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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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時代を先取りしたむら・・・高齢化社会(1993.3)

 村社会福祉協議会の資料によると、1992年10月で、この村の人々の65才以上の人の比率は25%(ちなみに、岡山県は15%、全国は12%)、このむらは39%である。これは、我が国の平均的状況からは30年以上も先行しているようである。
 事実、高齢者2人暮し、あるいは跡取りが既に60才代という家もある。働き手は阪神方面にでて家庭をもっている人が多く、岡山、広島方面よりは、大阪、神戸、姫路との交流の多いところである。
 むらで生まれ育って、都会へ出た人にとっては、このむらは[田舎]であるが、次世代(孫)になると、はたして、「田舎」でありうるか、難しいところであろう。
 私のように、新住民に近い状況で移り住んでみると、後継者が同居していない「むらのくらし」が目につく。親から子へと代々、引き継がれるのが当たり前であった田畑山林が、次世代まで継承されるのだろうか。山の頂まで植林された杉、桧の維持管理が可能なのだろうか。
 何か、従来からのむらのくらしを支えていた基準(座標)を変えて考えてみる必要が生まれているように思える。
 かつて、農業のために、お互いが協力(結)しあった時代は、過去になってしまっているが、当時の名残のような、いろいろなむらの行事が慣行として、細々と続けられている。
 時代とともに、個の暮らしが優先するようになり、むらの行事が慣行化したのであるが、改めて、むらの行事に新しい光をあてて、高齢者が50%を超えるようなこのむらに、新しい息吹を与える行事とする時期にあるように思う。(あわくら通信第4号)

小松展之
『むらのくらしからみえること』(2009年4月15日発行)から
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むらの昼間(1993.3)

 私の家は、このむらの中央部のむらをほぼ見渡せる高いところにある。ところが、春夏秋冬を通じて、昼間、戸外にほとんど人影を見ることがない。実に、ひっそりとしている。わずかに田植期と稲の収穫期に若干のザワメキを観ずる程度である。
 子供は、幼児2人、小学生2人、中学生3人、在宅高校生は居ない。成年男女は、皆、働きに出かけ、老人も体の動くかぎり、内職に精をだしている。
 稲は作っても、自給用の野菜、果樹は従来からのものを一通りは作付けするが、積極的に作ることはない。
 体の動く高齢者は、山の手入れにいく。洗濯ものが干してあるから、人のくらしがあるという感じで、正月お盆にも人々の賑わいという感じがない。(あわくら通信第4号)

小松展之
『むらのくらしからみえること』(2009年4月15日発行)から

「農村生活」時評34 "現代のリズムは根源悪とされて"

 私たちが生活しているこの世界には多様なリズム現象がある。私はこれがいわゆる捉えどころのない日常「生活」事象の、特に農村生活の分析に有効な手法と考え、生活時間、労働、食生活などの局面をさわってきた。しかし余りにもその研究成果が未熟だったためだろう、その後この手法を受け継ぐ人どころか、それぞれの発表時点でもまともに批判してくれる同業者が現れなかったため、「農村生活リズム」は全て、研究としては立ち枯れ状態である。ただ本人としてはまだ未練があるのでいろいろな図書・文献・新聞記事などにあらわれるリズム分析というか、たとえ部分的でも何らかの言及には注意してきた。この頃医療・福祉分野を中心に「生活リズム」一般への関心は高まったが、社会生活システム分野でのリズム論についての理論的な成果はほとんどないといってよい。
 いま、「親鸞」ブームだそうである。それは聞き書き「歎異抄」をめぐるものが過半だろうが、この中世の宗教家があらためて世間の関心を集めていることは事実である。私の読んだ今村仁司著「親鸞と学的精神」(岩波書店)はいわゆる宗教コーナー親鸞本の棚にはならんでいなかったし、私も別に親鸞に義理はなかった。この著者は元々フランス思想史の専門家だったからこの本は哲学の棚にあったし、私よりも若い個性的な思想家の遺著なので追悼の気分もあり、敷居は高かったが読んでみた。はたして今村の説く「親鸞」論については、あまりにもこの読み手に哲学的訓練が乏しく、その上仏教にも無知なのでさっぱり理解できない。ただ附論のような「第二部エセー」の「現代における悪の本質」(207~220頁)で近代社会の労働が規定するリズム・時間意識が現代「悪」の根源だと指摘されて驚いた。よく話題になる「悪」「悪人」の規定をめぐる思考が宗教としても哲学としても親鸞論の本質だろうから、著作としての体裁上は控え目だが、この現代社会批判は思想家としての著者の本来の主張を展開した文章だろう。
tokei.jpg 著者は「近代システムまたは近代社会の土台となっているのは、世界像としては機械論的見方であり、生活のリズムをつくるものは未来中心的な時間意識である」とする。さらに「未来中心の時間意識は、近代の産業生産の行動リズムである」、「時間意識という一見無邪気な現象のなかに、現代の根源悪がひそんでいる」と指摘する。テレビで探偵ドラマを見ていたら、主人公の探偵がクライマックスに画面のこちらを向いて「お前が犯人だ」と私を指さしたぐらい驚いた。私が真犯人なら「ドラマのなかにもっと早く登場させてよ」と言いたいが、現代人の時間意識という存在については、ドラマの背景セットのように当たり前のこととされてきており、あくまで演技する役者ではない。たとえ悪役としても、ドラマの構成上これほどの位置づけは珍しい。
 現代人を規制している二大根拠のひとつに生活リズムとして意識されている時間が挙げられているのは同感できる卓見である。もちろん近代の産業社会が機械的生産体制であり、そこからそれに対応する「多忙人間」が生まれ、それから自己・他人・共同体・自然の破壊にいたるという今村の論法はあまりにも直線的で単純だとは思うが、世界の近代化の過程の中に産業がつくった労働リズムの市民社会への定着という側面があり、そこから現代人の時間意識が生まれていることは事実であろう。よく日本人に見られる「多忙人間」が世界的にも一つの典型かもしれない。だがこの課題はやはり今村の指摘する「機械論的世界観」と表現されているもうひとりの悪役との関係が明らかにされなければなるまい。
 1950年代、60年代当時、農村生活研究における生活時間分析の狙いには確かに、現代の産業社会に農業労働と農家のくらしを適応させていこうとする側面もあったが、私自身は森川のやることは回顧的、反動的だとする批判のまなざしを意識しつつ、時間面における農村生活の独自性を強調した覚えがある。それが具体的には四から六季という農繁閑の位置づけであり、農作業の計画的・弾力的編成、一日における農作業の時刻布置の多様性の指摘などである。当時、農作業の展開にとって一週間という単位はほとんど意味がなかったが、働く農家は社会における曜日を無視しては生活できなかった。だがそのあたりの課題を指摘するだけで、確かに自然条件に由来するものと社会事情から強いられる対応の関係整理としては、あいまいなままに止めたことになる。
 このような農村生活時間研究が盛んに進められたのはもう半世紀前のことである。農地改革の成果が動き出して生産が伸び、家族数も多くて農家が歴史上もっとも生き生きと生活していた時代かもしれない。現在の農家は少人数で機械施設を駆使して、季節に関係なく工業生産のようなシステムのもとで長時間働いているから、いまやかなり独自性を失っているだろう。
 それでもなお私は、不十分とはいえ農家の暮らしには、現代においてこれほど自律的な生活リズムと時間意識は広い世間にもないといまでも思い込んでいる。日本だけでなく、いまの地球世界で多くの都市住民・現代人が親や先祖のような自然に沿った暮らしに舞い戻ることはもはや出来ないだろう。しかし現代人が自分で素晴らしいと思っている多忙世界への適応への姿勢そのものが、多くの現代悪を生んでいることへの反省は必要かもしれない。温暖化が進み異常気象に苦しみながら、多くの農家は必要最小限、現代社会に合わせながら、なんとか独自の生活リズムを維持している。これを学ぶことが現代の「根源的悪」から救われる一つの"非宗教的"救済策だと"信じて"いるのだが。

森川辰夫

鳥日記 (2010.5)

 4月の始め、朝の犬の散歩の時、すぐ近くの農業用水池の土手をちょこちょこ動き回っている見慣れない小鳥を発見。犬の散歩の時はカメラもスケッチブックも持てない。こういう時に見慣れない鳥を見たら、その特徴を声に出して言ってみることにしています。そうすると、見ただけより、帰ってから図鑑で調べる際に格段に分かりやすいのです。
 で、その見慣れない鳥の特徴は「頭、真っ黒。首から腹にかけて白。胸、レンガ色。背から尾にかけて真っ黒。翼は黒に白い縦長の模様。大きさ、スズメくらい」
 これだけはっきりと特徴をとらえたら、もうばっちりだ!と急いで帰って図鑑を開きました。いた!これだ!これ以外にいない!と思ったのが「ノビタキ」。
 しかし、しかししかし、ノビタキの説明を読むと「夏鳥(本州以北)」と書いてあるのです。ええーっ、違うのか?ノビタキじゃないのか?本州以北ということは九州にはいないってことだろ?
 迷った時には鳥師匠三丸さん。
 「ああ、それはきっとノビタキですよ。夏鳥(本州以北)ということは、夏を本州以北で過ごすために南の方から今、渡ってきている途中なんです。」
 な~るほど。目からウロコです。鳥図鑑とはそういうふうに読むのか!
 ノビタキを見たのはこの時一度だけです。小さな翼を懸命に動かして北に向かって飛び続けているのでしょう。けなげです。小鳥たちの「渡り」を思うと涙が出そうなくらいです。あんなに一生懸命に私は生きているか?と自分に問うと恥ずかしくなります。せめてもっとシンプルに暮らさねばと思うのです。
yamasemi2.jpg あいかわらず、ヤマセミの追っかけをしています。バイトに行く途中の川にヤマセミ出没ポイントがあって、「私のヤマセミちゃん」でした。
 ところが最近、他にもヤマセミに気付いた人がいて、うわさが広がったみたいで、怪しい動きをする車が何台も現れるようになりました。のろのろ進んだり止まったり。あげくに車から降りてきたのを見ると、「いかにも」って感じのいでたちで、しかもバズーカ砲かと思うような(実際にバズーカ砲を見たことはないのだが)望遠カメラを抱えているのです。
 いやーっ、やめてーっ、ここは私の、私だけのポイントなのよ。人って来ないで。荒らさないで。
 と、心の中で叫びながら、ちょっと睨んで通過するのです。あいつら、私よりずっと上手い写真を撮るんだろうな、くやしいな。
 ああ、私のヤマセミちゃん。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.25(2010.5.31発行)より転載

バカ貝

 連休に長女が子どもたちを連れて帰省して、「今年こそは貝堀りに行きたい」と言います。残念ながら今年もアサリは全然ダメだというと「マテ貝でいい」とやる気満々。
 お金を取らない所があると聞き、そこに行きましたが、予想以上の人出。マテ貝より人の方が多いんじゃないの?というくらい。さすが連休、さすが無料。マテは少ししか採れなかったけど、バカ貝と呼ばれる丸っこい二枚貝がザクザクいて、でも誰も採らないから食えないのだろうと思っていました。でも、チビ孫が「貝、あったよ」「また、貝、あったよ」とバケツに投げ込むのを無下に捨てるわけにもいかず、とりあえず持ち帰りました。
 長女がネットで「バカ貝」を調べたら、食べられるが、砂がとても多いので100回水洗いして、茄でて身を取り出して、よく広げて更に砂を洗う事と書いてあったそうです。
 「100回洗う?冗談じゃない。捨ててしまえ」というのに、娘はせっせと洗って茄でてひとつひとつ身をなでて砂を流してくれまして、マテといっしょに鉄板で焼いて食べました。けっこううまかったです。
 長女の食い物に対するこの熱意と労を惜しまぬ姿勢が他のことにももっと生かされるといいのになあ。
 バイトに行ってるY牧場の裏に今年も子ギツネが4匹そだっています。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.25(2010.5.31発行)より転載

口蹄疫

hachiku.jpg 酪農を廃業していて本当によかったと思います。連日の報道に胸が痛むけれど、やっぱりどこか他人事でいられます。
 最初に宮崎で口蹄疫が出たというニュースを見た時、これほどの事態になろうとは、誰も思わなかったですよね。10年前の発生の時は何戸かの農家での発生で収束したし、BSEの時も、大騒ぎした割には発生戸数は広がらずに終わったし・・、だから今度も・・・などとみんなどこかで楽観視する気持ちがあったと思います。
 ところがどっこい、養豚農家に入ってから、殺処分対象頭数がどんどんどんどん拡大して、聞くのも恐ろしい数になっています。
 「殺処分」なんて簡単に表現するけど、牛や豚を一頭殺すのだって、プロじゃなければ、そりゃあ大変な作業です。それが十万頭だ、二十万頭だ、というのだから、もう、想像を絶する事態が宮崎では起きているということです。政府が宮崎県に「殺処分が遅い」と文句を言っているようだけど、そんならお前らが行って、牛や豚を殺してみろよ、です。
 殺処分を実際にやっている獣医師や県職員などに不眠や食欲減退などの症状が出ているといいます。そうだろうな、と思います。
 もう、20年以上前になるかと思いますが、台湾で口蹄疫が発生して、数週間で台湾全土の畜産を壊滅させたことがあり、その時のビデオを見た記憶があります。ユンボで大きな穴を掘って、そこにダンプに積載してきた牛や豚の死骸をドドッと落とし、ブルドーザーでガーッと土をかぶせて踏み固めていました。
 目を背ける光景でした。今、宮崎であれと同じ光景が毎日繰り広げられているのだと思うと言葉もありません。
 口蹄疫という病気は感染しても死亡率はそんなに高くなく、治療すれば回復する率は高いといいます。しかし、伝染力が強く、感染すると、餌を食べれなくなるので、やせる・肉質が落ちる・乳量が減るなど経済性が著しく損なわれるという理由から、「一頭でも発生したらその農家は全頭殺処分」と法律で決められているのです。「経済動物」として生まれてきた宿命として、今、宮崎では牛や豚が殺されています。
 それは仕方のないことなのだけれど、私たちが好きなものを好きなだけ食べたい時に食べられる、そんな世の中を維持していく陰で無為な死を強制されるいのちがあることを忘れないでいたいと思うのです。
 福岡県でも、畜産関係者はピリピリしています。車のタイヤ消毒。靴裏消毒。
 でも、空気感染するとか、黄砂に乗って飛来するとかいろいろ言われて、そうなると防御にも限界があるわけで、「来たら来た時のことよ。仕方あるかい」
 こういう楽天性が百姓のいいところなのかも・・・と思います。
 それにしても、東国原さん、ついてないねえ。知事に就任した直後に鳥インフルエンザ発生で走り回り、その後、彼の頑張りで宮崎県の農産物を全国に売り込んだら、口蹄疫発生で一気に畜産壊滅。
 「あ~あ、こんなことなら去年の衆議院選挙に知事やめて出とけばよかったよ」な~んて内心ぼやいているんじゃないのかなぁ。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.25(2010.5.31発行)より転載

「農村生活」時評33 "農村景観研究を考える"

 また、政治の夏になった。鳩山内閣か民主党政権全体なのか、よく知らないが、失政ばかりの中でかの「仕分け」が最大の政治的成果だそうだ。確かに世間の注目を集めるテーマだし、終始糾弾の的になる公務員の退職後再就職、いわゆる「天下り」の小型版なら、知人の範囲にもある。行政のムダを排除することは一般論としては正義だろうが、マスメディアの伝えるあのような舞台仕掛けで、問題の多い巨大科学プロジェクトとはいえ、個別の科学研究課題の評価に踏み込むことには反感を持っていた。
 春先から医者に「衰弱です」と診断されて「老衰」の身を嘆いて寝ていたら、なんと第二次「仕分け」台風がつくばを襲い、農研機構・農工研の農村計画領域が直撃されてしまった。まさに雷が近所に落ちたようなもので、あまりの出来事に病床から再びヨロヨロと這い出してきた。私事ながら老衰では身内に迷惑をかけるので「風倒木」も止めようかと思案していたら、東京・霞ヶ関周辺どころか、えらく近いところでとんでもないことになった。いわゆる農村計画領域といっても私の理解ではそのほとんどは、かつての「農村生活研究」分野の現代的に発展した課題だし、その担当者にはかつての身近な同僚が多い。
 この「仕分け」後の対応は確かに研究機関側の自主的判断になろうが、こういう御時世では指摘された研究課題は縮小・廃止の方向だろう。外部の圧力で「その課題をやめよ」といわれた研究者の心情を思うとなんともやりきれない。私は20年か25年ぐらい前に、つくばにいたとき「農村高齢者」研究課題を後ろ向きだとして、日頃会うことも出来ない偉い?上司に呼び出されて「研究を止めろ」といわれたことがある。この時にはすでに農政上の課題になりかかっていたし、それこそ社会的背景があったから私自身のささやかな仕事は中途停止にはならなかった。しかしより大きな研究課題に位置づけて、組織内の仲間による共同研究に仕立てることは、結局実現できなかった。その時点では農林水産省の設置目的に農村住民の福祉の増進が掲げられていたが、それだけではなく「農村高齢者」問題にはあわせて農業生産力向上研究の側面もあると考えていた。だがその管理職には生産を上げるための農業試験場の研究に値しないという価値判断があったのだろう。しかし研究者には世間にあるいは仲間に先駆けて研究に取り組む本質的な責務がある。
 今回、「仕分け」で問題にされた研究課題のなかに農村景観再生のテーマがあるらしい。「仕分け」問題の現実的な対応側面は、いうまでもなく現役の方々におまかせするとして、この課題の根源的な意義というか、国土政策的な関連を考えてみた。
niji.jpg 政治の季節で政局サイドの話題が世間に横行しているが、いま日本の有権者に問われているのは、行き詰まった社会の現状を脱するために「国家戦略」目標としてこれからどんな日本像を想定するか、という政策論戦に参加することではないか。私は日本として①近隣、アジア、世界の人々から尊敬されなくとも愛される国を目指す、②自然的・経済的・社会的条件を生かして国際的にあまり迷惑をかけない、自主的な国を目指す、③この列島に住む人々の究極の歴史的・比較文化史的な財産は美的素質であり、その特質を生かす国を目指す、④日本列島は立地により自然景観と豊かな四季に恵まれており、周辺の島々もふくめ全域をかつての全国総合開発計画でうたわれた「ガーデン・アイランド」構想を生かす国を目指す、といったささやかなイメージを持っている。観光収入しかないとギリシャは財政危機で評判が悪いが、国が外国からの訪問客による観光収入に依存するのは、ひとつの平和の保障でそれ自体悪いことではない。日本には客寄せになるいくつかの世界遺産、歴史的文化財、火山による温泉資源などもあるが、それらだけに頼るのではなく、もし観光立国というならば、この島々に住む人々の暮らしそのものが観光の対象になるべきであろう。暮らしといっても、それは日本のテレビ局が外国の珍しい地域を訪れて台所を覗くようなものの再現ではなく、日本中のごく普通の地域を、個性を生かし少々現代的に整備し、その結果人口が適正に配置されて、どこにどなたが見えても楽しく過ごしてもらえる美的生活空間を整えることである。
 いま日本中で絶え間なく、小規模の芸術イベントが過疎の村や島などで芸術家と住民の共同活動で開催されている。それらの多くは造形芸術、演劇、映画などが中心のようである。これらの取り組みは直ちに地域に大きな経済的な効果を生むものではないだろうが、地域の誇りを創り、いわゆる活性化にとって計り知れない意義がある。このような企画を列島全域に、それこそ四季を問わずに常時、展開して世界中から芸術家も含めて物好きを集めるのが、私の国づくりプランである。農村景観は沿岸漁業や森林とともにそれらの舞台装置であって、入場料を稼ぐ独立した観光資源ではないだろうが、国を挙げての大事なイベントの、いわば沈黙の背景である。
 弘前城公園は桜で有名だが、私は城址の西の高台からみた四季それぞれの岩木山の風景が好きである。この眺めについては司馬遼太郎も指摘している(「北のまほろば」街道を行く・41)が、この「お山」の手前に展開しているのは平野から山麓にいたる広大なりんご園である。来訪者にとっては幸いなことに、この市内西域にはマンションのような高層建築がなく、この視界を妨げるものはない。そういえば日本中の名勝桜もあくまで単独で咲き誇っているのではなく、それぞれまわりの農村景観に囲まれている。
 財務省的見地、あるいは国際競争力観点からいえば、日本農業は稼ぎの下手な冴えない産業だろう。しかし既に多面的機能の重要性が指摘されてからも久しいのである。世間では土地改良はえらく評判が悪いが、問題はその内容であって、いまも農村整備の根幹である。農村景観は単に外見による"美"の観点からのみ評価されるべきではないが、あえて私は直接、カネに結びつかぬ話を強調したい。

森川辰夫

先達会ができたこと

 このむらは、中国山地稜線下の谷筋の小さな集落で、戸数21戸、平均水田面積43aと規模も小さく、全戸が兼業農家である。1960年代から青壮年は姫路、阪神まで働きに出るようになり、昼間は高齢者、子供という暮らしぶりになってから久しかった。
 1989年に定年帰農した目には、昼間のこのむらは、実に静かで、静寂そのものであった。高齢者率が40%になろうとしていた。こんな中で、日々、気になっていたのはSさん、Kさん、Oさんのことであった。3人とも90歳前後、夫々、連れあいを亡くし、家族とは同居であったが、孤独という感じであった。
 Sさんは、2年前に奥さんを亡くし、息子夫婦、孫が、朝、仕事、学校に出かけると、昼間は全くの1人ぐらし、夕方になると、庭先に1人ポツンと座っているのが目についていた。
 Kさんは、40年近く前にご亭主を亡くし、長男は成人して結婚していたが、残された子供達を育て、このむら1番の山持ちとして山林、田畑の管理をしてきており、80歳を過ぎても、毎日、朝から晩、暗くなるまで野良仕事をする働き者のおばあさんである。野良で会うと、よく話し掛けて、孤独な感じであった。
 Oさんは、若い時から働き者で、持ち山の植林・下刈り・枝打ち等の育成管理をしてきたが、晩年足が不自由になり、歩けなくなったが、それでも、手押し車で畑に出て仕事をしていた。働けなくなってからは、手押し車で散歩して、会う人と良く話しをした。何となく、人恋しい感じであった。
 高齢者の多いこのむらで、昼間の一人暮らしは、精神的に不安と孤独感を強くしているように見えた。この様な時に、村教育委員会が、1991年から各地区に生涯学習推進委員を選任して、事業として生涯学習を進めようとしていた。
 1994年に、このむら(地区)の推進委員に選任されて、前述のような高齢者の多いこのむらの状況から、生涯学習活動と老人会活動を結び付けようと、1994年11月に開催された老人会の総会で生涯学習の意義と老人会の活動で目指すものについて提案、話し合いの結果、定例的な会合を持とうということになった。
 老人会として、この会合のあり方を協議した結果、次のような運営をしようということになった。
 ① 会合は、毎月15日、午前10時から午後3時まで。
 ② 場所は、このむらの公会堂。
 ③ お互いの話し合いの場として、年齢制限しないで、集まりたい人が自由に集る。
 ④ 世話役は老人会役員であるが、当面、運営実務は、生涯学習推進委員が担当する。
 こうした動きの中から発足した集まりが「先達会」であった。

小松展之
『これからの「むら」への試み』(2010年3月30日発行)から

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
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