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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

カテゴリー「■ のふう草」の記事一覧

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お日様の贈り物・干しなすと干しきゅうり

nasu.jpg ぎらぎら太陽が照りつける夏、暑いことは暑いのですが、お陰で太陽熱ヒーターの水は熱い湯になり、お風呂の燃料代がかかりません。このエネルギーを他にも利用できればと思っていたところ、雑誌で干しナスを見つけました。なすを薄く切り、一日お日様に当てると水分が飛ぶので、生なすとは違う新しい食感の野菜になりますという説明でした。
 早速試してみました。なすを縦半分に切り、5ミリほどの厚さに切って水につけてあく抜きをし、ざるに広げて干しました。途中、お昼に手返しをすると、夕方シナッとしたなすになりました。さっと洗って、鍋に油を熱し、よく炒めた後、煮干と油揚げを入れ、少々辛めにしょうゆで味をつけました。歯ごたえがあって、いつものなすの煮物とは違います。干し上げたときにかさが減るので、採れ過ぎて食べ切れない時にはよい方法です。
 採れ過ぎたきゅうりでも試してみました。同じように切って干し、今度はフライパンで片栗粉をまぶしてあげた高野豆腐と一緒に炒め、塩と少しのしょうゆで味をつけ、オイスターソースで中華風にしてみました。こりこり感があって、なかなかいいです。お日様のエネルギーを利用できて満足しました。

福田美津枝
『日々の暮らし・日々の食べもの 31』より転載
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土用餅復活!大勢で食べる楽しさ

natsu2.jpg 子供の頃、毎年、真夏の暑い日に、朝出かけた父が、お昼頃にはたくさんのあんころ餅やきな粉餅を持って帰り、家族みんなで食べたものでした。近所の人たちと土用餅を搗いていたのでした。真夏には土用餅を食べるものだと思っていました。
 ところがいつの間にか、世の風潮に乗って、土用の丑の日にはスーパーでうなぎの蒲焼を買ってきて、食卓に載せていました。
 地域の食べものに関心を持つようになってから、やはり土用には土用餅が理に叶ったことだと考えるようになりました。貴重なもち米を搗き、これも貴重な小豆や砂糖を使ったあんこをまぶして食べる餅は、昔の人にはどんなにかうまくて、しかも暑さを吹き飛ばす力がつくような滋養になる食べ物だったことか。
 それで今年は「土用餅」を復活しました。最初は土用に入ったばかりの土曜日、以前の職場で一緒だった若い人たちに声をかけ、我が家で餅つき機で搗いてあんこ、黄な粉、ごまのお餅をいただきました。2回目は8月になって、お世話になっている方々に声をかけ、同じように拙宅で土用餅と持ち寄り料理の会でした。真夏に食べる餅の力もさることながら、大勢でガヤガヤおしゃべりをしながらいただく楽しさが、真夏を乗り切る力になったと思った2日でした。

福田美津枝
『日々の暮らし・日々の食べもの 30』より転載

土用餅を食べる会

natsu1.jpg 真夏には土用餅という風習がありました。ところが、いつの間にか、世の風潮に流されて、土用の丑の日にはスーパーでうなぎの蒲焼を買う日になりました。
 土用には土用餅が理に叶ったこと、もち米を搗き、小豆や貴重な砂糖を使ったあんこをまぶして食べる餅は、昔の人にはどんなにかうまくて、しかも暑さを吹き飛ばす滋養に満ちた食べものだったことか。
 それで、今年は「土用餅」を復活させました。最初は土用に入ったばかりの土曜日、以前の職場で一緒だった若い人たちに声をかけ、我が家で餅を搗きました。小さな赤ちゃんまで含めた10人ほどが集まり、餅つき機でゴネゴネと回すだけの餅にあんこ、きな粉、ゴマをつけていただきました。
 2回目はいつもお世話になっている方々に声をかけ、お昼に何か一品づつ持ってきていただき、土用餅を搗きました。やはり、あんこ、きな粉、ゴマのお餅です。様々な手料理などが持ち寄られて、話題も賑やかな食卓でした。
 土用餅を食べるということは、おいしいものをお腹一杯食べるだけではなく、人が集まり、愉快に語り笑って過ごすことが、夏を乗り切る力を得て、元気の源になるのではないかと思った2日でした。

『ひぐらし記』No.16 2007.8.20 福田美津枝・発行 より転載

お盆の七色汁

natsu.jpg 禅宗の家では、お盆におしょろ(精霊)様を出して、仏様を迎えます。仏壇の脇に精霊棚を作り、位牌を並べ、お供え物をして、位牌の前には膳を作ります。その膳には、仏様をお迎えして送り出すまでの間、あんころ餅や白餅、ご飯、おかずを作って朝・昼・晩の食事時にお供えします。この時に作るお供えの1つが七色汁(なないろじる)です。
 義母は14日のお昼に七色汁をお供えするというので、ずっとそのようにしてきました。ところが、今年の盆の14日の午後、用事があって出会った隣集落のFさんから「七色汁は15日の昼に供える」と聞きました。Fさんは嫁に来てからずっと、お姑さんに教えてもらったことを紙に書いて残している、そして七色汁の中身も昔から決まっているので、毎年その通りにしていると言うことでした。
 Fさんに教えていただいた七色汁の中身は里芋、だつ(里芋の茎)、にんじん、ごぼう、なす、油揚げか豆腐、そして味付けのしょうゆの7種類です。この汁は仏様にお供えするのでかつお出しも煮干も使わない、しかしそれではうまくないので、おしょろ様に供えた後に出しを入れておいしくして人間様は食べると言うものでした。
 我が家はそれに比べればずいぶんいい加減です。とにかく七色あればいいというので、今年はなす、いんげん、玉ねぎ、きゅうり、しいたけ、じゃがいも、油揚げの七色でした。義母はハスダツ(茎の緑色の里芋で、赤だつのように茎を主に食べるもの)や里芋を入れていましたが、この頃ではハスダツを作らなくなったし、里芋も私は掘ってこない(掘れない、掘る気がない)ので省略して、身近にあるもので済ませています。Fさんのお話を聞き、ごぼうも里芋も畑にはあるので、やはり根気出して掘ってこなければいけないと反省しました。
 その翌日、以前からくさぎご飯のことを教えていただきたいとお願いしていたEさんから、「今くさぎご飯を炊いておしょろ様にお供えしたから来て頂戴」と電話があって飛んでいきました。おしょろ様の前にくさぎご飯、七色汁、なすの塩もみ、お茶がお供えしてあり、私のためにくさぎご飯と七色汁を用意して、もてなしていただきました。くさぎご飯のことをお聞きしながら、七色汁についても教えてもらいました。
 Eさんのところも15日のお昼に七色汁をお供えします。中身はその時にあるもので済ますと言うことで、今年はオクラがたんとあったからオクラを入れたとおっしゃいました。いただいた七色汁にはなす、ごぼう、きゅうり、オクラ、里芋、油揚げなどが見受けられました。
 Eさんにもおしょろ様のお供えのことをお聞きしました。Eさんも台所から紙切れを持ってきて、それを見ながら教えてくださいました。その紙にはきちんとおしょろ様の献立が書いてあるようでした。皆さん記録してとってあります。いつもいい加減な覚えで済ませてきたことを反省、これからは記録すべしと誓いました。
 Eさん宅のお供えはFさん宅ともわが家とも違います。Fさんに聞いている時に一緒におられたAさんは、「その家、その家に伝わっていることはいろいろあって当然で、どれが正しいと言うことはないんやよ」、「そのうちうちのおしょろ様のお供えを調べたら面白いんやないかね、今だれかが記録していかんと消えていかへんかね」と言われました。
 この七色汁は、同じ禅宗であった実家では作っていませんでした。距離にして5kmほどしか離れていないところです。Fさんもやはり隣町の禅宗の実家では作っていなくて、伊深へ来て始めて知ったということでした。ところが、昨年8月25日の農業新聞には、三重県鳥羽市の小崎さんという方が、
 夏野菜がたっぷり入った「ぼん汁」は守るべき大事な伝統料理の1つだ。ぼん汁は、親から子へ、子から孫へと伝えられてきた。具材として7色になるように野菜を入れて、別名「七色汁」とも呼ばれる。「なぜ七色なのかはわかっていない」と言う。
 ぼん汁 材料(かぼちゃ、なす、里芋、枝豆、ごぼう、にんじん、ユウガオかトウガン みそ)
 このように紹介されていました。ぼん汁というものの、盆だけのものではなく、夏に食べる伝統料理で、夏ばて防止にもぴったりで、みその味が優しく夏野菜を包み、食欲がどんどん湧いてくると書いてあります。
 伊深の七色汁と同じようなものが遠く、海辺の鳥羽市で、海女として83歳まで現役だった方に、その土地の伝統料理として紹介されていたので、興味深く切り取っておいたものです。調べれば、七色汁の存在や謂れなどが各地から現われそうな気がします。身近なところから聞いていきたいと思います。
 福井や兵庫あたりで恐竜の化石が発見され、古代の生物への関心が高まっていますが、それと同じような未知への発見に胸が躍ります。

『ひぐらし記』No.16 2007.8.20 福田美津枝・発行 より転載

環境保全のために川の草刈?

hotaru.gif 6月の初め、集落の班長さんから連絡がありました。「○○日の夜7時から公民館で寄り合いがあるで来てくんせえ。来た人にはみんなに草刈機の刃が貰えるそうやで」。「何の相談やろ、触れてきたのは組の班長さんやで、農協の話やないし、なんで歯が貰えるんやろ」家人と色々考えても訳がわかりません。「まあ行ってみりゃわかるやろ」ということになりました。
 ○○日の夜、寄り合いから帰ってきた家人が見せてくれたのは「農地・水・環境保全向上対策事業」のパンフレットでした。そして「24日の日曜日に別所(わが集落名)総出で川の草刈をやることになった、今日貰ってきた歯はそのためやで」と言います。
 この事業は私がまだ勤めていた時に、19年度からの実施に向けて、地区を選定したり、事業内容を理解してもらうために、農林事務所のほうから農業改良普及センターへ依頼があって、何度も検討会をしていたものでした。「ははあ、いよいよ始まったのだな」と思いました。家人に「誰か、県とか市から来て説明した?」と聞いたら、「いや、K地区のTさんが来て説明しただけで、他には誰もおらん」と言うこと。「事業のことはどんな説明やった?」と聞いても「詳しいことはわからん、これ読んどけと言うことやった。そやけど、とにかく24日は朝8時から草刈や」。
 24日は8時に草刈機を担いで家人が出て行きました。すぐに川のあちこちでブーンと草刈機のエンジンの音が響き始めました。その日は市の森林組合の総代会も9時から「健康の森」で行われることになっていて、草刈に出かけた家人に代わって、私が総代会に出席しました。行ってみるとO地区の総代さんが来ておられて、雑談されていましたが、そのうち「今朝はもう一仕事済ませてきた、部落中で川の草刈をやってきた」と言う話が聞こえてきました。O地区もわが集落と同じだったのでした。
 総代会から帰ってきたら、目の前の川はすっかり草が刈り取られていました。葦や菖蒲やクレソンの草むらはきれいになくなって、川はすっかり丸坊主。今年はずいぶん蛍が増えてきたのに、その棲みかがなくなっていました。
 市の環境経済部長はこの事業について「19年度は市内の5ヶ所の約123.3ヘクタールの農地をモデル地域とし、事業費約500万円を予定している。事業内容は畦畔や農地の草刈、水路の泥上げ、用排水路の点検補修、生物調査や花植えなど、地域が共同して環境保全を推進する事業としたい」(T市議会議員さんの議会活動だよりNo65より)と述べておられます。「環境保全のためなら、蛍やその他の昆虫や魚の棲みかとなる川の草を刈ることはないのに、なんで川の草刈やの」、家人にそう言うと「そういえばそうやな、ほんでもあの時は刃が貰えたで、みんな素直に草刈るんやと思ってしまったんやなあ、今から考えるとおかしいなあ」。棲みかを奪われた川での生物調査の結果がどのようなものであるか、大いに期待したいものです。

『ひぐらし記』No.16 2007.8.20 福田美津枝・発行 より転載

日替わりスープを楽しむ・たまねぎの季節

soup.jpg たまねぎは重宝な野菜ですが、秋から冬にかけてたまねぎが古びてくると、皮が張り付いてしまって、剥くのが大変でが、今の新たまねぎは、皮もまだ緑がかってみずみずしく、剥きやすくて助かります。
 たまねぎは味噌汁の実や済まし汁の実にもおいしいもので、ちょっとおかずが足りない時にはたくさん入れておかず代わりにもなりますが、飽きてきたら洋風や中華風にもいかがでしょうか。
 だしの代わりにコンソメスープの素を入れて塩・こしょうで味付け。ベーコンやにんじんのせん切りを加えてもよし。じゃが芋を入れて牛乳やクリームシチューの素を入れればボリュームのあるシチュー。カレールウならカレーシチューに。マカロニとトマトを入れてケチャップやトマトソースでイタリアン。しいたけとともに中華スープの素を入れてかたくり粉で閉じれば中華風にと、たまねぎに何かをプラスして調味料を代えるだけで、日替わりのスープが楽しめます。

福田美津枝
『日々の暮らし・日々の食べもの 26』より転載

涙笹のかご編み

 涙笹のかご、これもクサギと同様、わが地、伊深だけに伝わるものです。
 通称「おかめ笹」といわれる笹があります。笹の茎が1本、スーッと伸び、竹のように枝が出なくて、その茎に丸みを帯びた葉がぎっしりつきます。涙笹は、その葉の先が白っぽくなっている笹で、昔は伊深の地を流れる川岸などにたくさん自生していました。
 なぜ、葉の先が白く枯れたようになっているかといえば、伊深には、正眼寺という、臨済宗妙心寺派の修験道場のお寺があります。昔、その開祖様である慧玄さんが、天皇に招かれて京へ戻られる時に、伊深の民も別れを惜しみましたが、慧玄さんと一緒に田を起こしたり、遠い関への買い物につき随っていた牛が、別れを惜しんで涙を流した、その涙が傍らにあった笹の葉にかかって、それ以来、その笹の葉の先が白くなった、それをいつの間にか牛の「涙笹」と言うようになったという言い伝えがあります。
 そして、伊深では、昔から、この笹を採ってきて、野菜や茶碗などを伏せる籠を編んで、普段の暮らしに使ってきました。わが家にも、お蔵に8個ばかり、このかごがあります。少し前までは、法事や葬式、その他いろいろな人寄りの時には、このかごを出してきて、茶碗や鉢を洗ってふせたり、野菜や芋などを洗って、水を切ったりすることに使っていました。軽いし、大きいし、目が粗いので水切れが良く、重宝したものです。
 ところが、最近では、家での人寄りがなくなって、結婚式どころか、法事も葬式も外で行うようになり、このような大きなかごを使うことはめったにありません。いつの間にか、そういうかごがあることも忘れてしまっていました。
sasa.jpg 昨年の夏頃から、伊深に伝わる食べもの「クサギ」の復活を考えるようになり、クサギを知る会を開いたり、地区の文化祭で展示したりすることが始めてきました。そんな相談事をしているときに、「涙笹のかご」のことが話題になりました。これも伊深に伝わる大事な文化だから、私たちがまず習って、作り方を覚えようではないかということになり、近くのHさんに教えていただくことになりました。Hさんは、かご編みの名人で、昔から実にたくさんのかごを編んできた人でした。
 1回目は2月の中頃、午前中に笹を取ってきて葉をむしりとり、用意をして、午後からHさんに教えていただきました。その後もまた2~3回集まって、教えていただいたことを思い出しながら編んでみましたが、もう一度、Hさんにしっかり教えて貰おうということになりました。
 かごを編む笹は新しい笹です。古いものだと編んでいるうち、使っているうちに折れてしまうのです。最初に教えて貰った時、採ってきた笹が古いものも多くて、使い物にならない笹がたくさんありました。それで、新しい芽が出る前に古い笹を刈り取っておけば、そこに生えるものはすべて新しい笹になると考えて、草刈機で刈り取って貰い、その刈り取ったものを使って、もう一度教えていただくことにしました(その時に、新聞店のUさんが来て写真を取り、内容を新聞社に伝えてくださって記事になりました。メールで送っている方には届きません。すみません)。
 かごを編む時期は、笹が水を吸い上げなくなった11月から3月初めです。その頃を待って、本格的に作り出し、技術を覚えてしまいたいと思っています。

『ひぐらし記』No.21 2008.5.1 福田美津枝・発行 より転載

野山にはお宝がいっぱい!

warabi.jpg 5月初め、山菜づいた日がありました。
 土曜日の夕方、タケノコご飯を炊く用意をしておいて、用事でFさんを訪ね、その帰りがけに、コシアブラを採りに行く相談をしました。Fさんはフキも欲しいと言うので、山の田んぼへも行ってみる約束をして、その足でAさん宅へ行ったら、軒先の水を張ったバケツから、茹でタケノコをポリ袋に一杯入れてくださいました。帰ってくる途中、畦の刈った草を寄せているMさんの姿を見かけて、ちょっとおしゃべり。「そうそう、桜の塩漬けをあげようと思っとった」と、家に走りかえって持ってきたビン詰めの桜を貰って来ました。夕方、ちょっと歩いて来たら、あちこちで嬉しいいただき物です。
 翌日曜日、義母が朝からフキを煮ています。裏の家で弘法様(毎年、その家の山に祀ってある弘法様を、近所の人たちを呼んで拝み、その後食事を振舞っていただくのです)があるので、そのおかずに一品添えるつもりのものです。別の鍋では、きゃらぶきも煮ています。そのお残りを、昼ご飯のおかずに食べました。
 昼ご飯の後、前日いただいたタケノコを木の芽和えに準備をして、残りを炊き込みご飯用、中華炒め用に切って、それぞれザルに広げて干し、夕方取り込んでポリ袋に入れ、冷凍庫にしまいました。
 冷蔵庫には、クサギを水で戻したものがあって、夕方、クサギご飯を炊きました。前の日はタケノコご飯と、味のついたご飯ものが続くけど、「ええい誰かに食べて貰えばいいや」と、いつもどおりたくさん炊きました。
 その時、玄関で呼ぶ声がします。Uさんがイタドリを一抱えして立っています。「去年一緒に採りに行った山へ、今、イタドリを採りに行ってきたからおすそ分け!」「ちょうどよかった、もうすぐ炊きあがるクサギご飯をお返しに」と届けることにして、行きつけの美容院の大先生も田舎のご出身だから懐かしいかなと、クサギご飯を少し届け、その晩の食事は、クサギご飯、タケノコの木の芽和え、フキの煮物ときゃらぶき、山菜尽くしのご馳走でした。片付けの後、イタドリの皮を剥き、ポリ袋に入れ、塩をたくさんまぶして冷蔵庫へ。こうして塩漬けにしておいて、食べる時に塩抜きをして、炒めて煮付けることを、昨年、Aさんに教えていただきました。その夜には、Uさんから「今イタドリのあく抜きを終えて、キンピラにするところ」というメールが入りました。
 翌日、夕食の支度をしていたところ、裏のオバサンが2つの袋を抱えて裏口へ。「親戚からこんなものをようけ(たくさん)貰ったで、食べんさい」と、コシアブラとコゴミです。珍しいものをこんなにようけ!!これで、コシアブラのご飯が炊けそう。コゴミは、オバサンは胡麻和えにしたそうだけど、マヨネ-ズでもいいし、てんぷらもいい。
 台所には、この日、みょうがたけも採ってきてあって、しいたけとタケノコの吸い物に入れました。夕食の後、杉の葉を採ってきて、わらびの上に被せ、熱い湯をたくさんかけて押し蓋をして、アク抜きに。コシアブラは洗ってザルに揚げ、コゴミは硬い軸を折り取って、これもザルに。台所中、山菜だらけです。
 3年ほど前、山が竹藪になってしまうからと、義母が竹を総て根絶してしまってから、タケノコが食べられなくなるのかと寂しく思っていましたが、その時期になると、あちこちから声をかけてくださって、十分いただきます。フキは柿の木の下に毎年生えてきて、みょうがたけも生えて、その少し前にはうどもあって、春先の野菜がなくなるころにはこうしたもので助けられます。昨年はイタドリやクサギの食べ方を教えてもらい、今年はさらにコゴミや、コシアブラなど珍しいものに恵まれました。
 小麦や大豆製品が値上がりしています。スーパーに行けば、あれもこれも高くなったものばかりのようですが、米を炊いて、野山にあるものに目を向ければ、難なく夕飯が仕上がります。その代わり、袋を破けばすぐ調理できるものではなく、手をかけなければなりません。
 季節のものを食べたいあまりに、昔からやってきたことを続けるために、野や山へ山菜を採りに行って、手間をかけて、自分で食べることをまかなおうとしている人たちに恵まれ、手間をかける時間にも恵まれた暮らしが愉しく、面白いものだと思う毎日です。

『ひぐらし記』No.21 2008.5.1 福田美津枝・発行 より転載

農と人とくらし研究センター

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