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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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「農村生活」時評26 "地震に揺すられて"

 暑い最中、続けて3回もゆらゆらと地震に陋屋が揺られた。私のすむ茨城県南部は日頃から地震が多く、その上わが家が建っているのが安い小規模開発地で地盤が悪く、それなりに揺れるのには慣れている。それでもこの三回にわたる連続地震は気持ちよくない。高齢者なので朝、早くから目覚めることが多いが、あの日の朝、何かの知らせか、5時前に目覚めて枕元のラジオをつけた。定時ニュースの最中、聞き覚えのあるチャイムが鳴る。何だ?と思ったら「緊急地震速報」という。その後すぐ、ゆらゆらときたから速報が間に合ったことになるが、布団から出る間もなく寝ぼけていて何も出来なかった。しかしかねてから話題の予知らしきものを聞いた始めての経験である。
 私自身が農村生活研究に従事していた時代は、戦後でも特別な私の表現では「好天好況の20年」で直接災害研究の経験がないが、ごく身近の研究者の知人には災害研究の実績がある。昔々勤務した旧中国農試は阪神・淡路大震災に際して農水省研究としては大規模な共同研究を実施して同僚たちが報告書を執筆している。また雲仙普賢岳の火山災害については、かつて度々農村調査をともにしたことのある九州大学の社会学グループが長期の調査研究を進めて浩瀚な報告書が出ている。日本列島は地球上で難しい位置にあるから、災害の種類には恵まれている。
 研究者としてはこのように報告書を書くのが仕事だが、この種の救援・復旧関係業績はデータを着実に積み上げていく考古学の遺跡発掘報告書とは性格が異なる。やはり被害地の直接関係する住民だけでなく、災害列島に住む現今の日本人の危機管理のノウハウとして生かされねばもったいない。いや台風害についてはどうやらアジアに共通のようであり、地震災害についてはまさに世界各国共通の悩みであろう。地震害については工学としての新知見がその後の建物構造とか大型構造物の設計には生かされているようだが、災害を受けた住民「生活」の再建課題はそこの政治的側面が関与するから、なかなか社会化というか、一般化しないようである。戦争難民が何千万人も生まれている時に自然災害だけを対象として特別視することにもちろん問題があるが、いわゆる難民問題よりも人道的介入がやり易く、いわば政治的側面がやや弱くなっていて、ミャンマーの台風害のように外国から対応しやすいのではないか。
 災害救助の初期はもちろん人命対策が第一でなによりも医療が優先する。そこでの物資としては水、薬品、非常食品である。災害後数日からは助かった人の本当の「生活再建」が課題として浮上する。支援体制を別にして救援物資だけを想定すれば飲用を含む生活用水、当座の食料、最低の衣料と寝具、そして雨露をしのぐテントや簡易住宅という順序になるのか。この段階、いわば緊急の救助活動がおわり恒久的な建物の再建などが始るまでの期間が実はもっとも長期にわたるのである。この生活再建の本番である、暮らしの期間の営みがあまりにも日常的というか、常識的な中味であり、早い話が映像ジャーナリズムの対象になり難い。しかし近年、外見からではわからないこの時期における被災した子どもの心理対策が強調されるように、また成人にとっても疲れの出る頃で、被災者生活研究としてはここが勘所であろう。
 したがって多様な解決が求められる現実があるが、私は余り話題にならないが、ィ・簡易な給食体制であってもどういう献立構成するか、ロ・集団生活でのトイレをどうするか、ハ・簡易な建物の場合の寝具の保温方式、ニ・集団生活での入浴体制をどうするか、ホ・子どもの保育などが気になる。しかしなかでも被災地への食料供給つまり農業・農村との接点がわれわれ業界関係者の課題である。各自治体で災害用食品の備蓄が進められているが、それはいわばごく初期の対策である。そのあとの食生活は自己責任というのが国の政策かもしれないが、住民にはかなり長期に基本的な生鮮食料品の供給体制が必要だし、なによりも給食体制が不可欠であろう。被災地におけるこれまでの自治体のやりかたをみると、予算の制限のせいだろうが、とりあえず手軽なおにぎり、菓子パンの提供があったりして、その後は体制が整備されてもせいぜい仕出弁当の配給である。これでは飢えは防げるが「生活」支援でもなく、ましてや住民には再建の元気もでない。
 "常日頃からこういう事態に備えよ"、といっても今の社会では絵空事で、世間知らずの妄言あつかいだろう。そこでなにかしら今の現実とつながるような、このご時世でも実現可能な提起が必要である。といっても妄言に近く、いかにもお粗末だが二つの提案をしておきたい。
 ひとつは昔から提案してきたつもりだが、学校の休みの期間に学校給食施設を使わせてもらって住民が参加していわゆる避難訓練だけでなく、作るところから食べるところまで体験する活動を展開することである。こんなことは自校方式で気の利いた自治組織ならすぐできる。しかしもっと一般化するにはいわゆる給食センターを利用して、あくまで有志参加でごく小規模にやることである。それも地元の高齢者施設だけを対象に試みてみることも意義があるのではないか。地元で大火事が起きてから、"そういう恵まれない高齢者の方々が住んでおられたのですか"、と驚くのでは悲しいことである。
 もうひとつは都会と農村の自治体が協定を結んで災害救援のシステムをつくっているが、そこで遠距離ではあるがこの給食支援体制の模擬活動をお互いにやりあってはどうかということである。この種の行政上のことについては無知なので何も具体的にいえないが、住民と役所がその気になればいろいろなことが出来そうである。
 いずれにしてもいくらかの予算が必要だが、一番むずかしいのは関係者の話し合いとその組織化ではないか。世間では災害ボランティアの実践活動が進んでいるが、もうすこし進めて市民参加の水準にまで高めるには、農村地域での実践で普及員の方々が積み上げてきた、住民と行政の双方を視野に入れた、これまでの生活組織化のノウハウが必要だ。こういう新しい活動が進めば普及知見の新しい領域への今日的適用になる、ということを頼む立場の人も頼まれる立場の人も気づいてないのではないか。

森川辰夫
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心臓バクバク

 6月13日、第五回竜一忌が開催されました。
 私は例年通り第2部の飲食しながらのリレートークの司会です。
 とりあえず乾杯。缶ビールをきゅーっと・・。
 実は私、ちょうど一年ぶりのアルコールでした。「家庭の事情」というやつで、ずーっと断酒していまして、去年の竜一忌以来の本当に一年ぶりのビールでした。
 それに、考えてみると朝からほとんど何も食べていなくて、それが午後5時のいきなりのきゅーっ、です。リレートーク前半は口のすべりもなかなか快調で、これといったミスもなく進んでいました。発言者がしゃべっている間にも、ビールをちょこちょこ。で、ますます口はなめらかに・・・と思っていたら、そろそろ終わりが近づいて来たぞ、というところになって異変が・・。
 しゃべる声が上ずった感じがするなぁと思ううちに、息が苦しくなり、一言ごとに肩で息をする感じになり、やがて心臓バクバク。
 350ccの缶ビール1本と半分くらいしか飲んでいないのに、こんなに気分が悪くなるなんて思いもしなかったよ。
 それでも何とか閉会まで平静をよそおい、後片付けはロクに手伝わず、どてーっとしていました。
 実は、毎年この後、スタッフでカラオケに行ってガンガン歌いまくるのが恒例になっているのです。それをとても楽しみにしていました。この年になると、カラオケに行く機会なんてめったにありません。年に一度の大イベントなのです。
 何が何でもカラオケに行くぞぅと、人に支えられながら、やっとこさで中津駅近くのカラオケルームにたどりついたけれど、ソファに座っていることもままならず、ぐにゃ。
 こりゃあとてもじゃないがとても歌うことなんて無理。へたすりゃ酔っ払いとして最悪の迷惑かける結果になりかねない。
 「ごめん、汽車で帰る」
 駅まで梶原玲子ちゃんが送ってくれ、なんとか築城駅までたどり着きました。
 そこから家までタクシーです。このタクシーの運転手のおいちゃん、どうやら私の顔を知っていたらしく、戦時中に爆撃を受けた町内の小学校の犠牲者の慰霊碑を建てる計画などいろいろ話しかけるのです。とても気分は悪いのだけれど、むげにも出来ずあいづちを打ちながら「早く家に着いてくれぇ」と祈ったのでした。後日、カラオケで盛り上がった話をいっぱい聞いて、本当にくやしい思いをした、残念無念の竜一忌でした。
 悔しいーっ!

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.17(2009.7.5発行)より転載

近況を知らせる手紙(下)

kusa.jpg 草との闘いは負けそう。闘う草には3種あって、1つはこの私の畑の草。畝と畝の間にびっしり生え出して、雨間を見ては草引きに行くけど、引き終わる頃には引いたところにもう生え出して、追いかけっこも甚だしい。夫は、畝と畝の間を広くして、管理機が入るようにすればよかったのにと、今頃になってご忠告。来年はその通りにします。

 もう1つの草は、田んぼの畦草。田植え前とその後、そして2週間前にと、もう3回刈りました。30aの5枚の田んぼの畦は、刈り払い機で刈りだせばそう大変ではないけれど、少し刈り遅れると、刈り払い機に巻きついて、歯の回転が止まってしまうので、しょっちゅう巻きついた草を取り除かなければなりません。
 畦の斜面は刈ることはなかなかつらい。畦の上からと下からと2段構えで草を刈るのですが、刈り払い機を大きく振り上げ、振り下げ、そのために足に力を入れて踏ん張らなければならない。山の中の1つの田んぼは、畦ののり面が大きく、3段構えで刈らなければならない。それも急斜面であるから足場も十分でない。ここでずり落ちて、しかも回転している歯の上に落ちることにでもなったら…。まったく命がけです。母が隣の田んぼの畦の刈り跡と比べて、いつも「(隣の田んぼの)嫁さんは上手に刈らっせる」と言うのですが、刈り払い機を使ったことのない母には、この命がけを分かってもらえないのです。
 そして、刈って散らばった草を寄せたり、溝に落ちた葉を引き上げたりして、3~4日後には、枯れた草を燃やさなければならない。これも大変。風のない夕方、熊手で枯れ草をかき集め、ライターで火を付ける。さっと火がついて燃えてくれればいいけど、生乾きだったりするとなかなか火がつかない(雨が多い今時分は、表面は枯れていても、内側はまだ枯れ切っていないところが多い)。ブスブスくすぶる火に手こずり、やっと出てきた煙に燻られ…。でも、この草が燃えるにおいは、郷愁をくすぐられ、嫌いではなく、夏の夕方、日が沈み、夕飯のために家に急ぐ若いころの切ない心持が甦ります。
 ところで、このような思いをして畦草刈りをしているというのに、わが夫は、やれ刈り手が確保できたとばかりに、手を出さなくなったのですよ。夫は、こちらが痺れを切らすまで、なかなか刈ろうとはしないので、たまりかねて私が刈るのをしめたと思っているのです。畦が草ぼうぼうなのは許せないという私の美意識が、この草刈り戦の敗因となっているのです。

 3つ目の草は、屋敷周りの草。母は自分の畑の手入れや草引きに往生しているので、いつの間にか、屋敷周りの草引きは私の仕事になりました。(屋敷と言っても大きなお屋敷ではなく、この辺りでは家の周辺のことを、どんなに小さなあばら家でも屋敷周りというのですが、誤解のないように)これもあっという間に生えてきて、洗濯物を干したりとり込んだりした時に気がついて引き出すと、あっちもこっちもと目につき、始末に負えません。裏庭は、あまり日が当らずに、生えてくる草もヒョロヒョロで引きやすいですが、表の庭は良く日が当り、人に踏まれるところなど、葉は地面に広がり、しっかり根をおろしているので、草引き鎌で掘り起こさなければなりません。でも、除草剤をまかれてはならないと、これから盆前には心して取り除くべく、覚悟をしています(あまり草がひどいと、母は除草剤をかけるのです。もっとも最近は噴霧器を背負う元気がなくなったのですが、夫や隣人に頼むこともあるので、油断できない)。

 以上この3つが草との闘いであると思っていたら、もう1つ手ごわい相手が現れました。田の草です。田植え直後に除草剤を振るのですが、今年は除草剤散布後の水管理が悪くて、家の裏の田んぼ2枚にひどくたくさんの草が出現しました。そうなると義母が黙っていません。「田の草をとれ」「そのままでいい、減収しても大したことない」(嫁の私ではなく、息である夫との応酬です)すったもんだの挙句、とうとう田の草取りをする羽目になりました。"泣く子と地頭ならぬ(姑)には勝てぬ"です。こちらが泣きたい!
 草との闘い、まだ始まったばかり。あと2カ月は、本格戦になる模様。草刈り鎌を振り上げる右腕・右肩がいつまで持つかが心配です。

 ところで、お隣の富加町で梨園を始めた人がいます。今年はオーナー制を売り出したところ、50人のオーナーができて、8月中ごろの日曜日に収穫祭をされます。その梨園の奥さんはJAの元生活指導員さんで、娘さんは、3月まで一緒に仕事をしていた普及員さんです。そういう縁があって、収穫祭には、梨カレーをオーナーさんに振る舞う手伝いをすることになりました。というか、こういうことをして楽しんだらいかが?と持ちかけたら、乗ってこられたのですけど。梨カレーは、昨年「現代農業」誌で見て、やってみたら結構よかったので、いつかどこかでやってみようと思っていたのです。
 ○子さんのところがもっと近かったら、作って持って行ってあげたい。今が一番忙しく、食事の準備もままならないとか。今採れ始めたブラジル野菜は、煮込む料理に適しているようなので、たくさん作って届けてあげたい。だけど私も今は暇がなく、一刻でも多く畑に出て、草引きをせねばならない身の上なので、食事を届けて上げられないのですが、いつか、何か送ることができるかもしれません。
 体もあまり酷使しないように、ひざや首の痛みが再発しないように、十分心がけてください。くれぐれも無理しないように、食べるものも食べて。ではまた。岐阜へ行くことがあったら寄ります。ありがとう!  7月3日書く

『ひぐらし記』No.22 2009.7.20 福田美津枝・発行 より転載

近況を知らせる手紙(上)

 岐阜市の西で、ハウストマトとスイートコーン、梨と柿の果樹園を経営している○子さんから、トマトとスイートコーンに添えて近況を尋ねる手紙がきました。これからは野菜つくりを始めると宣言したので「野菜苗は育っているか」「草との戦いには負けていないか」などと書かれていた、その手紙への返事です。私の近況をごっそり書いたので、皆様にも近況をこの返事でお知らせします。
 
e359dc90.jpg 今日もまた雨になりました。
 たくさん、トウモロコシとトマトを送っていただいて、ありがとうございました。
 わが家のトウモロコシは、昨日、夫が、第1回播きのものを、2つだけ色んでいるから、採って茹でるようにと言いましたが、たった2つばかり茹でてもしょうがないと思って、そのままにしていました。その後播いたもののヤングコーンがかごにたくさん採ってきてあるので、今日はその始末(剥いて茹でておく)をするつもりでした。だから、今日は送ってもらったトウモロコシをゆでて食べます。ありがとう。トマトもまだ色んでいないので(雨が多いせいか、なかなか色まない)、嬉しいです。今、早速1個かぶりつきました。ああおいしい。夏の香りがします。今、一番忙しいという時なのに、お手数をかけて申し訳なくも、ありがたく戴きます。

 一般の野菜は、母が作るので、私はブラジル野菜(トマト、ナス4種類くらい、ズッキーニ、ピーマン2種類、カボチャ、オクラ、レタス、つる菜みたいなもの)を育てています。その他には山クラゲ、バジル。これらは、ブラジル野菜を種から育てている可児市の方に貰った苗です。ナス、オクラ、ピーマン、ズッキーニが成り出しています。バジルもレタスも食べていますが、もうトウが立ち始めました。
 そのほか、親戚のおばさんがくれた赤だつの里芋、隣のおばさんがくれた里芋、友人に貰ったゴマと落花生の種、オクラとモロヘイヤの苗、5~6年前に栽培したそばの種をまいています。これが、なかなか順調には育たず、普及センターにいた時、もっとしっかり、普及員さんの教えを聞いておけばよかったと後悔しています。
 畑を起こす小さな管理機は今年買ったので、起こすことは楽ですが、畝を立てるのが大変で、畑を見に来た別の友人が、「後家畝」だと笑いました。支柱を立てるのも女の仕事なので、自分でも、これが支柱になるのかと心配、ちょっとの風でも倒れそうです、今のところは大丈夫だけど。でも、ブラジル野菜は、日本のピーマンやナスと違って、芯が太く丈夫なので、最初に建てた支柱よりもしっかりと立っています。

 畑は、家から離れたところで、ずーっと何も作っていなかったところへ、畑の作り土だと言われて土を入れて貰ったら、石混じりのガラガラ土で、起こす度に石が出てきて、雨が降るとまた石が出てきて、大変な畑ですが、母が来ることができないところなので、思うように、好きなように畑作りができます。
 発酵した鶏糞堆肥を入れて、山から肥料袋に入れて運んできた腐葉土を入れて、少しだけ化成肥料を入れて作っています。

『ひぐらし記』No.22 2009.7.20 福田美津枝・発行 より転載

「農村生活」時評25 "共同体か、共同関係か"

 梅雨が去って今年限りだろうが、夏の政治の季節になった。この選挙戦は政治の論戦だから国の財政や外交のあり方が最大の論点である。だがその背景にある国民の関心事は、ここ十数年来の「構造改革」によって破壊されたこの社会をどのようにして再生させるか、あるいは時代に合わせて新しく創り出していくかという課題らしい。それぞれの政党の政見の向こうに、ごく敏感な社会層に限られるが震災の廃墟のような現実社会に向き合って、それらの人々は色々な市民による共同活動の展開された社会のイメージを描いている。つまり当面の姿としては、市民による手作りのセーフティネットのようなものである。
kyoudou.jpg そこでは懐かしい「共同体」という言葉がよく出て来るというか、私の目に飛び込んでくる。先日もある新聞の選挙関連討論の場に"信頼ベースの「中間共同体」を築く"ということが選挙テーマだ、という発言があって驚いた。昔々から「共同体」を理論上、あるいはまた観念上気にしてきた古老らが、いま社会の片隅で影響力のないままブツブツ呟いているだけだ、と諦めていたが、この意見は30代の論壇若手の発言だからその類でもなく、昨今「共同体」論は最新の論調に登場しているらしい。
 私の営業品目は「農村生活」で、特にお客さんが難しくなければ「農全般」を取り扱ってきた。引退後は新しい商品を仕入れてないので、10年近く休業ならぬ廃業である。ところが機会があって別の営業品を仕入れて、あたかも祭りの出店のようなその場限りの話をした。それはそれで終わりだが、客の中からあの話し手の本当の商売は何だ、という問い合わせがあって、茨城大学中島紀一教授の勧めで書いた「農村の暮らしに生活の原型を求める」(総合農学研究所リポート№2、02.7)をその人に送った。その中には、共同体という厳密な学問用語は使わなかったが、「むら」といわれる地域社会のことを書いたので、最近の論調との接点を意識して読み直した。この文章は私のどの仕事に比しても反響のなかった、いかにもだらしのない書き物なので、いまさら本人としてもあんまり読みたくはない。しかし小冊子を渡した成り行き上、気になるので、いまの現実の社会での課題との関係を考えた。
 かつてのむら的共同体といまの日本社会再生との関係という、私の気にしているこの論点そのものをとりあげたある学者は、雑誌にまとまった論考を発表して、これからは「共同体」もこれまでのようには空間的な範囲にごだわらず、多様な社会関係の集積という点に注目すべきだという。私自身は昭和30年代の「むら」を見ていわゆる伝統社会というよりは、すでに生活上の多様な関係の小地域的集積体と考えたから、この後半の主張は良くわかるし賛成である。しかし、問題はここにいう社会関係の中味である。現代には色々な私の知らないような社会関係がありうるが、普通の人々の暮らしでは日常的な衣食住領域での関係がかなりの部分を占める。もちろん世間には全国区的な活動が生活の全てという人もいるし、さらに世界中を相手にしていて自分の暮らしの回りなんぞ、眼中にない人もいる。それもひとつの事実だが、もしその人に家族がいて子供や高齢者を含むなら、その家族としてはある生活空間に存在しているのであろう。宇宙船の住人は家族を含む地上の人々との交流を盛んに演出している。
 都市型社会が日本の過半を占め、そこでの生活における農のウエイトが極端に低下した今日でも、私はその社会条件のなかでこそ精神的安定をふくめ、食生活をはじめ住まいの環境などあらゆる生活局面で農的な部分を採用する共同活動をすすめる必要があると主張したい。奇異に思う人は、ここで災害時の自治体支援協定を想定してもらっても良い。災害時に限らないがそれらはどうせ経済的には困難な活動だから、市民による奉仕的な共同部分が基本である。そうなると連帯する相手は遠距離でも助け合う仲間の基本活動はごく狭い生活空間に限定されるだろう。そこで活動する組織こそ、古典的な「共同体」とどうかかわるか分からないが、社会的にはやや小型だが中間体の一種だろう。これから広域的な社会関係がますます広がり、重なり合って複雑になることは当然、予想されるがそれとても、この生活基盤の上にこそ築かれるのではないか。
 先のリポートには21世紀の農村像を私の知的水準で想定して、あるべき集落レベルから自治体レベルの地域重層的な生活組織・支援施設配置図(1985年作成)を掲げたが、昨今の農村社会環境の劣化を別としても今から見るといかにも医療・介護領域が弱い。農村地域の自治体だから病院はこの「図」の外で、内部には中核的な高齢者施設しか想定していない。私の重視した中地域(大字ぐらい)・小地域にあるのは高齢者「活動」組織と施設だけであった。そのようなものも溜まり場として依然として必要だとは思うが、要介護問題の深刻さの見通しができていなかった。
 私の「農村社会」将来予測の誤りはともかく、これからの介護を全部、民営化・営業対象にすることはできないし、財政問題を別にしても市民の交流抜きではそれとて決して幸福の実現ではない。もちろん限りなく医療に近い介護問題もあるが、いま話題の領域のかなりの部分はお互いの助け合い活動、介護される側とする側の差が少ない活動になるのではないか。もちろん公的な施設整備の発展、地域に対する専門家の支援・指導体制が前提であるが。
 介護問題が社会的重圧を増しつつある今日、市民レベルの議論のためにも家族介護、公的介護に加えて第三の領域を提起したほうが建設的だろう。私のように介護される日が迫りつつある高齢者の真夏の夜を悪夢で過ごさないために。

森川辰夫

クローン牛

 クローン牛の死産および生後24時間以内の死亡率が一般の牛の5倍近いそうです。「このクローン牛を食べても大丈夫か」という消費者の質問に対して、内閣府食品安全委員会の説明は「食用の可能性のあるのは育った家畜だけ。途中で死亡するものは人の口に入らない。食用になるまで育ったクローン牛は一般の牛と変わりない」というものだったそうです。
 こいつら、消費者を「バカだ」と思っているのか、それともこいつら自身が本物のバカなのか。
 私自身は、あまり「安全なの?」と深刻に心配するタイプじゃないのだけれど、そういう不安を感じる消費者に対しては、丁寧に誠実に答える義務が政府や企業や生産者にはあると思います。
 この安全委員会の「答え」は「答え」になっていないのです。小学生だって納得しない「答え」です。
 私としては、この安全性より、クローン牛を食べるということそのものが、「いのちを頂く」という気持ちを薄めるのでは・・ということの方を心配します。人間の精神の荒廃が加速する気がします。
 私、決して宗教家でも精神主義でもないのだけれど、「人とモノといのちの関係」が、どんどん荒廃していくことへの危機感を強く持っているのです。
 臓器移植のことにも通じる問題として・・。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.16(2009.5.30発行)より転載

鳥日記 (2009.5)

hirenjaku.jpg 連休あけ、鳥師匠三丸さんの家に行って、な・な・なんと「ヒレンジャク」を見ました。図鑑でしか見られない鳥と思っていたヒレンジャクが、中津平野の普通の家のさくらんぼの木に20羽以上群がって、赤い実をついばんでいるのです。うっそー、って感じで大興奮!
 やっぱり、鳥変態三丸さんのヘンタイエネルギーが呼び寄せているとしか思えないよ。
 なお、ヒレンジャクが群れてついばんでいたさくらんぼの木は、隣の家のだそうで、その家の人は「ヒヨドリだと腹がたつけれど、ヒレンジャクなら許す」と、鳥に食われてしまいつつあるさくらんぼを笑ってながめているとか。
 ヒレンジャクは冬鳥なので、もう多分いないと思うけど、来年のさくらんぼの時期が待ち遠しいです。
 この日ヒレンジャクを見たあと、三丸さんの案内で、安心院にハヤブサのヒナを見に行きました。これもまた感動もの。
 高い岩場に巣を作っていて、望遠カメラでも小さくしか撮れなかったけれど、三丸さんが三脚を立てて望遠鏡をセットして、ちゃんと照準をヒナに合わせてくれたので、目の前にいるように大きくはっきりと見えました。すげーっ、かっこいい!
 まだ飛べないヒナといえども、さすが猛禽類。いかにもハヤブサって精悍さでした。
 三丸師匠のおかげで、いろんな経験させてもらって感謝です。
 話は変わりますが、私が毎日夕方に仕事に行っているY牧場での出来事です。すぐそばの木に巣を作っているカラスのカップルがいます。そのカラスのしわざと思われるのですが、子牛小屋のウオーターカップ(自動給水器)の中に、最近毎日、フナなどの頭や骨、スズメの頭、ヘビの一部などが入っているのです。贈り物のつもりなのか、嫌がらせなのかカラスの気持ちはわかりませんが、生臭くて牛が水を飲まないので、毎日カップの中を掃除しなければならないと、Yさんがぼやいています。
 最近、近所で見れる鳥が平凡になって少々つまらないのです。今も常にカメラを持ち歩いているのですが、めっきり出番が減りました。スズメ・カラス・ハト・ホオジロ・ウグイス・シラサギ・アオサギ・ヒバリ・セキレイ・ムクドリなどです。田に水が入ってシラサギが特に増えています。鳥漫画『とりぱん』によると、北国の田にはシラサギがいないのだそうですね。知らなかった! 明日、三丸さんとまた山に行く予定です。あそんでばかりのこの頃ですが、金のかからない遊びだから、まあいいか。40年働いてきたんだし・・・。
 ところで、最近スズメがいなくなりつつあるという話をよく聞きます。私の家の周辺にはスズメはいっぱいいるので実感ないんだけど『とりぱん』にもスズメが減ったとかいてあったので、本当なんでしょう。人の一番身近にいる鳥に変化が・・・。

渡辺ひろ子(元・酪農家)『私信 づれづれ草』NO.16(2009.5.30発行)より転載

「農村生活」時評24 "四季から6季へ"

ame.jpg わが里にもかなりの雨がふり、いまや梅雨の盛りである。もっとも私は筆が遅いから、いやキーボード操作が下手だから、これが画面に出るころは梅雨も明けて暑くなっているかもしれない。北海道にはいわゆる梅雨がないそうだが、多くの日本人には暮らしのうえではなじみのある「季節」である。しかし春夏秋冬という四季は日本人にとって根源的な季節感というか、精神に染みこんでいるので、この雨期という新人は四季と同格の季節には昇格しない。
 農という営みは商工業と違い、一年という時間単位が基本である。しかも季節に対応した作物、家畜の生育の関係で農作業にはいわゆる農繁・農閑の差が避けられない。今の農家は年中忙しくていわゆる繁閑の差が少なくなっているが、それでも農作業上決定的な時期というものがあるから、季節は労働の緊張感に残っているといえるかもしれない。
 3,40年も前のことだが、私は生活研究のひとつとして、農家生活時間分析に取り組んだことがある。その時、暮らしの問題を研究対象と決めたが、主流の衣食住問題は衣料、食物、建物の中味に研究関心が集中していて、私はそれは物質分析で暮らし分析ではないと思った。しかし頭が悪く理論分野は苦手でなんとか手間ひまかければ出来る実証的な分析分野をと願い、簡単な時間数だけで表されるこのテーマを選んだ。戦後の一時期流行ったこの仕事はもうその頃は、誰も手がけていなかったが、逆にそれまでの調査報告が沢山残されていた。その中から年間記録のあるデータを対象に時間配分上の類型でバラバラにしたりまとめたりして、組み合わせを考えた。
 当時の農家時間問題の最大の課題は長時間労働であった。もちろん今日、商工業分野の職場で過労死するような長時間労働が再現するとは想定しなかったが、そのころ社会的な問題だった炭坑の重労働が消滅しつつあり、農家の労働が唯一の解決すべき社会的課題だった。そこで農繁期の時間構造をみると田植えに代表される春の農繁期は睡眠時間が短く労働時間が長い、収穫期の秋も労働は重く時間は長かったが睡眠時間はそれなりに長いことがわかった。そこで睡眠時間・労働時間・労働の軽重などを軸にして時間配分類型をいくつか想定してみた。
 当時の農家といえども年間時間記録資料そのものが少ないから、やったことはごく荒っぽい分析だが、それでも農家生活時間は一年間に5ないし7類型から構成され、なかでも6類型が一番多かった。つまり農家は大まかにいって、一年を六つの時期に分けて暮らしており、したがって季節の見方が世間より細かいと見られた。その頃京都大学の多田道太郎氏が四季に加えて梅雨、野分の六季を提唱されていたので、これだと判断した。日本列島は南北に長いだけでなく暮らし方では東西の変化も大きいから、特定の何月はなにと全国一律にきめるというわけにはいかないが、この梅雨時は我が時間配分類型では疲労回復期となり、睡眠は短いが労働負担が軽くなる。夏と秋の狭間にある「野分」は9月中心の台風期にあたるが、ここはいわば農繁準備期で労働負担も労働時間も中位であった。
 こんな話は私だけの独りよがりで、この分析手法はわが業界で研究として批判の対象にもならないで黙殺され消滅したから、いまではどうでもよいことだが、世間があまりにも長時間労働状態に逆行すると、苦しかった時代ではあったが季節に対応して時間配分を工夫していたかつての農家の暮らしが懐かしい。いまどき季節に対応した生活は年金生活・高齢者だけのものかも知れないが、この列島では季節の変化が多様だから、現役の方々も健康管理の基盤はそこにあることに注意した方がよいのではないか、と老爺は心配する。

森川辰夫

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
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