農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
「農村生活」時評24 "四季から6季へ"
農という営みは商工業と違い、一年という時間単位が基本である。しかも季節に対応した作物、家畜の生育の関係で農作業にはいわゆる農繁・農閑の差が避けられない。今の農家は年中忙しくていわゆる繁閑の差が少なくなっているが、それでも農作業上決定的な時期というものがあるから、季節は労働の緊張感に残っているといえるかもしれない。
3,40年も前のことだが、私は生活研究のひとつとして、農家生活時間分析に取り組んだことがある。その時、暮らしの問題を研究対象と決めたが、主流の衣食住問題は衣料、食物、建物の中味に研究関心が集中していて、私はそれは物質分析で暮らし分析ではないと思った。しかし頭が悪く理論分野は苦手でなんとか手間ひまかければ出来る実証的な分析分野をと願い、簡単な時間数だけで表されるこのテーマを選んだ。戦後の一時期流行ったこの仕事はもうその頃は、誰も手がけていなかったが、逆にそれまでの調査報告が沢山残されていた。その中から年間記録のあるデータを対象に時間配分上の類型でバラバラにしたりまとめたりして、組み合わせを考えた。
当時の農家時間問題の最大の課題は長時間労働であった。もちろん今日、商工業分野の職場で過労死するような長時間労働が再現するとは想定しなかったが、そのころ社会的な問題だった炭坑の重労働が消滅しつつあり、農家の労働が唯一の解決すべき社会的課題だった。そこで農繁期の時間構造をみると田植えに代表される春の農繁期は睡眠時間が短く労働時間が長い、収穫期の秋も労働は重く時間は長かったが睡眠時間はそれなりに長いことがわかった。そこで睡眠時間・労働時間・労働の軽重などを軸にして時間配分類型をいくつか想定してみた。
当時の農家といえども年間時間記録資料そのものが少ないから、やったことはごく荒っぽい分析だが、それでも農家生活時間は一年間に5ないし7類型から構成され、なかでも6類型が一番多かった。つまり農家は大まかにいって、一年を六つの時期に分けて暮らしており、したがって季節の見方が世間より細かいと見られた。その頃京都大学の多田道太郎氏が四季に加えて梅雨、野分の六季を提唱されていたので、これだと判断した。日本列島は南北に長いだけでなく暮らし方では東西の変化も大きいから、特定の何月はなにと全国一律にきめるというわけにはいかないが、この梅雨時は我が時間配分類型では疲労回復期となり、睡眠は短いが労働負担が軽くなる。夏と秋の狭間にある「野分」は9月中心の台風期にあたるが、ここはいわば農繁準備期で労働負担も労働時間も中位であった。
こんな話は私だけの独りよがりで、この分析手法はわが業界で研究として批判の対象にもならないで黙殺され消滅したから、いまではどうでもよいことだが、世間があまりにも長時間労働状態に逆行すると、苦しかった時代ではあったが季節に対応して時間配分を工夫していたかつての農家の暮らしが懐かしい。いまどき季節に対応した生活は年金生活・高齢者だけのものかも知れないが、この列島では季節の変化が多様だから、現役の方々も健康管理の基盤はそこにあることに注意した方がよいのではないか、と老爺は心配する。
森川辰夫
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