忍者ブログ

農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

暑いゾーッ!!

 言っても仕方ないけれど暑いですねぇ。
 連日、35度だ、37度だ、38度だと、とても人間が生きていけるとは思えない気温が続いて、まさに日本列島は熱帯に含まれてしまったかのようです。息をするのもイヤというくらいの暑さです。
 みなさん、何とか生きてますか?(と、この前振りは決して通信の発行が遅くなったことの言い訳なんかではありませんよ。)
 冷房入れると心も財布も痛むので、扇風機で熱風をかき混ぜて我慢しています。何もする気になれず、汗まみれでトドのように転がっています。
 雨らしい雨がずーっと降らないので、トラクターでガーッと鋤いたまま放置している畑に雑草も生えません。
 相変わらずの夜更かし朝寝坊生活で、愛犬ランの散歩はお日様カンカン照りの8時頃です。こんなに暑くても野道や田んぼや池や雑木林にはとてもたくさんの生き物たちがいて、にぎやかです。今朝見つけた生き物を家に帰ってから思い出して書き上げてみました。名前の分からないものは図鑑で調べました。
 クロアゲハ・モンシロチョウ・モンキチョウ・ギンヒョウモン・ヒメジャノメ・シジミチョウ・アキアカネ・シオカラトンボ・オニヤンマ・コシアキトンボ・ハラヒロトンボ・イトトンボ・イナゴ・バッタ・アシナガバチ・ニイニイゼミ・アブラゼミ・クマゼミ・ツノゼミ・カエル・オタマジャクシ・アメンボ・ミズスマシ・ジャンボタニシ・フナ・ヘビの死体・カラス・ハト・セッカ・スズメ・小鳥(スズメより小さいピイピイルゥピッピと鳴く小鳥。たぶんホオジロと思う。)
 小鳥は何種類か見たようで、でもまだ姿で見分けることも声を聞き分けることも出来ません。
 最近、草の根の会のメンバーの中津の○丸S子さん(鳥や虫や草木のプロ)に鳥の声のCDを借りてコピーして、車の中で聴いています。なかなか覚えられないし、聞き分けられません。でも、例えば、ウグイスのホーホケキョという有名な声はいわゆる「さえずり」で要するにオスの繁殖期の鳴き声であって、地声は低く濁った声でギョッギョッと短く鳴く単調なものだと初めて知りました。このCD、丁寧な解説付きでなかなかのすぐれものです。
 せっかく自然豊かな田舎に住んで、たくさんの生き物に囲まれて暮らしているのだから、少しは彼らと親しんでみたいと思うのだけど、特に鳥は難しいです。種類も多いし、姿や声も様々で、しかも、じっと止まって姿を見せてくれることはマレなので・・・。
 「初心者は、探鳥会などに参加して詳しい人に教えて貰いながら、実際に見て聴くのが一番」と○丸S子さんの弁。
 この前、○丸さんに会った時、「田んぼの上の高い所をヒッヒッヒッと機械が擦れ合うような声で鳴きながらヒュンヒュンと飛ぶ小さい鳥」と聞いたら「それはセッカ」。「真っ黒な胴の真ん中に大きな真っ白な点が一つあるトンボ」と聞いたら「それはコシアキトンボ」と即答。もう、ソンケイノマナザシ・・・・・・です。
 植物図鑑は何冊も、そして野鳥図鑑も一応持ってます。昆虫図鑑がしょぼいのしかないので、今度買おうと思ってます。
 オタクをめざすぞぅ!
 (最近、セミの大合唱に遮られて鳥の声があまり聞けません。セミもまぁ鳴く理由があって鳴いているのだろうから、我慢するけれど、でも、本当に暑苦しい声ですねぇ。)

渡辺ひろ子『私信 づれづれ草』NO.9(2008.7.31発行)より転載
PR

「農村生活」時評13 "積み重ね100回ということ"

kaigi.gif 世の中の、様々な社会組織が崩れてきて、いまは個人が裸で世間に放り出されている。ここにいう「社会」とは、家族に次いで暮らしに不可欠なものだが、近代日本は伝統社会をこわして企業中心というか、勤め先に心身とも帰属する会社社会のような世界をつくった。ところが、その頼みの会社は手のひらをかえしたようにリストラに熱心になり、日本人は落ち着く場所を失った。それは現代人の精神的不安定の一因ともいわれる。そんな時代だからといって、これから急いで、必要とされる組織を新たにつくるにせよ、伝統的な組織を再生させるにせよ、いまの危機は深く、前途は難問だらけである。
 私達に縁の深い農業・農村組織もご多分に漏れず、困難が山積している。農業は農地という地域資源に立地する産業であり、農村は二重、三重どころか、新旧組織が極端にいえば二十重、三十重に存在してからみあい、中々厄介な姿になっている。もちろんそれらの組織の中核ともいうべき集落が消滅するという危機状況だから、ただ単にこれまでのように組織のあり方だけを考えるというのは、いささか問題意識が甘いかもしれない。
 機会があって、全国農業改良普及支援協会で普及指導員のすすめる組織化という課題の勉強会に参加している。そこでいくつかの事例を拝見していたら、あるところで農地整備を核とする法人組織化のなかで、話合いの回数の問題が提起されていた。農地は単なる生産手段ではなく財産だし、まして今の農業情勢で整備となれば負担の問題もあるし、将来の営農のありかた、ひいては生活設計にもかかわる。その会合が難航するのはとうぜんである。そこで論議がもめても単なる流会にせず、次にどのように会合を持つか、つなぎ方が大事だという指摘で、これは大変教えられたが、ここでは会合そのものはまとまるまで十数回だったらしい。しかしその県下にはこの課題に取り組み、重ねた会合100回という事例もあるらしい。会合はあくまで中味が問題だから、それこそ回数の問題ではないが、関係者の熱意が途切れず、難題の合意形成まで延々100回という数字に興味をもった。
 私の住んでいる地域で高齢者だけで、古典を読む会を続けている。世間のこの種の趣味の会はそれなりの講師がいるが、当方はどんぐりグループである。ところがこの会が年数を経てなんと100回を越した。難解な古典でもこのぐらい付き合うと、なんとなく分かってきたような気がするものである。それはともかく、いまの世間に本物の社会組織をつくるのは難儀だし、できてもその運営にかかわる会合・会議のあり方は、戦後民主主義・新入生世代にはいまも難しい。実際の組織の経験は乏しいが、ただ、このような「勉強」の回数となると二回の大学勤めの経験から考えることが多少ある。
 大学の前期のコマ数は15回で年間30回となる。これは多分どこでも同じ様なものだろうが、ひと昔前の大学は適当な部分もあったろう。しかし私の頃はすでに面倒な年間計画があって、ともかく休講なしでその15回はこなしていた。ゼミ生は二年から所属すれば、その教師のゼミに大体100回つきあうことになる。4年生になって教室にはいり修士をやれば3年間でやはり100回ではないか。ゼミは単なる講義ではないところに意味がある。しかしその意味の理解にもある程度回数の積み重ねが必要で、その時にはほとんど何も分からないのが学生の現実ではないか。
 現代はなにかと忙しいが、もし、学ぶなら、教師と付き合うにも書物に親しむにも100回というのはひとつの目安のように思われる。私のような才のない人間は勉強といえば、ただ積み重ねするしか方法が見当たらない。人間生活の局面はまったく異なるが、社会組織づくりもその位の長い期間の覚悟は必要ではないか。もちろん社会にはもともと短期的な役割を担う組織もあるが、その命は別の組織に受け継がれていくだろう。
 さてさて、こう数字にこだわると、願わくは100回の誕生日というところだが、それは無理だろう。あと一季、100日の生活と仕事、その次はさらに100日の、という日数の目安が、昨今の無難な生活目標である。

森川辰夫

ドクターヘリ

helico.jpg 最近、テレビの特集などで話題になっているドクターヘリ。医者と看護士が乗って、急患の所に行き、応急手当をしながら病院に搬送するヘリコプターです。救急車なら3時間かかる病院にでも20分で搬送出来るという、しかも医者が手当をしながら。
 このドクターヘリ、一機が1億数千万、維持費が一年に2億近くかかるために、全国でまだ13機しか配備されていないのだそうです。年間2億の維持費の半分は国が助成するそうですが、残り1億の維持費が都道府県には大きな負担になり、導入が遅れているというのです。
 確かに、1億だ2億だと言えば、大変なお金だと思うけれど、考えて見れば、F15戦闘機1機が120億です。それが築城基地だけで20機もあるのです。1機あたりの年間維持費がいくらかかるのか私は知らないけれど、毎日ガンガン飛び回る燃料費やパイロットや整備士の人件費だって相当なものだと思います。
 まったく人を助けるのに役立ちもしない戦闘機1機に120億も出して、それも何百機も配備維持している国です。
 直接人命を救助するドクターヘリを全額国の予算で導入し維持費も負担して全都道府県に複数機配備するくらいして当然だと思います。築城基地のF15戦闘機20機が10機に削減されたって、喜ぶ人はいても困る人は断じていません。
 「いつか起きるかも知れない戦争」のための戦闘機より「今、助けを必要としている救急患者」のためのドクターヘリ。それに異論をはさむ人はいないはずです。私たちの、私たちのためのお金です。

渡辺ひろ子『私信 づれづれ草』NO.6(2008.2.29発行)より転載

お日様の贈り物・干しなすと干しきゅうり

nasu.jpg ぎらぎら太陽が照りつける夏、暑いことは暑いのですが、お陰で太陽熱ヒーターの水は熱い湯になり、お風呂の燃料代がかかりません。このエネルギーを他にも利用できればと思っていたところ、雑誌で干しナスを見つけました。なすを薄く切り、一日お日様に当てると水分が飛ぶので、生なすとは違う新しい食感の野菜になりますという説明でした。
 早速試してみました。なすを縦半分に切り、5ミリほどの厚さに切って水につけてあく抜きをし、ざるに広げて干しました。途中、お昼に手返しをすると、夕方シナッとしたなすになりました。さっと洗って、鍋に油を熱し、よく炒めた後、煮干と油揚げを入れ、少々辛めにしょうゆで味をつけました。歯ごたえがあって、いつものなすの煮物とは違います。干し上げたときにかさが減るので、採れ過ぎて食べ切れない時にはよい方法です。
 採れ過ぎたきゅうりでも試してみました。同じように切って干し、今度はフライパンで片栗粉をまぶしてあげた高野豆腐と一緒に炒め、塩と少しのしょうゆで味をつけ、オイスターソースで中華風にしてみました。こりこり感があって、なかなかいいです。お日様のエネルギーを利用できて満足しました。

福田美津枝
『日々の暮らし・日々の食べもの 31』より転載

「農村生活」時評12 "多様な季節を生きるくらしを"

natsu3.jpg 梅雨が去り、暑熱の夏が来た。今年は早くから暑い日々が続いたから、これから本当の盛夏を迎えるのかと思うと、いささかうんざり気味である。やっと夏休みを迎えた子どもたちは別として、早くも秋の涼しさが待たれる。気候変動の話題が多い昨今だが、まさかの出来事の多い異様な世間でも、この四季の移り変わりの大筋は変わらないだろう。
 その温暖化がらみか、このごろ日本の四季がらみの話をよく耳にするが、私たちのくらしはこの季節変化をひとつの軸としている。特に農業生産はさらに地域の微妙な気象現象のなかで営まれるから、「地産地消」を願うなら、いままで以上に季節を大事にするくらしが求められる。現代日本というか、とくに大都会の生活は季節性を超越し、コンビニのように24時間サイクルの昼夜の変化も無視する有様で、それが進歩のように思ってきたが、夢中で働いてきた現役世代もいささか疲れてきたようである。さらに人間だけでなく、大分地球自体も怪しくなってきた。
 四季という表現は日本語にとってはきわめて大事な存在だが、私は日本の季節にはその外に二季、つまり梅雨と野分があると考えている。これは古くは、最近亡くなられた多田道太郎氏の提唱された説だが、私の根拠は昭和後期というか中期というか、昭和20年代、30年代(1950~65年ごろ)を中心とする時代の農家生活時間調査結果の分析である。その頃でも年間調査のデータというのはそれほど多くはないが、当時の農家の生活は当り前だが、農作業上季節変動に素直に対応していて、この列島における人間のくらしの、いわば自然に沿うあり様の原型をしめしている。私は農家の年間生活時間の中味を検討して、そこから労働時間・睡眠時間を軸にした時間配分類型を想定し、それらの季節変動という手法であれこれ、ひねくりまわしてみた。すると四季に対応したような年間四類型というのは稀で、多くは五ないし七類型におさまった。対象農家に北海道と沖縄は含まれていなかったから、あくまで本州中心の話だが春と夏の間にはなにか一つの時期があり、さらに夏と秋の間にも一つの時期があるというのが、データで見る限りいちばん一般的だった。そこに先学の梅雨と野分という表現を当てはめた次第である。したがって必ずしもその時期に長雨や嵐の登場が不可欠という訳ではない。
 それでは冬と春の間、秋と冬の間はどうかという疑問が生まれる。私はこの仕事をまとめたあと、岩手県盛岡市に住み、さらに数年後ふたたび岩手、そして津軽という本州の代表的な北国に住むという経験をした。そこには確かに特徴的な埃の多い春先という季節があり、初冬という季節も結構長いのである。だから北国、雪国では事実、単純な冬というものはなくて、寒気と雪がその地に多彩な季節的演出を試みるが、農家の生活時間類型としてみれば農閑・冬季型が支配的であった。
 国際的な比較では日本人がもっとも睡眠時間を削っているという。そうやって働いている人々自身にとっては季節によって生活時間配分を変える余裕はないが、家族と社会を見れば、こどもと高齢者にとって季節とその変化はなんといっても生活の基本である。その常識的な現実を踏まえて、この列島に新しい社会環境下で季節に対応した現代生活というものを創造してもらいたいものである。

森川辰夫

土用餅復活!大勢で食べる楽しさ

natsu2.jpg 子供の頃、毎年、真夏の暑い日に、朝出かけた父が、お昼頃にはたくさんのあんころ餅やきな粉餅を持って帰り、家族みんなで食べたものでした。近所の人たちと土用餅を搗いていたのでした。真夏には土用餅を食べるものだと思っていました。
 ところがいつの間にか、世の風潮に乗って、土用の丑の日にはスーパーでうなぎの蒲焼を買ってきて、食卓に載せていました。
 地域の食べものに関心を持つようになってから、やはり土用には土用餅が理に叶ったことだと考えるようになりました。貴重なもち米を搗き、これも貴重な小豆や砂糖を使ったあんこをまぶして食べる餅は、昔の人にはどんなにかうまくて、しかも暑さを吹き飛ばす力がつくような滋養になる食べ物だったことか。
 それで今年は「土用餅」を復活しました。最初は土用に入ったばかりの土曜日、以前の職場で一緒だった若い人たちに声をかけ、我が家で餅つき機で搗いてあんこ、黄な粉、ごまのお餅をいただきました。2回目は8月になって、お世話になっている方々に声をかけ、同じように拙宅で土用餅と持ち寄り料理の会でした。真夏に食べる餅の力もさることながら、大勢でガヤガヤおしゃべりをしながらいただく楽しさが、真夏を乗り切る力になったと思った2日でした。

福田美津枝
『日々の暮らし・日々の食べもの 30』より転載

酪農連大会

duredure6-3.jpg のほほんの酪農家たちもやっと事態の深刻さに気づき始めたようです。以前は福岡市で毎年九州大会が開かれていたので「族議員の手柄話を聴くだけに集まるなんてバカげている。せっかく九州最大の繁華街福岡市天神に集まるんだから、市内行進して市民にアピールしよう」と何度言っても相手にされなかったばかりか、最近は大会自体何年も開かれていなかったです。
 さすがに呑気な酪農家たちも仲間が次々と廃業したり、経営破綻したりで、危機感が出て来たみたいだけど、それでも、「そんな大会に出たって、それですぐに乳価が上がるわけでもないし…」と参加を拒否する人も多かったと聞きます。私は部外者になってしまったので参加出来ませんでしたが、そういう考えだから、今日の事態を招いてしまったんだぞ、と思うのです。
 乳価を上げる(と言うより元に戻す)のに絶対必要なのは消費者の理解です。スーパーで売られている牛乳パックの後ろに酪農家の働く姿・牛たちの姿が見えることが大事なのです。政治家の顔ばかり見て、消費者に自分たちの顔を見せないで来たことのツケが今日の窮状です。もっともっといろんな場で「もう、限界だぞ!日本の酪農が壊滅するぞ!」と叫ぶべきです。



「酪農守れ」1800人結集
熊本 飼料高騰へ対策求める
朝日新聞 '08.02.10
 


渡辺ひろ子『私信 づれづれ草』NO.6(2008.2.29発行)より転載

村の暮らしと女性たち(1)-バングラディシュの村から(その3)

 バングラデシュの女性にとって、男性の保護者がいない、という状態は、生活の不安定を意味する。実家に戻ってくるということは、父母が健在なときにはまだ良いが、兄弟以降の代になると、それぞれが結婚し、子どももできて、という状態で、どのような扱いをされるか、不安要素が大きい。娘らは、土地などの相続権を実質的にもたないし(法的には男きょうだいの半分の土地を相続する権利はあるが、それを放棄することによって、生家と良い関係を取り結んでおく)、自分で稼ぐ手立ても少ない。誰かに頼らずには暮らしていけないのである。そんなナズマに、嫁ぎ先で暴力をふるわれているタラが、「まだ私は良いよね。帰る家(婚家のこと)があるんだから」とつぶやく。
 長い人生の中、紆余曲折はあっただろうが、"良いカミさんだった"、と夫にしみじみと語られる人生。その一方で、婚家で暴力を受けたり、夫を失い安定した場所を持たない人生。どれも村の女の人生である。いずれにしろ、夫やその家族次第、というところに不安定の要素があるのは否めない。そう考えると、村の伝統や文化を尊重したいとは思いつつも、女性が女性として独り立ちできる選択肢があることの重要性を感じるのである。

 近年は、結婚婚資金(娘の結婚時に婿側に渡される金品のこと)に関する問題も大きくなってきている。これには、市場経済の浸透も影響している。結婚婚資金と村の暮らしについては、また別の機会で考えたい。

吉野馨子(農と人とくらし研究センター研究員)

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
e-mail:
Copyright ©  -- 農・人・くらし --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ