農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
泉ちゃん、ありがとう
十一月二十二日の通夜、二十三日の葬儀ともにとてもたくさんの参列者でした。改めて彼女が偉大な人だったんだなぁと思い知らされました。
毎年、春に4人で温泉一泊旅行をしている仲間としての泉さんは、学校現場のグチや夫「慎ちゃん」のノロケ話をし、乳ガンになってからは「何でひろ子さんは乳ガンにならんのかい?」とからんだりする普通のオバサンでした。
今年の5月、「生前葬」と言って湯布院一泊旅行をしました。来年はないかも知れない、という病状の深刻さを抱えながらも、「来年もきっと行こうね」と言わせる元気さがありました。
最後に会ったのは十月はじめ頃、彼女の家に私が行った時で、その時も、映画『ご縁玉』のチラシが出来て来たと忙しそうでした。十月二十六日、携帯に着信があったのを気づかず、あとで電話したら留守電だったのでそのまま切り、それが最後になってしまいました。
「かなり悪い」と聞いて一週間後の訃報でした。
抗ガン剤の副作用に苦しみながら、でも、ぎりぎりまで行きたい所に行き、会いたい人に会い、したいことをして、まだまだ若すぎる死だけれど、でも、人の何倍もの濃密な生き方を貫いた人生だったよね。変な言い方だけど、ガンと向き合うことで、山田泉の人生は大きく開いて行った気がします。私が彼女と初めて会った頃は「保健室登校している養護教員」(職員室に行くと体調が悪くなる)として、学校の中でもがいている人だったのに・・・。
葬儀は本当に多くの参列者で、弔辞が6人、しかもそれぞれが思いのたけがありすぎて長い長い弔辞で少々疲れました。(ずっと立っていたので)
慎ちゃんの謝辞は泣かせました。本当に泉ちゃんが好きで好きで、という気持ちが伝わって来て、みんな泣きました。
これから慎ちゃんはどうやって生きて行くんだろう、と心配になるくらいでした。
山田泉を語る時、夫の慎一さんの存在は、実は本人以上に大きいとさえ思います。泉さんが一番えらかったのは慎ちゃんを連れ合いとして選んだことだろうと思います。ガンになった妻を支え、ガンを通して活動の世界をどんどん広げて行く妻のすべてを受け止め、いつもYESを妻に発し続けた慎ちゃんです。慎ちゃんなくしてあの山田泉はなかったろうと思います。
「泉ちゃん、大好き!」の慎ちゃんのこれからの人生、がんばって!
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容体急変だったので、あまりやつれていなくて、ふっくらといつものままの顔で、少し口許が笑っているようでとてもきれいな死に顔でした。泉さん、最後までカッコよかったよ。出棺の時、日出生台の衛藤洋次さんが「泉ちゃん、ありがとう」と大きな声で言い、みんなで拍手で送りました。
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緒方拳さん、筑紫哲也さん、山田泉さん、次々と大事な人の命がガンに奪われて行きます。悔しいです。緒方拳さんの遺作となったテレビドラマ『風のガーデン』を毎週観ています。連続ドラマは観ない人なのですが、これだけは特別と思って観ています。拳さんの息づかいや声の裏に苦しいだろう体調を感じてしまい、胸がつまります。
緒方拳さんは若い頃『豆腐屋の四季』で松本竜一さんの役をやった縁で、松下さんの『砦に拠る』(下筌ダム建設に反対して山に蜂の巣城と呼ばれる砦を作って籠城して抵抗を続けた室原知幸さんを書いた作品)を「ぜひ映画にしたい」とずっと言っていました。とてもお金がかかることなので、実現することはないだろうと思いつつも、草の根の会の仲間たちにとって、それは美しい希望でした。緒方さんの死は希望の消滅でもありました。残念です。
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来年の春、3人で温泉に行って、泉さんの思い出話でもしたらいいなぁ、と思っています。渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.12(2008.12.2発行)より転載
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