農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
雪と籾とすずめ
めったに積雪しないところなので、白菜や大根、ねぎ、ほうれんそうなどは、使う度に畑に採りに行っていたのが、雪に覆われてしまい、仕方なく、冷たさをこらえて雪をどけながら、凍った野菜を採りに行く羽目となりました。
雪雲が去って、陽射しが戻り、庭や畑に積っていた雪が少しずつ融けだし、地面があらわれてきました。離れの東の壁際に、大根やさき干し、干し柿を吊るす竿が2本かけてあります。その下の雪も融けて、そこにもみ殻が散らばっていました。不思議に思ってよく見ると、竿の端っこに稲わらが掛けてありました。その稲わらは、昨年秋に、地元の小学校で「自然と農業」というタイトルで、なかよしクラブ(小学生の縦割り学習グループ)にお話しをした時に使った籾のついた稲わらで、その後、そこに掛けたままにしてあったのでした。
そういえば、まだ雪の積もっていた朝の起きたてに、生ごみを畑に持っていこうとして、離れの東に出たところ、すずめが5~6羽、サーっと飛び立ったことを思い出しました。すずめたちも、あたり一面の雪で食べる物がなく、籾のついた稲わらを見つけたのでしょう。これはごちそうと、仲間でやって来てチュンチュンついばんだようです。この稲わらは、正直なところ、どうしようかと思っていたものなので、すずめたちが食べてくれるのならよかった、よかったと思いました。
このもみ殻に義母も気がついて「あんなところにもみ殻をかけとくで、すずめに食べられたやないか。あの稲束は祈願祭に使って貰うとええと思っとったで、すずめの来んところにしまっとかなあかんで」と言われてしまいました。祈願祭とは、2月中旬に集落で行うもので、その年の豊穣を願って、集落の代表者が、氏神様にお供えをして祀る行事です。
義母はやはり根っからの農婦でした。田んぼに稔っているうちから稲を食い荒らすすずめに同情するどころか、大事な祈願祭の稲束をも食ってしまうすずめから、稲束を守らなければいけないのです。すずめが一時の空腹を満たせてよかったと思う私などは、まだまだ足元にも及ばない農婦の心構えです。
そして私にはまだ、「雪が降るようなら、早めに野菜を採っておかなあかんで」ということも抜けていました。そんなところもすずめと同じなので、同情心が沸いたのかもしれません。稲わらは、祈願祭に必要な分だけをしまって、後はそのまま掛けて置くことにしました。祈願祭は大切な行事で、豊穣を祈る気持ちはあるのだけれども、有り余る米、売っても安い米の時代の農婦なのです。
福田美津枝
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