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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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農本主義のこと④ 農業の世界

roses.jpg 仕事のお礼にいただいたバラの花束を、家に持ち帰らずに、PARC自由学校の受講仲間の浅輪雅夫さんにさしあげた。いただいた花が美しすぎて、わが家には飾るに似つかわしい場所が見当たらないからである。さしあげた花のお礼に、「農業の世界」というタイトルのメールをいただいた。
 浅輪さんとは、昨年受講した「検証戦後史」クラスに引き続いて、今年は「どうする日本の食と農」という講座でご一緒した。そのクラスも残りわずかとなった。
 「片倉様
 狭い我が家が、昨夜から華やいでいます。頂いた沢山の花を、あっちの部屋こっちの隅と幾つかに分けて置いたら、その中でも一輪挿しに投げ込んだ一本の花の凛とした美しさが鮮やかです。有難うございました。
 昨夜の森能文さんの話は、徹底的な各論の話で、これまでの総論に向けた切り口の話とは全く別の現実に、なるほどと思いました。どなたかの質問に答えて、「農民はコンクリート畦畔でなければ受け入れない」と言い切っていました。これまで十回ほど聞いてきた講座の殆どが、農業近代化への批判でしたから、森さんの指摘を私は重く受け止めました。
 今日、『天地有情の農学』を読み終えました。宇根さんはいよいよ近代批判に徹底してきているようですね。これは農学と言うよりも思想運動そのものではないでしょうか。宇根さん自身は、これを新しい農学と位置づけていて、その更に先に百姓学を予想しているようですが、これは、金勘定を離れた農業と言うことになるのでしょうか。
 農業を産業の一つと考えないとしたら、そういう非経済的な存在は、無形文化財の一つになるかも知れません。菅野芳秀さんが言った「トキが来る、トキになる」(最後の時が来るぞ、その時俺たちは朱鷺のような人工繁殖で生き残る存在になっているだろう)という巧みな自嘲が思い出されます。
 宇根さんが提唱する天地有情の農学は、そうならないために、アカトンボを含む日本の原風景という無形の価値を、農業の生産物の一つとして経済的価値に取り込むことを主張するわけです。そうすれば農業の生産性は一挙に向上します。今や炭酸ガス排出権という無形の物が交換価値を持って市場を形成する時代ですから、原風景の維持を貨幣で表現することだって荒唐無稽とは言い切れませんね。それならむしろ、原風景本位制という通貨制度まで踏み込むべきではないでしょうか。そうすることで初めてコンクリート畦畔を駆逐することが可能になるのではないでしょうか。
 これは立派な革命です。先日宇根さんが農本主義と口走ったのは、そう言う革命思想を想定していたのではないでしょうか。
 こういう総論に対して、「それは農民には対して説得力を持たないよ」と森さんは言ったのだと思います。ガンディーのような偉大な現実主義政治家ですら、経済主義的な近代化を押し返すことが出来なかったのだから、お伽噺みたいな原風景本位主義など吹けば飛ぶようなものだと思います。
 だからこそ、私はそこに惹かれます。都会者の感傷、プチブル的な趣味で終わるかもしれないことを覚悟して、今暫くそう言う考え方にこだわってみたいと思います。
 花のお礼のついでに、余計なおしゃべりをしました。
                                     浅輪」
 
片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)
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