農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
武井秀喜さんと父
- 2011/02/21 (Mon)
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脳梗塞で左半身不随となり入院している父の病室に、ずっしりと重いジュースの瓶が三本置かれていた。りんごジュースが2本と、りんごより少し透きとおった色のマルメロのジュース1本である。話すことにはほとんど支障のない父が、「武井さんが見舞いに持って来てくれた」と告げた。一人で来てくれたのかと聞くと、そうだと言う。「こんな俺の姿を見て、切なそうだった。俺の方が先にくたばってしまって」と父は寂しそうに言った。仰向けになったゾウのようにベッドに横たわる父を、小柄で身軽な武井さんが困惑した顔でながめている情景が浮かんだ。戦死した6歳違いの父の兄と、武井さんは同い年で、父は武井さんを兄のように慕っていた。父は85歳、武井さんはたしか92歳になるはずだ。
武井秀喜さんの家は、岡谷では数少なくなったが、今なお現役の果樹農家である。父は頻繁に武井さんの農園を訪れて、家族のために、あるいは知人への贈答用に、ぶどうやりんごを購入して届けた。つい先日も、山羊の餌にと、はねだしのリンゴをもらってきてくれたばかりだった。
私が郷里に帰って間もない春、父と武井さんの農園に行き、ぶどう(ナイアガラ)の樹2本と、プルーンの若木1本をもらってきた。道路の拡張でつぶれるという果樹園の一画から、武井さんは、この時期なら根づくかもしれないと言って、一番細い樹を選んだ。いずれも一握りほどの太さだった。武井さんは3本をあっという間にスコップで掘り起こして渡してくれた。身のこなしが若々しくて年齢を感じさせなかった。少年のように苦もなく木に登れるのではないかという印象をもった。家の庭に植えたぶどうはその年から実をつけた。プルーンも大きくなったから今年あたりから実をつけるかもしれない。
脳腫瘍の手術を受けてから体調がすぐれず床につくことが多い母は、武井さんの話題となるとその健康にあやかって「爪の垢を煎じて飲みたい」というのが口癖である。そういう父や母と接していて、高齢になっても働き続けることができるのなら、それが一番の幸せだと思うようになった。農作業を続けていれば、武井さんのようにいつまでも元気でいられるのではないかという気がしている。
父も、糀と味噌づくりの家業を細々と続け、1月の下旬に倒れるまで現役で働いていた。空いている桶を気にかけて、2月の半ばには糀をさして味噌の仕込みを始めるつもりで、すでに大豆とコメも調達していた。さすがにもう作業場に立つことは無理である。今年の仕込みはどうするのか、手が必要なら手伝ってもいいと心配してくれる近所の方がいる。父に代わって、仕込みをする算段をしなければならなくなった。
片倉和人
(農と人とくらし研究センター代表)
武井秀喜さんの家は、岡谷では数少なくなったが、今なお現役の果樹農家である。父は頻繁に武井さんの農園を訪れて、家族のために、あるいは知人への贈答用に、ぶどうやりんごを購入して届けた。つい先日も、山羊の餌にと、はねだしのリンゴをもらってきてくれたばかりだった。
脳腫瘍の手術を受けてから体調がすぐれず床につくことが多い母は、武井さんの話題となるとその健康にあやかって「爪の垢を煎じて飲みたい」というのが口癖である。そういう父や母と接していて、高齢になっても働き続けることができるのなら、それが一番の幸せだと思うようになった。農作業を続けていれば、武井さんのようにいつまでも元気でいられるのではないかという気がしている。
父も、糀と味噌づくりの家業を細々と続け、1月の下旬に倒れるまで現役で働いていた。空いている桶を気にかけて、2月の半ばには糀をさして味噌の仕込みを始めるつもりで、すでに大豆とコメも調達していた。さすがにもう作業場に立つことは無理である。今年の仕込みはどうするのか、手が必要なら手伝ってもいいと心配してくれる近所の方がいる。父に代わって、仕込みをする算段をしなければならなくなった。
片倉和人
(農と人とくらし研究センター代表)
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