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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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涙笹のかご編み

 涙笹のかご、これもクサギと同様、わが地、伊深だけに伝わるものです。
 通称「おかめ笹」といわれる笹があります。笹の茎が1本、スーッと伸び、竹のように枝が出なくて、その茎に丸みを帯びた葉がぎっしりつきます。涙笹は、その葉の先が白っぽくなっている笹で、昔は伊深の地を流れる川岸などにたくさん自生していました。
 なぜ、葉の先が白く枯れたようになっているかといえば、伊深には、正眼寺という、臨済宗妙心寺派の修験道場のお寺があります。昔、その開祖様である慧玄さんが、天皇に招かれて京へ戻られる時に、伊深の民も別れを惜しみましたが、慧玄さんと一緒に田を起こしたり、遠い関への買い物につき随っていた牛が、別れを惜しんで涙を流した、その涙が傍らにあった笹の葉にかかって、それ以来、その笹の葉の先が白くなった、それをいつの間にか牛の「涙笹」と言うようになったという言い伝えがあります。
 そして、伊深では、昔から、この笹を採ってきて、野菜や茶碗などを伏せる籠を編んで、普段の暮らしに使ってきました。わが家にも、お蔵に8個ばかり、このかごがあります。少し前までは、法事や葬式、その他いろいろな人寄りの時には、このかごを出してきて、茶碗や鉢を洗ってふせたり、野菜や芋などを洗って、水を切ったりすることに使っていました。軽いし、大きいし、目が粗いので水切れが良く、重宝したものです。
 ところが、最近では、家での人寄りがなくなって、結婚式どころか、法事も葬式も外で行うようになり、このような大きなかごを使うことはめったにありません。いつの間にか、そういうかごがあることも忘れてしまっていました。
sasa.jpg 昨年の夏頃から、伊深に伝わる食べもの「クサギ」の復活を考えるようになり、クサギを知る会を開いたり、地区の文化祭で展示したりすることが始めてきました。そんな相談事をしているときに、「涙笹のかご」のことが話題になりました。これも伊深に伝わる大事な文化だから、私たちがまず習って、作り方を覚えようではないかということになり、近くのHさんに教えていただくことになりました。Hさんは、かご編みの名人で、昔から実にたくさんのかごを編んできた人でした。
 1回目は2月の中頃、午前中に笹を取ってきて葉をむしりとり、用意をして、午後からHさんに教えていただきました。その後もまた2~3回集まって、教えていただいたことを思い出しながら編んでみましたが、もう一度、Hさんにしっかり教えて貰おうということになりました。
 かごを編む笹は新しい笹です。古いものだと編んでいるうち、使っているうちに折れてしまうのです。最初に教えて貰った時、採ってきた笹が古いものも多くて、使い物にならない笹がたくさんありました。それで、新しい芽が出る前に古い笹を刈り取っておけば、そこに生えるものはすべて新しい笹になると考えて、草刈機で刈り取って貰い、その刈り取ったものを使って、もう一度教えていただくことにしました(その時に、新聞店のUさんが来て写真を取り、内容を新聞社に伝えてくださって記事になりました。メールで送っている方には届きません。すみません)。
 かごを編む時期は、笹が水を吸い上げなくなった11月から3月初めです。その頃を待って、本格的に作り出し、技術を覚えてしまいたいと思っています。

『ひぐらし記』No.21 2008.5.1 福田美津枝・発行 より転載
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