農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
「農村生活」時評16 "高齢者になって高齢者を考える"
昔々「農村高齢者」問題を扱っていた時には、社会全体として一応医療制度をふくむ社会福祉制度の漸進的充実を前提としていたから、私のささやかな予見はその点で崩れているが、研究として明らかにしたつもりの知見の部分が、その後社会の高齢化の進行のなかでどのように試されていくのかは、気になるものである。あの時点で日常生活能力を重視してそれなりに捉まえようと試みたが、そこでの暮らしにおける「気力」の扱いはやはり甘かったと反省している。つまり「農村高齢者」を働き手として生かそうとして現場でいろいろ調べたが、そこでのメンタルな面は当時の農村高齢者の持っていた営農意欲にもたれてしまっていたのだ。身体的な生活能力課題はその補完も支援も少しずつ開発されてきたが、どうも体力低下と気力の問題は自分が年をとってみて高齢者にとってかなりの重みのある厄介者であることがわかった。
先日、つくば研究者9条の会で、駒沢大学・姉歯暁教授の食と農に関する講演を聞き、この「食と農」関連問題は営業品目と思っていた私が、農業経済分野ではない現役世代の研究者の生気あふるる話にあらためて感銘を受けた。そのなかで農村高齢者にも言及されたが、講演全体としてのキーワード及び提起を「社会的連帯・批判的精神・希望」とされたのには驚いた。こういう社会科学として水準の高い話、その根底にある研究はたとえ若くても私にはとてもできないが、現役世代の専門的深化だけの傾向に疑問を抱いていたので、一般の社会的関心はとみに高いが学問では関連分野の多様な、この幅の広い課題をまとめた力量と学問的到達の高みに感心しただけでなく、日本人の「食」を心配する研究者OBとして安心した。
先生の提起された視点でかつての私たちの分析を考え直すと、いくつかの調査報告での農村地域社会での多様な共同活動の重要性の指摘は当たっていたのではないか。もちろんこの提起自体はもっと幅の広い高次の連帯のあり方を問うものであるが、農村に限らず今、小さな共同活動をどのように築いていくかは、これからの日本社会の基本的課題である。しかし二つ目の提起の批判的精神の課題は一連の調査分析に全く欠けていた視点である。この欠落が先の共同活動の再編が現場でうまくいかなかった真因かもしれない。だから高齢者の中でも女性活動が伸びているのは、あまりあからさまでなくとも農村という男性社会のなかで苦しんで前進するなかで、彼女ら自身がこの精神をきたえていたとみることができる。最後の先生の「希望」はあまり社会科学の分野では出てこない言葉なのでそこでは本当に驚いたが、食と農のいわゆる「厳しい現実」を越えて行く改革にとって、これこそ最も必要な事柄だ。
では農村高齢者分析にいかなる「希望」視点があったのか。調査時点ですでに転作は本格化していたし、過疎は深化して村のくらしは楽しい環境ではなかった。しかし聞き取りをしたどの方々も、これから先の5年前後の目安をもって長生きしたいとか、今の状態で働きたいとか、元気に過ごしたいという希望を持っていたことは大事な事実であろう。これがどの年代でも、つまり60歳代前半でも70歳代後半でも同じであったことに強い印象を受けたのである。今の生活を5年先にも続けているということは、私にはとても想定できない。当時の農村高齢者の気力にあらためて感心して、私の「希望」をあと1年、これを続けるということにしたい。
森川辰夫
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