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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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先達会ができたこと

 このむらは、中国山地稜線下の谷筋の小さな集落で、戸数21戸、平均水田面積43aと規模も小さく、全戸が兼業農家である。1960年代から青壮年は姫路、阪神まで働きに出るようになり、昼間は高齢者、子供という暮らしぶりになってから久しかった。
 1989年に定年帰農した目には、昼間のこのむらは、実に静かで、静寂そのものであった。高齢者率が40%になろうとしていた。こんな中で、日々、気になっていたのはSさん、Kさん、Oさんのことであった。3人とも90歳前後、夫々、連れあいを亡くし、家族とは同居であったが、孤独という感じであった。
 Sさんは、2年前に奥さんを亡くし、息子夫婦、孫が、朝、仕事、学校に出かけると、昼間は全くの1人ぐらし、夕方になると、庭先に1人ポツンと座っているのが目についていた。
 Kさんは、40年近く前にご亭主を亡くし、長男は成人して結婚していたが、残された子供達を育て、このむら1番の山持ちとして山林、田畑の管理をしてきており、80歳を過ぎても、毎日、朝から晩、暗くなるまで野良仕事をする働き者のおばあさんである。野良で会うと、よく話し掛けて、孤独な感じであった。
 Oさんは、若い時から働き者で、持ち山の植林・下刈り・枝打ち等の育成管理をしてきたが、晩年足が不自由になり、歩けなくなったが、それでも、手押し車で畑に出て仕事をしていた。働けなくなってからは、手押し車で散歩して、会う人と良く話しをした。何となく、人恋しい感じであった。
 高齢者の多いこのむらで、昼間の一人暮らしは、精神的に不安と孤独感を強くしているように見えた。この様な時に、村教育委員会が、1991年から各地区に生涯学習推進委員を選任して、事業として生涯学習を進めようとしていた。
 1994年に、このむら(地区)の推進委員に選任されて、前述のような高齢者の多いこのむらの状況から、生涯学習活動と老人会活動を結び付けようと、1994年11月に開催された老人会の総会で生涯学習の意義と老人会の活動で目指すものについて提案、話し合いの結果、定例的な会合を持とうということになった。
 老人会として、この会合のあり方を協議した結果、次のような運営をしようということになった。
 ① 会合は、毎月15日、午前10時から午後3時まで。
 ② 場所は、このむらの公会堂。
 ③ お互いの話し合いの場として、年齢制限しないで、集まりたい人が自由に集る。
 ④ 世話役は老人会役員であるが、当面、運営実務は、生涯学習推進委員が担当する。
 こうした動きの中から発足した集まりが「先達会」であった。

小松展之
『これからの「むら」への試み』(2010年3月30日発行)から
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農と人とくらし研究センター

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