになっていました。いろんな鳥たちが大集合の大にぎわい。もちろんクロツラヘラサギもまだいました。でも一番目立っていたこの日のスターはウミウです。真っ黒い大きな鳥が一斉に首を伸ばして海の方を見ている図が何ともカッコイイーッ!
他にもアオサギや何種類ものカモたちが群れていて、もう、写真撮りまくりです。
そして、何と、クロツラヘラサギが全羽パァーッと飛び立って、中洲上空をゆっくりと旋回して見せてくれたのです。「私が主役なのを忘れちゃ困るよ」といった風に。大感激ーッ!
帰り道、ちょっと上流で、ミサゴの狩りの様子も見つけてこれもバッチリ撮れました。ミサゴというのはトビに似ているけど、頭部と腹側が白く、尾羽根がきれいな扇形に開くカッコイイ鳥です。川や池で魚を獲るのですが、その時、上空に静止して立ち泳ぎのように翼をバサバサしながら、はるか下方の水中の魚の姿を見定めて、猛スピードで水に突っ込んで、足で魚を掴むのです。その、上空でのバサバサ立ち泳ぎが感動的です。
私はこの一月の間に4回もミサゴの狩りの場面を目撃しました。「鳥観の神様が私に降りて来た」とさえ思ってしまうくらいです。でも、それは「知らない」から「少し知っている」に変わったせいなのでしょうね。今まで、ミサゴという名も知らず、きっとトビだと思って見過ごしていたのでしょう。
どんな用事でどこに行くにもカメラを車に積んで出かけます。完全に病気です。
2週間ほど前にウグイスの初音を聞きました。今では毎日あちこちでウグイスのさえずりがすごいです。
春が来て、花が咲いて、鳥がさえずって、それはそれでステキなんだけど、ジョウビタキやツグミなどの冬鳥がいなくなる日が近いことでもあります。さびしいです。それに、暖かくなると虫(ハエや蚊、アブ、ハチ、ムカデなど)がわんさかと出て来るし、ヘビも嫌だし・・・。
私の鳥狂いは日毎に度を増しています。
人が集まる場でも、すぐに鳥の話題に行こうとするし、以前、孫の写真を持ち歩いて見せびらかしていたと同様に、今は、鳥の写真を持ち歩いて、さして興味のない人たちにまで「見る」ことを強要しているこの頃です。みんなから、「もう、病気やね」と言われてます。そして、鳥プロの○丸S子さんから「この病気に感染した人で、回復した人はいない」と言われてしまいました。
近ごろ、雨がとても多いです。たまに、雨がやんで、青空でも見えようものなら、何か鳥が見えないものかなぁ・・・と気もそぞろです。カメラ持って出かけます。一人で行くのだから、○丸さんみたいに山奥深く分け入って・・・なんてことはしません。私、とても臆病なのです。
あきらめきれずに、翌々日、再度挑戦。うろうろ、のろのろと危ない脇見運転を続けながら、もう、すっかり河口近くまで来てしまって、漁港近くになったあたりで、堤防のずっと向こうにちらっと中洲が見え、それに白いものが・・・。慌てて車を道脇に寄せ、双眼鏡で覗くと、いましたよ!広い河口付近の中央あたりに、細長く出来た中洲にクロツラヘラサギが5羽、寒風に首を縮めて身を寄せ合ってしゃがんでいました。カメラの望遠で覗くと、何とかくちばしも見えて、「見た!」記念にパチリ。
翌日、松下竜一さんの二人芝居の慰労会が中津であり、○丸さんたちに写真を見せたら、その日のうちに「見に行く!」となって・・・。ああ、みんな病気です。
それから、10日くらいして、税務署に青色申告をやめる手続きに行って、意外に早く終わったので、せっかく行橋まで出て来たんだから、と、また、例の中洲まで。すると!その中洲がすごいことになっていました。いろんな鳥たちが大集合の大にぎわい。もちろんクロツラヘラサギもまだいました。でも一番目立っていたこの日のスターはウミウです。真っ黒い大きな鳥が一斉に首を伸ばして海の方を見ている図が何ともカッコイイーッ!
他にもアオサギや何種類ものカモたちが群れていて、もう、写真撮りまくりです。
そして、何と、クロツラヘラサギが全羽パァーッと飛び立って、中洲上空をゆっくりと旋回して見せてくれたのです。「私が主役なのを忘れちゃ困るよ」といった風に。大感激ーッ!
帰り道、ちょっと上流で、ミサゴの狩りの様子も見つけてこれもバッチリ撮れました。ミサゴというのはトビに似ているけど、頭部と腹側が白く、尾羽根がきれいな扇形に開くカッコイイ鳥です。川や池で魚を獲るのですが、その時、上空に静止して立ち泳ぎのように翼をバサバサしながら、はるか下方の水中の魚の姿を見定めて、猛スピードで水に突っ込んで、足で魚を掴むのです。その、上空でのバサバサ立ち泳ぎが感動的です。
私はこの一月の間に4回もミサゴの狩りの場面を目撃しました。「鳥観の神様が私に降りて来た」とさえ思ってしまうくらいです。でも、それは「知らない」から「少し知っている」に変わったせいなのでしょうね。今まで、ミサゴという名も知らず、きっとトビだと思って見過ごしていたのでしょう。
どんな用事でどこに行くにもカメラを車に積んで出かけます。完全に病気です。
渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.14(2009.3.1発行)より転載
泉ちゃん、ありがとう
十一月二十二日の通夜、二十三日の葬儀ともにとてもたくさんの参列者でした。改めて彼女が偉大な人だったんだなぁと思い知らされました。
毎年、春に4人で温泉一泊旅行をしている仲間としての泉さんは、学校現場のグチや夫「慎ちゃん」のノロケ話をし、乳ガンになってからは「何でひろ子さんは乳ガンにならんのかい?」とからんだりする普通のオバサンでした。
今年の5月、「生前葬」と言って湯布院一泊旅行をしました。来年はないかも知れない、という病状の深刻さを抱えながらも、「来年もきっと行こうね」と言わせる元気さがありました。
最後に会ったのは十月はじめ頃、彼女の家に私が行った時で、その時も、映画『ご縁玉』のチラシが出来て来たと忙しそうでした。十月二十六日、携帯に着信があったのを気づかず、あとで電話したら留守電だったのでそのまま切り、それが最後になってしまいました。
「かなり悪い」と聞いて一週間後の訃報でした。
抗ガン剤の副作用に苦しみながら、でも、ぎりぎりまで行きたい所に行き、会いたい人に会い、したいことをして、まだまだ若すぎる死だけれど、でも、人の何倍もの濃密な生き方を貫いた人生だったよね。変な言い方だけど、ガンと向き合うことで、山田泉の人生は大きく開いて行った気がします。私が彼女と初めて会った頃は「保健室登校している養護教員」(職員室に行くと体調が悪くなる)として、学校の中でもがいている人だったのに・・・。
葬儀は本当に多くの参列者で、弔辞が6人、しかもそれぞれが思いのたけがありすぎて長い長い弔辞で少々疲れました。(ずっと立っていたので)
慎ちゃんの謝辞は泣かせました。本当に泉ちゃんが好きで好きで、という気持ちが伝わって来て、みんな泣きました。
これから慎ちゃんはどうやって生きて行くんだろう、と心配になるくらいでした。
山田泉を語る時、夫の慎一さんの存在は、実は本人以上に大きいとさえ思います。泉さんが一番えらかったのは慎ちゃんを連れ合いとして選んだことだろうと思います。ガンになった妻を支え、ガンを通して活動の世界をどんどん広げて行く妻のすべてを受け止め、いつもYESを妻に発し続けた慎ちゃんです。慎ちゃんなくしてあの山田泉はなかったろうと思います。
「泉ちゃん、大好き!」の慎ちゃんのこれからの人生、がんばって!
・・・・・・・・・・
容体急変だったので、あまりやつれていなくて、ふっくらといつものままの顔で、少し口許が笑っているようでとてもきれいな死に顔でした。泉さん、最後までカッコよかったよ。出棺の時、日出生台の衛藤洋次さんが「泉ちゃん、ありがとう」と大きな声で言い、みんなで拍手で送りました。
・・・・・・・・・・
緒方拳さん、筑紫哲也さん、山田泉さん、次々と大事な人の命がガンに奪われて行きます。悔しいです。緒方拳さんの遺作となったテレビドラマ『風のガーデン』を毎週観ています。連続ドラマは観ない人なのですが、これだけは特別と思って観ています。拳さんの息づかいや声の裏に苦しいだろう体調を感じてしまい、胸がつまります。
緒方拳さんは若い頃『豆腐屋の四季』で松本竜一さんの役をやった縁で、松下さんの『砦に拠る』(下筌ダム建設に反対して山に蜂の巣城と呼ばれる砦を作って籠城して抵抗を続けた室原知幸さんを書いた作品)を「ぜひ映画にしたい」とずっと言っていました。とてもお金がかかることなので、実現することはないだろうと思いつつも、草の根の会の仲間たちにとって、それは美しい希望でした。緒方さんの死は希望の消滅でもありました。残念です。
・・・・・・・・・・
来年の春、3人で温泉に行って、泉さんの思い出話でもしたらいいなぁ、と思っています。渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.12(2008.12.2発行)より転載
ノビ
ノビは30才のフィリピン女性です。漁師の夫と6才の息子・4才の娘を残して、2月初めから一ヶ月間、日本に「畜産の研修」のために来ていました。
ノビの住む島の周辺は魚もたくさん捕れて暮らして行くのに困らないけれど、彼女は小学校しか出ていないので、二人の子供はぜひ大学にまでやりたいと願って、そのためのお金を自分で稼ぐために牛飼いになろうとしています。
ノビの島には井上さんというボランティアの日本人がいて、カウプロジェクトというのを立ち上げ、肉用牛をノビたちが彼から借り受け、子牛が生まれたら一頭を返すと次の子牛から自分のものになる、というシステムで牛飼いとしての自立を援助しているらしいです。
今回の研修は、福岡県国際交流センターの主催で『NPO等共同人材育成事業』という事業で「NPO女性エンパワーメントセンター福岡」の協力によるものです。エンパワーメントのメンバーが私の知人で「どこか研修受入先を紹介して」と頼まれました。
いろいろあって、最終的には築上町の大石牧場にお願いしました。大石牧場の後継者の嫁さんがフィリピンの人で、しかも、年齢もノビと同じなので、意思疎通という最大の問題が難なくクリア出来て、ラッキーでした。
本当は肉牛の牧場が良かったのだけれど、私が無理を言えるのはやっぱり酪農家しかいなくて、だから、ノビのために役に立つ研修になったかどうか…。
ノビの島での牛飼いは、原っぱに放牧して、雑草を自由採食させるというシンプルなもので、穀物などのいわゆる飼料は一切やらないそうです。日本の牛飼いは牛舎の中に牛をつないで、いろんなエサをいっぱい与えて、一日中ウンコ掃除ばかりしている、と少々あきれぎみでした。
朝晩の仕事の合間に、私が車で近隣の牧場を案内したり、いろんな友人に会わせたり(というより、英語がしゃべれない私は、単語を並べるだけで、それでもノビは少し日本語も分かるので何とか通じているようなのだけど、ノビの話す英語を私は全く聞き取ることが出来なくて、英語を話せる友人の所に助けを求めに行ったというのが実態です)、それなりにノビの少ない日本での研修期間に実りある経験を…と心を尽くしたつもりです。
ノビは大変な努力家で勉強熱心で、いろいろ質問します。私の説明が不十分で理解出来なくても、その夜、インターネットなどで調べて、翌日には「OK!、よく分かった」となっているのです。
例えば、道路脇のいちぢく畑を見て「あれは、何?」でも、いちぢくって英語で何ていうの?分からなくて、いろいろ言って、最後には断面の絵を描いてみたりしたけど「よく通じてないなぁ…」ところが翌日、「いちぢく、OK!」なのです。エライねぇ。
豊前市の肉牛の牧場の見学に行ったら、ちょうど大量の「おから」を給与しているところでした。「あれは何?」う~ん、大豆って何て言うんだっけ?よく分からないけど、とにかく「ビーンをマッシュして、トーフという食べ物を作る」「トーフは人間がイートする」「トーフのカス」「う~ん、カスって、分からないよねぇ、カス、う~ん、ゴミ?」などという、ほとんど禅問答。
でも、翌日、ノビは「ソイビーンね、OKよ」
そうか、大豆はソイビーンなのか、そういえば、トヨエツがコマーシャルやってる大豆のバー状食品の名がソイジョイだったよなぁ、そうかぁ…。
勉強になります。
勉強家で意欲的で陽気で酒豪のノビはカウプロジェクトの「ボス」井上さんにとてもかわいがられ信頼されているようです。きっと将来、島の牛飼いのリーダーに育って行くでしょう。
夫と二人で南の島で、半農半漁でのんびりゆったりとくらして行けたら、そんな生活がずっと子どもへ、孫へと続いて行けたら…と思います。でも、「子どもたちを大学へやりたい」「娘を看護師にして、出来れば日本の病院で働けるようにしてやりたい」というノビの強い思いは、彼女の生きて来た30年の暮らしの重さから発するものだろうから、それに対して「大学に行って、日本で働いても幸せになるとは限らないよ」なんて言えません。
ノビの願いと同じ願いをみんな強く求めた時代が我々にもあって、そこをみんな登って、登り詰めて、社会全体が崩落してしまった日本という国の我々だから、「貧しくても、自然の恵みの中でゆったりとくらせるのが幸せ」などと言えるのですね。ノビには言えない。
ノビの夢がかなうといいね、ガンバレ、ノビ。
ノビの住む島の周辺は魚もたくさん捕れて暮らして行くのに困らないけれど、彼女は小学校しか出ていないので、二人の子供はぜひ大学にまでやりたいと願って、そのためのお金を自分で稼ぐために牛飼いになろうとしています。
ノビの島には井上さんというボランティアの日本人がいて、カウプロジェクトというのを立ち上げ、肉用牛をノビたちが彼から借り受け、子牛が生まれたら一頭を返すと次の子牛から自分のものになる、というシステムで牛飼いとしての自立を援助しているらしいです。
今回の研修は、福岡県国際交流センターの主催で『NPO等共同人材育成事業』という事業で「NPO女性エンパワーメントセンター福岡」の協力によるものです。エンパワーメントのメンバーが私の知人で「どこか研修受入先を紹介して」と頼まれました。
いろいろあって、最終的には築上町の大石牧場にお願いしました。大石牧場の後継者の嫁さんがフィリピンの人で、しかも、年齢もノビと同じなので、意思疎通という最大の問題が難なくクリア出来て、ラッキーでした。
本当は肉牛の牧場が良かったのだけれど、私が無理を言えるのはやっぱり酪農家しかいなくて、だから、ノビのために役に立つ研修になったかどうか…。
ノビの島での牛飼いは、原っぱに放牧して、雑草を自由採食させるというシンプルなもので、穀物などのいわゆる飼料は一切やらないそうです。日本の牛飼いは牛舎の中に牛をつないで、いろんなエサをいっぱい与えて、一日中ウンコ掃除ばかりしている、と少々あきれぎみでした。
朝晩の仕事の合間に、私が車で近隣の牧場を案内したり、いろんな友人に会わせたり(というより、英語がしゃべれない私は、単語を並べるだけで、それでもノビは少し日本語も分かるので何とか通じているようなのだけど、ノビの話す英語を私は全く聞き取ることが出来なくて、英語を話せる友人の所に助けを求めに行ったというのが実態です)、それなりにノビの少ない日本での研修期間に実りある経験を…と心を尽くしたつもりです。
ノビは大変な努力家で勉強熱心で、いろいろ質問します。私の説明が不十分で理解出来なくても、その夜、インターネットなどで調べて、翌日には「OK!、よく分かった」となっているのです。
例えば、道路脇のいちぢく畑を見て「あれは、何?」でも、いちぢくって英語で何ていうの?分からなくて、いろいろ言って、最後には断面の絵を描いてみたりしたけど「よく通じてないなぁ…」ところが翌日、「いちぢく、OK!」なのです。エライねぇ。
豊前市の肉牛の牧場の見学に行ったら、ちょうど大量の「おから」を給与しているところでした。「あれは何?」う~ん、大豆って何て言うんだっけ?よく分からないけど、とにかく「ビーンをマッシュして、トーフという食べ物を作る」「トーフは人間がイートする」「トーフのカス」「う~ん、カスって、分からないよねぇ、カス、う~ん、ゴミ?」などという、ほとんど禅問答。
でも、翌日、ノビは「ソイビーンね、OKよ」
そうか、大豆はソイビーンなのか、そういえば、トヨエツがコマーシャルやってる大豆のバー状食品の名がソイジョイだったよなぁ、そうかぁ…。
勉強になります。
勉強家で意欲的で陽気で酒豪のノビはカウプロジェクトの「ボス」井上さんにとてもかわいがられ信頼されているようです。きっと将来、島の牛飼いのリーダーに育って行くでしょう。
夫と二人で南の島で、半農半漁でのんびりゆったりとくらして行けたら、そんな生活がずっと子どもへ、孫へと続いて行けたら…と思います。でも、「子どもたちを大学へやりたい」「娘を看護師にして、出来れば日本の病院で働けるようにしてやりたい」というノビの強い思いは、彼女の生きて来た30年の暮らしの重さから発するものだろうから、それに対して「大学に行って、日本で働いても幸せになるとは限らないよ」なんて言えません。
ノビの願いと同じ願いをみんな強く求めた時代が我々にもあって、そこをみんな登って、登り詰めて、社会全体が崩落してしまった日本という国の我々だから、「貧しくても、自然の恵みの中でゆったりとくらせるのが幸せ」などと言えるのですね。ノビには言えない。
ノビの夢がかなうといいね、ガンバレ、ノビ。
渡辺ひろ子『私信 づれづれ草』NO.7(2008.4.7発行)より転載。
-「肥だめ」の心くみ取ろう-
・・・・・・・・・・「肥だめ」の心くみ取ろう 環境白書
「江戸時代の知恵を途上国循環社会へ」
政府は3日、08年度の「環境・循環型社会白書」を閣議決定した。今回は、バイオマス資源の活用や省資源型のものづくりなど低炭素、自然共生、循環型の社会へのヒントを江戸時代に見いだす趣向。今後、江戸の知恵を途上国にも広めていくという。
白書では、江戸時代の社会システムを検証。特に「肥だめ」の効用についてほぼ1ページを割いて詳細に解説した。し尿は放置しておくと悪臭ばかりか感染症の源にもなる。しかし、し尿を肥だめに入れておくと嫌気性細菌の代謝作用で、安全な肥料として安定化された。こうして都市住民のし尿が肥料として農村に運ばれ、その肥料でつくられた作物が都市で消費されており、白書は「まさに循環型社会を構築していた」と絶賛している。
このほか、壊れた茶わんや破れた傘を直すなど多種多様なリユース(再使用)とリペア(修理)産業があったことも紹介している。
ただし、現代の日本で実践できる取り組みは少ない。環境省は「発展段階の違う途上国でも循環型社会をつくれるということをアピールしていきたい」とする。
一方、温暖化問題で白書は、世界で排出量取引市場が広がっている点などを挙げ、「低炭素社会に向けて転換期を迎えている」と指摘した。・・・・・ 08.6.3 朝日(夕刊) ・・・・・
江戸時代の暮らしがほぼ完全な循環型社会だったということは広く知られています。それをやっと「お国」として認めたのは立派立派と評価するけれど、それで何?「現代の日本で実践出来る取り組みは少ない」でも「発展段階の違う途上国でも循環型社会をつくれるということをアピールしていきたい」だって?
何という高慢な言いぐさでしょう。
「日本でも昔は絶賛すべき循環型社会を構築していた。だけど、それを壊して、大量生産大量消費社会にどっぷりと浸かって、結果、大量の資源を浪費し、大量の廃棄物を生み出し、大気を汚し、水を汚し、公害を垂れ流し、温暖化を進めてきた。そうやって構築した今の快適な暮らしを手放す気は我々にはさらさらないけれど、まだ途上国のあんたたちに、江戸時代の循環型社会形成のノウハウを教えてやるから、あんたたちは少しは不便でも環境に優しい暮らしをしなさいよ」
ということですよね。とんでもないヤツラですよ、我々日本人は。
現代の日本で実践できる取り組みは少ない、なんてほざくなよ。現代の科学技術を使って上手に江戸時代の暮らしに戻ることは可能でしょ?いまよりちょっと不便になったって、それは不幸ではないし、人間はすぐに順応するんだから。
それと、「世界で排出量取引市場が広がっている」という、このCO2排出量を国家間で売り買いするという思想というか論理というか、理解出来ません。出さなくて済む国は出さない、でいいわけで、それを出す国がもっと出すためにワクを買い取るなんて…。汚い思想です!
渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.9(2008.10.2発行)より転載。
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