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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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「農村生活」時評33 "農村景観研究を考える"

 また、政治の夏になった。鳩山内閣か民主党政権全体なのか、よく知らないが、失政ばかりの中でかの「仕分け」が最大の政治的成果だそうだ。確かに世間の注目を集めるテーマだし、終始糾弾の的になる公務員の退職後再就職、いわゆる「天下り」の小型版なら、知人の範囲にもある。行政のムダを排除することは一般論としては正義だろうが、マスメディアの伝えるあのような舞台仕掛けで、問題の多い巨大科学プロジェクトとはいえ、個別の科学研究課題の評価に踏み込むことには反感を持っていた。
 春先から医者に「衰弱です」と診断されて「老衰」の身を嘆いて寝ていたら、なんと第二次「仕分け」台風がつくばを襲い、農研機構・農工研の農村計画領域が直撃されてしまった。まさに雷が近所に落ちたようなもので、あまりの出来事に病床から再びヨロヨロと這い出してきた。私事ながら老衰では身内に迷惑をかけるので「風倒木」も止めようかと思案していたら、東京・霞ヶ関周辺どころか、えらく近いところでとんでもないことになった。いわゆる農村計画領域といっても私の理解ではそのほとんどは、かつての「農村生活研究」分野の現代的に発展した課題だし、その担当者にはかつての身近な同僚が多い。
 この「仕分け」後の対応は確かに研究機関側の自主的判断になろうが、こういう御時世では指摘された研究課題は縮小・廃止の方向だろう。外部の圧力で「その課題をやめよ」といわれた研究者の心情を思うとなんともやりきれない。私は20年か25年ぐらい前に、つくばにいたとき「農村高齢者」研究課題を後ろ向きだとして、日頃会うことも出来ない偉い?上司に呼び出されて「研究を止めろ」といわれたことがある。この時にはすでに農政上の課題になりかかっていたし、それこそ社会的背景があったから私自身のささやかな仕事は中途停止にはならなかった。しかしより大きな研究課題に位置づけて、組織内の仲間による共同研究に仕立てることは、結局実現できなかった。その時点では農林水産省の設置目的に農村住民の福祉の増進が掲げられていたが、それだけではなく「農村高齢者」問題にはあわせて農業生産力向上研究の側面もあると考えていた。だがその管理職には生産を上げるための農業試験場の研究に値しないという価値判断があったのだろう。しかし研究者には世間にあるいは仲間に先駆けて研究に取り組む本質的な責務がある。
 今回、「仕分け」で問題にされた研究課題のなかに農村景観再生のテーマがあるらしい。「仕分け」問題の現実的な対応側面は、いうまでもなく現役の方々におまかせするとして、この課題の根源的な意義というか、国土政策的な関連を考えてみた。
niji.jpg 政治の季節で政局サイドの話題が世間に横行しているが、いま日本の有権者に問われているのは、行き詰まった社会の現状を脱するために「国家戦略」目標としてこれからどんな日本像を想定するか、という政策論戦に参加することではないか。私は日本として①近隣、アジア、世界の人々から尊敬されなくとも愛される国を目指す、②自然的・経済的・社会的条件を生かして国際的にあまり迷惑をかけない、自主的な国を目指す、③この列島に住む人々の究極の歴史的・比較文化史的な財産は美的素質であり、その特質を生かす国を目指す、④日本列島は立地により自然景観と豊かな四季に恵まれており、周辺の島々もふくめ全域をかつての全国総合開発計画でうたわれた「ガーデン・アイランド」構想を生かす国を目指す、といったささやかなイメージを持っている。観光収入しかないとギリシャは財政危機で評判が悪いが、国が外国からの訪問客による観光収入に依存するのは、ひとつの平和の保障でそれ自体悪いことではない。日本には客寄せになるいくつかの世界遺産、歴史的文化財、火山による温泉資源などもあるが、それらだけに頼るのではなく、もし観光立国というならば、この島々に住む人々の暮らしそのものが観光の対象になるべきであろう。暮らしといっても、それは日本のテレビ局が外国の珍しい地域を訪れて台所を覗くようなものの再現ではなく、日本中のごく普通の地域を、個性を生かし少々現代的に整備し、その結果人口が適正に配置されて、どこにどなたが見えても楽しく過ごしてもらえる美的生活空間を整えることである。
 いま日本中で絶え間なく、小規模の芸術イベントが過疎の村や島などで芸術家と住民の共同活動で開催されている。それらの多くは造形芸術、演劇、映画などが中心のようである。これらの取り組みは直ちに地域に大きな経済的な効果を生むものではないだろうが、地域の誇りを創り、いわゆる活性化にとって計り知れない意義がある。このような企画を列島全域に、それこそ四季を問わずに常時、展開して世界中から芸術家も含めて物好きを集めるのが、私の国づくりプランである。農村景観は沿岸漁業や森林とともにそれらの舞台装置であって、入場料を稼ぐ独立した観光資源ではないだろうが、国を挙げての大事なイベントの、いわば沈黙の背景である。
 弘前城公園は桜で有名だが、私は城址の西の高台からみた四季それぞれの岩木山の風景が好きである。この眺めについては司馬遼太郎も指摘している(「北のまほろば」街道を行く・41)が、この「お山」の手前に展開しているのは平野から山麓にいたる広大なりんご園である。来訪者にとっては幸いなことに、この市内西域にはマンションのような高層建築がなく、この視界を妨げるものはない。そういえば日本中の名勝桜もあくまで単独で咲き誇っているのではなく、それぞれまわりの農村景観に囲まれている。
 財務省的見地、あるいは国際競争力観点からいえば、日本農業は稼ぎの下手な冴えない産業だろう。しかし既に多面的機能の重要性が指摘されてからも久しいのである。世間では土地改良はえらく評判が悪いが、問題はその内容であって、いまも農村整備の根幹である。農村景観は単に外見による"美"の観点からのみ評価されるべきではないが、あえて私は直接、カネに結びつかぬ話を強調したい。

森川辰夫
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農と人とくらし研究センター

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