農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
「農村生活」時評17 "初夢 日本語・世界遺産・沖縄"
高齢になると、生体リズムの各局面でその変動幅が小さくなる。そのひとつが眠りが浅くなるということである。ぐっすりとやすんで一日の疲れをとりたくても、どうしてもうつらうつらとしてしまう。そうなると断続的にとりとめなく夢をみることになる。
昨年末、話題になっていた水村美苗著「日本語が亡ぶとき」を読んで、日本の近代文学というものが世界的にみてひとつの奇跡のようなものだ、それは日本語の成立自体が歴史的、地理的な環境下で奇跡的な成立をしたということが基盤にあるからだ、ということを学んだ。世界的に英語全盛のご時世のなかで、日本人は不便で妙な言語生活下にあると引け目があったが、ここで著者によって指摘されている日本語の将来問題の是非はともかくとして、今の私はこんな拙い文章でもかけるという、恵まれた文化環境に安住していられるのだと痛感した。
この本で日本語の世界的歴史的な位置を考えているうちに、これは日本農業の境遇と同じではないかと思った。現代的に著名な農業地帯の、北米・中西部、ウクライナの穀倉地帯、ブラジル大平原などは歴史的には大人口や文明を養ってきた所ではない。日本列島は二千年来、移住民を含めてかなりの人口を養って、多様で精密な耕作を発展させてきた土地である。今日の国際経済環境では確かに小規模零細経営かもしれないが、それはこの列島の自然環境を生かして、われらの先祖が集約的な取り組みを堅守してきた経過の反映である。確かに産出額を重視するアメリカ農業的視点からいえば、日本農業はつまらない存在かもしれないが、多様な島々の自然条件の活用、二千年におよぶ歴史的な営みとその文化的蓄積からいえば、国ぐるみ自然・文化複合型の世界遺産である。
洞爺湖サミットのメディアセンターの食堂で、リンゴ、みかん、ぶどう、梨、スイカを提供したら、各国のジャーナリストたちが"なぜ新鮮でおいしい果物がこんなにたくさんあるのか"と驚いたそうだが、私たち自身がスーパーの棚に慣れてしまって、一つの例ではあるが日本の果樹産業の恩恵など忘れている。さらに付け加えれば日常的に農山村の恵み、沿岸漁業の豊かさという食生活の構成部分も視野からはみでている。となるとそもそも世界遺産の登録資格がないかもしれない。
日本は大陸の端に位置する島国だが、水村美苗氏にいわせると、その大陸との距離・位置関係が誠に微妙だという。海をへだてて離れすぎると文化が届かないし、もっと近いと直接大陸文明に支配されて独自の文化が育たないという。その島国の代表的というか、象徴的な地域が沖縄である。県外の人々にとっては観光の島であるが、この地を支配しているのは軍事基地ときわめて困難な農業のありかたである。先日、夢でなく正気の時に、「あの島は米軍基地がなければ県民は暮らせないのでしょう?」とまともに聞かれた事がある。沖縄の研究をした経験がないので、よく判らないが多分、観光と農業振興だけではいまの県経済を支えられないだろう。いまも雇用不足問題でいつもマスコミに登場する常連は私の勤務していた青森県と沖縄県である。
先日亡くなられた加藤周一氏のTV追悼番組をみていたら、氏は民主主義における少数意見の代表として日本における「沖縄」の存在を指摘されていた。そこでまた別の文脈で、「日本の国際貢献は軍事分野ではなく、医療・医学だ」とも発言されていた。私は南アジアとも東アジアとも近く気候にも恵まれているので、全島の基地用地を病院・保養所化して、それこそ治療法の確立していない難病や小児がんのような患者を主としてアジアから、そして世界中から招くプロジェクトを展開する国際事業を夢見る。ここにはすこし怪しくなってきているが、伝統食による長寿県の経験もある。
それだけでなく県民はかつて地獄の経験を有し、軍事基地で鍛えられたやさしさをもっている稀有の人々である。だから外国から来た病や傷に悩む人々を迎えうる人間的力量の持ち主でもある。後期高齢者医療制度問題で年寄りに金を使いたくない政府の本心はよく分かったが、沖縄をはじめ離島にもがんばって暮らしている、いま日本の高齢者に十分な医療をなせば、その知見は必ず加齢医学の進歩に寄与し、これからの世界中の高齢者の治療に役立つに違いない。
年が明けてもいまなお世界では戦乱が続き、不幸な死者とともに多くの身体障害者がうまれているに違いない。地雷やクラスター爆弾被害者のこともある。そこで日本の形成外科、金属・プラスチックなどの物質材料科学、さらにはロボット工学の成果を駆使して、ほかならぬ基地沖縄の中にこそ、世界中の義肢注文に対応する国際再生リハビリセンターをつくり、何万という人々を迎える。中国ではこれから航空母艦を造るそうだが、日本はすでに半世紀前に卒業している。いまはイージス護衛艦も豪華客船も造れる世界的な造船技術を発揮して、いままでにない独創的な病院船をつくり、世界中を航海して若い医者の学習・研修も兼ね、難しい患者のそこでの治療と沖縄への入院患者の大量輸送を担当する。
そうなるとすぐ金の問題になるが、いまの日本の軍事費と国際協力費の合体なら予算は何兆円規模でなんら心配はない。初夢に限らず、私の夢にお金がでてきたことはないが。
森川辰夫
昨年末、話題になっていた水村美苗著「日本語が亡ぶとき」を読んで、日本の近代文学というものが世界的にみてひとつの奇跡のようなものだ、それは日本語の成立自体が歴史的、地理的な環境下で奇跡的な成立をしたということが基盤にあるからだ、ということを学んだ。世界的に英語全盛のご時世のなかで、日本人は不便で妙な言語生活下にあると引け目があったが、ここで著者によって指摘されている日本語の将来問題の是非はともかくとして、今の私はこんな拙い文章でもかけるという、恵まれた文化環境に安住していられるのだと痛感した。
洞爺湖サミットのメディアセンターの食堂で、リンゴ、みかん、ぶどう、梨、スイカを提供したら、各国のジャーナリストたちが"なぜ新鮮でおいしい果物がこんなにたくさんあるのか"と驚いたそうだが、私たち自身がスーパーの棚に慣れてしまって、一つの例ではあるが日本の果樹産業の恩恵など忘れている。さらに付け加えれば日常的に農山村の恵み、沿岸漁業の豊かさという食生活の構成部分も視野からはみでている。となるとそもそも世界遺産の登録資格がないかもしれない。
日本は大陸の端に位置する島国だが、水村美苗氏にいわせると、その大陸との距離・位置関係が誠に微妙だという。海をへだてて離れすぎると文化が届かないし、もっと近いと直接大陸文明に支配されて独自の文化が育たないという。その島国の代表的というか、象徴的な地域が沖縄である。県外の人々にとっては観光の島であるが、この地を支配しているのは軍事基地ときわめて困難な農業のありかたである。先日、夢でなく正気の時に、「あの島は米軍基地がなければ県民は暮らせないのでしょう?」とまともに聞かれた事がある。沖縄の研究をした経験がないので、よく判らないが多分、観光と農業振興だけではいまの県経済を支えられないだろう。いまも雇用不足問題でいつもマスコミに登場する常連は私の勤務していた青森県と沖縄県である。
先日亡くなられた加藤周一氏のTV追悼番組をみていたら、氏は民主主義における少数意見の代表として日本における「沖縄」の存在を指摘されていた。そこでまた別の文脈で、「日本の国際貢献は軍事分野ではなく、医療・医学だ」とも発言されていた。私は南アジアとも東アジアとも近く気候にも恵まれているので、全島の基地用地を病院・保養所化して、それこそ治療法の確立していない難病や小児がんのような患者を主としてアジアから、そして世界中から招くプロジェクトを展開する国際事業を夢見る。ここにはすこし怪しくなってきているが、伝統食による長寿県の経験もある。
それだけでなく県民はかつて地獄の経験を有し、軍事基地で鍛えられたやさしさをもっている稀有の人々である。だから外国から来た病や傷に悩む人々を迎えうる人間的力量の持ち主でもある。後期高齢者医療制度問題で年寄りに金を使いたくない政府の本心はよく分かったが、沖縄をはじめ離島にもがんばって暮らしている、いま日本の高齢者に十分な医療をなせば、その知見は必ず加齢医学の進歩に寄与し、これからの世界中の高齢者の治療に役立つに違いない。
年が明けてもいまなお世界では戦乱が続き、不幸な死者とともに多くの身体障害者がうまれているに違いない。地雷やクラスター爆弾被害者のこともある。そこで日本の形成外科、金属・プラスチックなどの物質材料科学、さらにはロボット工学の成果を駆使して、ほかならぬ基地沖縄の中にこそ、世界中の義肢注文に対応する国際再生リハビリセンターをつくり、何万という人々を迎える。中国ではこれから航空母艦を造るそうだが、日本はすでに半世紀前に卒業している。いまはイージス護衛艦も豪華客船も造れる世界的な造船技術を発揮して、いままでにない独創的な病院船をつくり、世界中を航海して若い医者の学習・研修も兼ね、難しい患者のそこでの治療と沖縄への入院患者の大量輸送を担当する。
そうなるとすぐ金の問題になるが、いまの日本の軍事費と国際協力費の合体なら予算は何兆円規模でなんら心配はない。初夢に限らず、私の夢にお金がでてきたことはないが。
森川辰夫
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農本主義のこと④ 農業の世界
- 2009/01/05 (Mon)
- ■ 農 |
- Edit |
- ▲Top
浅輪さんとは、昨年受講した「検証戦後史」クラスに引き続いて、今年は「どうする日本の食と農」という講座でご一緒した。そのクラスも残りわずかとなった。
「片倉様
狭い我が家が、昨夜から華やいでいます。頂いた沢山の花を、あっちの部屋こっちの隅と幾つかに分けて置いたら、その中でも一輪挿しに投げ込んだ一本の花の凛とした美しさが鮮やかです。有難うございました。
昨夜の森能文さんの話は、徹底的な各論の話で、これまでの総論に向けた切り口の話とは全く別の現実に、なるほどと思いました。どなたかの質問に答えて、「農民はコンクリート畦畔でなければ受け入れない」と言い切っていました。これまで十回ほど聞いてきた講座の殆どが、農業近代化への批判でしたから、森さんの指摘を私は重く受け止めました。
今日、『天地有情の農学』を読み終えました。宇根さんはいよいよ近代批判に徹底してきているようですね。これは農学と言うよりも思想運動そのものではないでしょうか。宇根さん自身は、これを新しい農学と位置づけていて、その更に先に百姓学を予想しているようですが、これは、金勘定を離れた農業と言うことになるのでしょうか。
農業を産業の一つと考えないとしたら、そういう非経済的な存在は、無形文化財の一つになるかも知れません。菅野芳秀さんが言った「トキが来る、トキになる」(最後の時が来るぞ、その時俺たちは朱鷺のような人工繁殖で生き残る存在になっているだろう)という巧みな自嘲が思い出されます。
宇根さんが提唱する天地有情の農学は、そうならないために、アカトンボを含む日本の原風景という無形の価値を、農業の生産物の一つとして経済的価値に取り込むことを主張するわけです。そうすれば農業の生産性は一挙に向上します。今や炭酸ガス排出権という無形の物が交換価値を持って市場を形成する時代ですから、原風景の維持を貨幣で表現することだって荒唐無稽とは言い切れませんね。それならむしろ、原風景本位制という通貨制度まで踏み込むべきではないでしょうか。そうすることで初めてコンクリート畦畔を駆逐することが可能になるのではないでしょうか。
これは立派な革命です。先日宇根さんが農本主義と口走ったのは、そう言う革命思想を想定していたのではないでしょうか。
こういう総論に対して、「それは農民には対して説得力を持たないよ」と森さんは言ったのだと思います。ガンディーのような偉大な現実主義政治家ですら、経済主義的な近代化を押し返すことが出来なかったのだから、お伽噺みたいな原風景本位主義など吹けば飛ぶようなものだと思います。
だからこそ、私はそこに惹かれます。都会者の感傷、プチブル的な趣味で終わるかもしれないことを覚悟して、今暫くそう言う考え方にこだわってみたいと思います。
花のお礼のついでに、余計なおしゃべりをしました。浅輪」
片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)
「農村生活」時評16 "高齢者になって高齢者を考える"
昔々「農村高齢者」問題を扱っていた時には、社会全体として一応医療制度をふくむ社会福祉制度の漸進的充実を前提としていたから、私のささやかな予見はその点で崩れているが、研究として明らかにしたつもりの知見の部分が、その後社会の高齢化の進行のなかでどのように試されていくのかは、気になるものである。あの時点で日常生活能力を重視してそれなりに捉まえようと試みたが、そこでの暮らしにおける「気力」の扱いはやはり甘かったと反省している。つまり「農村高齢者」を働き手として生かそうとして現場でいろいろ調べたが、そこでのメンタルな面は当時の農村高齢者の持っていた営農意欲にもたれてしまっていたのだ。身体的な生活能力課題はその補完も支援も少しずつ開発されてきたが、どうも体力低下と気力の問題は自分が年をとってみて高齢者にとってかなりの重みのある厄介者であることがわかった。
先日、つくば研究者9条の会で、駒沢大学・姉歯暁教授の食と農に関する講演を聞き、この「食と農」関連問題は営業品目と思っていた私が、農業経済分野ではない現役世代の研究者の生気あふるる話にあらためて感銘を受けた。そのなかで農村高齢者にも言及されたが、講演全体としてのキーワード及び提起を「社会的連帯・批判的精神・希望」とされたのには驚いた。こういう社会科学として水準の高い話、その根底にある研究はたとえ若くても私にはとてもできないが、現役世代の専門的深化だけの傾向に疑問を抱いていたので、一般の社会的関心はとみに高いが学問では関連分野の多様な、この幅の広い課題をまとめた力量と学問的到達の高みに感心しただけでなく、日本人の「食」を心配する研究者OBとして安心した。
先生の提起された視点でかつての私たちの分析を考え直すと、いくつかの調査報告での農村地域社会での多様な共同活動の重要性の指摘は当たっていたのではないか。もちろんこの提起自体はもっと幅の広い高次の連帯のあり方を問うものであるが、農村に限らず今、小さな共同活動をどのように築いていくかは、これからの日本社会の基本的課題である。しかし二つ目の提起の批判的精神の課題は一連の調査分析に全く欠けていた視点である。この欠落が先の共同活動の再編が現場でうまくいかなかった真因かもしれない。だから高齢者の中でも女性活動が伸びているのは、あまりあからさまでなくとも農村という男性社会のなかで苦しんで前進するなかで、彼女ら自身がこの精神をきたえていたとみることができる。最後の先生の「希望」はあまり社会科学の分野では出てこない言葉なのでそこでは本当に驚いたが、食と農のいわゆる「厳しい現実」を越えて行く改革にとって、これこそ最も必要な事柄だ。
では農村高齢者分析にいかなる「希望」視点があったのか。調査時点ですでに転作は本格化していたし、過疎は深化して村のくらしは楽しい環境ではなかった。しかし聞き取りをしたどの方々も、これから先の5年前後の目安をもって長生きしたいとか、今の状態で働きたいとか、元気に過ごしたいという希望を持っていたことは大事な事実であろう。これがどの年代でも、つまり60歳代前半でも70歳代後半でも同じであったことに強い印象を受けたのである。今の生活を5年先にも続けているということは、私にはとても想定できない。当時の農村高齢者の気力にあらためて感心して、私の「希望」をあと1年、これを続けるということにしたい。
森川辰夫
自産自消のくらし
ここでは、個人として山村での百姓のくらしに触れてみたい。1989年11月16日、正確には前夜15日夜半に、このむらに着いて一夜、このむらでのくらしが始まったのである。
総面積700ha、耕地7haという谷筋の小さな「むら」に、戸数21戸のくらしがあった。
このむらでのくらしは、1,000㎡の屋敷地、30aの水田(実水張り面積18a)、5aの畑と8haの山林との付き合いである。このむらでの16年間の百姓くらしをなぞりたいと思う。
百姓を農作物を自ら作って食べるくらし、そしてそれを自然の循環系の中で完成させたいと位置づけていた。それらは自らが楽しむことであり、家族としてのくらしである。
家庭としての百姓の範囲とは、屋敷地でのくらし、すなわち、日々の日常と百姓と山を楽しむということであり、農作物として作物を作り、食べ物として食べるという自産・自消ということである。
職業として農業・農協に関わってきたが、自らが農業に携わりたいと強く意識したのは1980年代であったと思う。
戦後の農業、特に米について、1970年以降の米の生産調整政策が始まって、農業が従来の社会的位置からはずされる様になった。農業は農業である。工業ではないという思いから自らが農業生産に携わりたいと思うようになった。
農業は自然の循環の系の中で営まれる生産活動である。そして、農作物→食べ物と直結すべきもので、農作物を商品とすることによってくらしとの歪が生じ、商品として高い安いが問題なっている。
農業を「食べ物の生産」と位置づけ、これを自ら作り食べる、自産自消のくらしを考えていた。
小松展之『あわくら通信』第33号(2007.12.25発行)より転載
江南からのメッセージ
「むら私論・第2部」はこのむらでの百姓のくらしの16年を、「農業は自然の循環系の中で営まれる生産活動」として、稲作り、野菜栽培など身辺のくらしの中でどれだけ実践できたか検証してみようと思います。実践という点では、何かと問題が残りましたが、楽しめたという点では十分だったと思います。
山間地域という言葉があります。過疎ということが話題になり始めた1960年代から既に半世紀になろうとしています。限界集落ということも最近では新聞、TVでも度々取り上げるようになり、高齢者問題とも重なっております。
ただ、具体的な山間地域の高齢化した集落の実際は伝わってきません。もっと現実とあり様に就いても情報が発信されてよいと思っています。
高齢者になった身になってみると、高齢者の孤独という点では、山間地でも平場でも変わりが無いようです。むしろ、山間地の方が、相互の交流があるのかもしれません。
小松展之『あわくら通信』第33号(2007.12.25発行)より転載
ノビ
ノビは30才のフィリピン女性です。漁師の夫と6才の息子・4才の娘を残して、2月初めから一ヶ月間、日本に「畜産の研修」のために来ていました。
ノビの住む島の周辺は魚もたくさん捕れて暮らして行くのに困らないけれど、彼女は小学校しか出ていないので、二人の子供はぜひ大学にまでやりたいと願って、そのためのお金を自分で稼ぐために牛飼いになろうとしています。
ノビの島には井上さんというボランティアの日本人がいて、カウプロジェクトというのを立ち上げ、肉用牛をノビたちが彼から借り受け、子牛が生まれたら一頭を返すと次の子牛から自分のものになる、というシステムで牛飼いとしての自立を援助しているらしいです。
今回の研修は、福岡県国際交流センターの主催で『NPO等共同人材育成事業』という事業で「NPO女性エンパワーメントセンター福岡」の協力によるものです。エンパワーメントのメンバーが私の知人で「どこか研修受入先を紹介して」と頼まれました。
いろいろあって、最終的には築上町の大石牧場にお願いしました。大石牧場の後継者の嫁さんがフィリピンの人で、しかも、年齢もノビと同じなので、意思疎通という最大の問題が難なくクリア出来て、ラッキーでした。
本当は肉牛の牧場が良かったのだけれど、私が無理を言えるのはやっぱり酪農家しかいなくて、だから、ノビのために役に立つ研修になったかどうか…。
ノビの島での牛飼いは、原っぱに放牧して、雑草を自由採食させるというシンプルなもので、穀物などのいわゆる飼料は一切やらないそうです。日本の牛飼いは牛舎の中に牛をつないで、いろんなエサをいっぱい与えて、一日中ウンコ掃除ばかりしている、と少々あきれぎみでした。
朝晩の仕事の合間に、私が車で近隣の牧場を案内したり、いろんな友人に会わせたり(というより、英語がしゃべれない私は、単語を並べるだけで、それでもノビは少し日本語も分かるので何とか通じているようなのだけど、ノビの話す英語を私は全く聞き取ることが出来なくて、英語を話せる友人の所に助けを求めに行ったというのが実態です)、それなりにノビの少ない日本での研修期間に実りある経験を…と心を尽くしたつもりです。
ノビは大変な努力家で勉強熱心で、いろいろ質問します。私の説明が不十分で理解出来なくても、その夜、インターネットなどで調べて、翌日には「OK!、よく分かった」となっているのです。
例えば、道路脇のいちぢく畑を見て「あれは、何?」でも、いちぢくって英語で何ていうの?分からなくて、いろいろ言って、最後には断面の絵を描いてみたりしたけど「よく通じてないなぁ…」ところが翌日、「いちぢく、OK!」なのです。エライねぇ。
豊前市の肉牛の牧場の見学に行ったら、ちょうど大量の「おから」を給与しているところでした。「あれは何?」う~ん、大豆って何て言うんだっけ?よく分からないけど、とにかく「ビーンをマッシュして、トーフという食べ物を作る」「トーフは人間がイートする」「トーフのカス」「う~ん、カスって、分からないよねぇ、カス、う~ん、ゴミ?」などという、ほとんど禅問答。
でも、翌日、ノビは「ソイビーンね、OKよ」
そうか、大豆はソイビーンなのか、そういえば、トヨエツがコマーシャルやってる大豆のバー状食品の名がソイジョイだったよなぁ、そうかぁ…。
勉強になります。
勉強家で意欲的で陽気で酒豪のノビはカウプロジェクトの「ボス」井上さんにとてもかわいがられ信頼されているようです。きっと将来、島の牛飼いのリーダーに育って行くでしょう。
夫と二人で南の島で、半農半漁でのんびりゆったりとくらして行けたら、そんな生活がずっと子どもへ、孫へと続いて行けたら…と思います。でも、「子どもたちを大学へやりたい」「娘を看護師にして、出来れば日本の病院で働けるようにしてやりたい」というノビの強い思いは、彼女の生きて来た30年の暮らしの重さから発するものだろうから、それに対して「大学に行って、日本で働いても幸せになるとは限らないよ」なんて言えません。
ノビの願いと同じ願いをみんな強く求めた時代が我々にもあって、そこをみんな登って、登り詰めて、社会全体が崩落してしまった日本という国の我々だから、「貧しくても、自然の恵みの中でゆったりとくらせるのが幸せ」などと言えるのですね。ノビには言えない。
ノビの夢がかなうといいね、ガンバレ、ノビ。
ノビの住む島の周辺は魚もたくさん捕れて暮らして行くのに困らないけれど、彼女は小学校しか出ていないので、二人の子供はぜひ大学にまでやりたいと願って、そのためのお金を自分で稼ぐために牛飼いになろうとしています。
ノビの島には井上さんというボランティアの日本人がいて、カウプロジェクトというのを立ち上げ、肉用牛をノビたちが彼から借り受け、子牛が生まれたら一頭を返すと次の子牛から自分のものになる、というシステムで牛飼いとしての自立を援助しているらしいです。
今回の研修は、福岡県国際交流センターの主催で『NPO等共同人材育成事業』という事業で「NPO女性エンパワーメントセンター福岡」の協力によるものです。エンパワーメントのメンバーが私の知人で「どこか研修受入先を紹介して」と頼まれました。
いろいろあって、最終的には築上町の大石牧場にお願いしました。大石牧場の後継者の嫁さんがフィリピンの人で、しかも、年齢もノビと同じなので、意思疎通という最大の問題が難なくクリア出来て、ラッキーでした。
本当は肉牛の牧場が良かったのだけれど、私が無理を言えるのはやっぱり酪農家しかいなくて、だから、ノビのために役に立つ研修になったかどうか…。
ノビの島での牛飼いは、原っぱに放牧して、雑草を自由採食させるというシンプルなもので、穀物などのいわゆる飼料は一切やらないそうです。日本の牛飼いは牛舎の中に牛をつないで、いろんなエサをいっぱい与えて、一日中ウンコ掃除ばかりしている、と少々あきれぎみでした。
朝晩の仕事の合間に、私が車で近隣の牧場を案内したり、いろんな友人に会わせたり(というより、英語がしゃべれない私は、単語を並べるだけで、それでもノビは少し日本語も分かるので何とか通じているようなのだけど、ノビの話す英語を私は全く聞き取ることが出来なくて、英語を話せる友人の所に助けを求めに行ったというのが実態です)、それなりにノビの少ない日本での研修期間に実りある経験を…と心を尽くしたつもりです。
ノビは大変な努力家で勉強熱心で、いろいろ質問します。私の説明が不十分で理解出来なくても、その夜、インターネットなどで調べて、翌日には「OK!、よく分かった」となっているのです。
例えば、道路脇のいちぢく畑を見て「あれは、何?」でも、いちぢくって英語で何ていうの?分からなくて、いろいろ言って、最後には断面の絵を描いてみたりしたけど「よく通じてないなぁ…」ところが翌日、「いちぢく、OK!」なのです。エライねぇ。
豊前市の肉牛の牧場の見学に行ったら、ちょうど大量の「おから」を給与しているところでした。「あれは何?」う~ん、大豆って何て言うんだっけ?よく分からないけど、とにかく「ビーンをマッシュして、トーフという食べ物を作る」「トーフは人間がイートする」「トーフのカス」「う~ん、カスって、分からないよねぇ、カス、う~ん、ゴミ?」などという、ほとんど禅問答。
でも、翌日、ノビは「ソイビーンね、OKよ」
そうか、大豆はソイビーンなのか、そういえば、トヨエツがコマーシャルやってる大豆のバー状食品の名がソイジョイだったよなぁ、そうかぁ…。
勉強になります。
勉強家で意欲的で陽気で酒豪のノビはカウプロジェクトの「ボス」井上さんにとてもかわいがられ信頼されているようです。きっと将来、島の牛飼いのリーダーに育って行くでしょう。
夫と二人で南の島で、半農半漁でのんびりゆったりとくらして行けたら、そんな生活がずっと子どもへ、孫へと続いて行けたら…と思います。でも、「子どもたちを大学へやりたい」「娘を看護師にして、出来れば日本の病院で働けるようにしてやりたい」というノビの強い思いは、彼女の生きて来た30年の暮らしの重さから発するものだろうから、それに対して「大学に行って、日本で働いても幸せになるとは限らないよ」なんて言えません。
ノビの願いと同じ願いをみんな強く求めた時代が我々にもあって、そこをみんな登って、登り詰めて、社会全体が崩落してしまった日本という国の我々だから、「貧しくても、自然の恵みの中でゆったりとくらせるのが幸せ」などと言えるのですね。ノビには言えない。
ノビの夢がかなうといいね、ガンバレ、ノビ。
渡辺ひろ子『私信 づれづれ草』NO.7(2008.4.7発行)より転載。
-「肥だめ」の心くみ取ろう-
・・・・・・・・・・「肥だめ」の心くみ取ろう 環境白書
「江戸時代の知恵を途上国循環社会へ」
政府は3日、08年度の「環境・循環型社会白書」を閣議決定した。今回は、バイオマス資源の活用や省資源型のものづくりなど低炭素、自然共生、循環型の社会へのヒントを江戸時代に見いだす趣向。今後、江戸の知恵を途上国にも広めていくという。
白書では、江戸時代の社会システムを検証。特に「肥だめ」の効用についてほぼ1ページを割いて詳細に解説した。し尿は放置しておくと悪臭ばかりか感染症の源にもなる。しかし、し尿を肥だめに入れておくと嫌気性細菌の代謝作用で、安全な肥料として安定化された。こうして都市住民のし尿が肥料として農村に運ばれ、その肥料でつくられた作物が都市で消費されており、白書は「まさに循環型社会を構築していた」と絶賛している。
このほか、壊れた茶わんや破れた傘を直すなど多種多様なリユース(再使用)とリペア(修理)産業があったことも紹介している。
ただし、現代の日本で実践できる取り組みは少ない。環境省は「発展段階の違う途上国でも循環型社会をつくれるということをアピールしていきたい」とする。
一方、温暖化問題で白書は、世界で排出量取引市場が広がっている点などを挙げ、「低炭素社会に向けて転換期を迎えている」と指摘した。・・・・・ 08.6.3 朝日(夕刊) ・・・・・
江戸時代の暮らしがほぼ完全な循環型社会だったということは広く知られています。それをやっと「お国」として認めたのは立派立派と評価するけれど、それで何?「現代の日本で実践出来る取り組みは少ない」でも「発展段階の違う途上国でも循環型社会をつくれるということをアピールしていきたい」だって?
何という高慢な言いぐさでしょう。
「日本でも昔は絶賛すべき循環型社会を構築していた。だけど、それを壊して、大量生産大量消費社会にどっぷりと浸かって、結果、大量の資源を浪費し、大量の廃棄物を生み出し、大気を汚し、水を汚し、公害を垂れ流し、温暖化を進めてきた。そうやって構築した今の快適な暮らしを手放す気は我々にはさらさらないけれど、まだ途上国のあんたたちに、江戸時代の循環型社会形成のノウハウを教えてやるから、あんたたちは少しは不便でも環境に優しい暮らしをしなさいよ」
ということですよね。とんでもないヤツラですよ、我々日本人は。
現代の日本で実践できる取り組みは少ない、なんてほざくなよ。現代の科学技術を使って上手に江戸時代の暮らしに戻ることは可能でしょ?いまよりちょっと不便になったって、それは不幸ではないし、人間はすぐに順応するんだから。
それと、「世界で排出量取引市場が広がっている」という、このCO2排出量を国家間で売り買いするという思想というか論理というか、理解出来ません。出さなくて済む国は出さない、でいいわけで、それを出す国がもっと出すためにワクを買い取るなんて…。汚い思想です!
渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.9(2008.10.2発行)より転載。
中国の牛乳
メラミンというと、給食の食器しか思いつかないのですが、きっと粉末状なのでしょうね。これを牛乳に混ぜるとたんぱく質が高くなる(ような測定値が出る)のだそうです。普通の牛乳を水で薄めてメラミンで成分をかさあげしていたらしいです。すごいこと考えつくものだと悪知恵に関心したりして…。
で、ミルクを大量に飲む赤ちゃんが被害を被っているわけです。深刻な被害を出していることも、もちろん腹立たしいけれども、もう一つ、私がこのメラミン牛乳事件で頭に来るのは、日本の酪農家は経営悪化で次々と廃業に追い込まれているというのに、実は乳製品を中国からまで大量に輸入しているという事実が、こんな形で明らかになったということです。
三笠フーズの「事故米」事件もそうですが、食品メーカーが「少しでも安い原材料を」と望むところから問題は発生して行くのです。もちろん「コストダウン」はメーカーにとって最大の努力課題なのだけれど、「安い」ものには「安い理由」が必ずあるわけで、そんなことは各メーカーも百も承知で仕入れているはずです。
「安い」「たくさんある」=「善」という思想から脱却しないと「食」を巡る事件や問題の発生を減らすことは出来ないと思います。
それにしても中国の人たちもいろいろと次々と「創意工夫」してくれますねぇ。
ところで、同じ中国の牛乳に関しての記事を見つけました。
この記事にある牛乳って、放牧という点を除けば日本の普通の牛乳と同じです。それが1リットルで日本円にして350円だって?
中国経済の発展はめざましく、所得もどんどん伸びていると聞くけれど、それにしても1リットル350円の牛乳が買える人って何割くらいいるのでしょうか。日本の資本とすぐれた技術は今や海外の一部富裕層に注ぎ込まれていて、日本の貧民層は海外の安い汚染食材をあてがわれ、それが国内の生産者の首を更に絞めるという図式を象徴的に見せてくれたのが中国牛乳ですね。
私たちは既に使い捨てられた民なのでしょうか。
渡辺ひろ子『私信 づれづれ草』NO.11(2008.10.2発行)より転載
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