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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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自産自消のくらし

yasai2.jpg 山の中の「このむら」で、百姓をして16年をくらした。学生として農学を学び、社会人として職業としての農業と農協に関わってきた身にとって、自らの百姓は還暦になって初めての体験であった。
 ここでは、個人として山村での百姓のくらしに触れてみたい。1989年11月16日、正確には前夜15日夜半に、このむらに着いて一夜、このむらでのくらしが始まったのである。
 総面積700ha、耕地7haという谷筋の小さな「むら」に、戸数21戸のくらしがあった。
 このむらでのくらしは、1,000㎡の屋敷地、30aの水田(実水張り面積18a)、5aの畑と8haの山林との付き合いである。このむらでの16年間の百姓くらしをなぞりたいと思う。
 百姓を農作物を自ら作って食べるくらし、そしてそれを自然の循環系の中で完成させたいと位置づけていた。それらは自らが楽しむことであり、家族としてのくらしである。
 家庭としての百姓の範囲とは、屋敷地でのくらし、すなわち、日々の日常と百姓と山を楽しむということであり、農作物として作物を作り、食べ物として食べるという自産・自消ということである。
 職業として農業・農協に関わってきたが、自らが農業に携わりたいと強く意識したのは1980年代であったと思う。
 戦後の農業、特に米について、1970年以降の米の生産調整政策が始まって、農業が従来の社会的位置からはずされる様になった。農業は農業である。工業ではないという思いから自らが農業生産に携わりたいと思うようになった。
 農業は自然の循環の系の中で営まれる生産活動である。そして、農作物→食べ物と直結すべきもので、農作物を商品とすることによってくらしとの歪が生じ、商品として高い安いが問題なっている。
 農業を「食べ物の生産」と位置づけ、これを自ら作り食べる、自産自消のくらしを考えていた。

小松展之『あわくら通信』第33号(2007.12.25発行)より転載
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