忍者ブログ

農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

カテゴリー「■ づれづれ草」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

柴田秀吉さんの訃報

 宇佐の都留さんから葉書が届きました。
 「8月9日、柴田さんが亡くなりました」驚きました。7月中ごろに通信「自鋤庵記5号」が届き、その中に「7月31日~8月3日、湯布院で草花の挿絵の個展を開く」というお知らせが入っていたので、お元気なものと思っていたのに。柴田さんは昨年「体調不良」を理由に長年発行されていた通信『すわらじ』を廃刊され、以後、A4にカラー印刷で草花の絵と短い詩が書かれた「自鋤庵記」が思い出したように届くのを楽しみにしていました。
higotai.jpg 柴田さんには一度しかおめにかかっていません。岩波書店発行の月刊誌『世界』の2001年4月号に田中伸尚さんが連載を始められた「憲法を獲得する人々」の第一回目に私のことを取り上げていただいたのですが、それを読んで、都留さんが別府の中村健さん(故人)と柴田さん夫妻を誘って4月2日築城基地座り込みに来て下さったのです。その後、中村さんと都留さんは何度も来て下さったけれど、柴田さんは体調のこともあり、その一度だけでした。
 でも、それ以降、通信のやり取りだけは続いていまして、柴田さんの文章のうまさに敬服していました。そんな付き合いだったので、柴田さんという人がどういう人だったのかよく知らないままで、今回、訃報によって、経歴等が少しわかった次第です。
 最後の「自鋤庵記」の絵は「ヒゴタイ」です。三丸さんと由布高原に鳥見に行った日、草原の中にぽつりぽゆりと立つヒゴタイの青いボンボンが見えました。絶滅危惧種だそうです。柴田さんが見せてくれた気がしました。
 柴田さん、「自鋤庵記」用のファイル、ガラ空きですよ。もっともっと続けて届くのを楽しみにしていたのになぁ。 ご冥福を。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.28(2010.8.31発行)より転載
PR

変な人たち

duredure29_1.jpg 田川研という人が書いた『蝶も蛾もうつくしい』という本をわざわざ注文して買いました。要するに「蝶は美しいから誰にも好かれ、蛾はその反対に嫌われる。でもよく見てごらん。蛾も美しいんだよ」という「蛾賛美」本です。オオシモフリスズメという蛾がいるそうです。この蛾は、止まる時に羽をぴったり体に沿わせ、腹部を真上に反らせて止まるのだそうで、それを「なんてカッコいいんだ。まるでチョコレートパフェじゃあ!」などという人たちがいて、そのオオシモフリスズメを捕まえるために、夜明けの高速道路のサービスエリアにわざわざ出かけていくのだ、というようなことが書かれています。(注)
 鳥師匠変態三丸さんに言わせると「虫に夢中の人たちが一番変!」だそうです。まぁ、五十歩百歩と思うけど…。
 世の中、変な人たちがあちこちにひっそりと変な暮らしをしていて、その結果、世の中そのものが変な方向に流れ込むのを防いでいるのかも知れないと思うのです。
 変態万歳!
     (注)夜、明かりに集まって来て、朝落ちていたりするらしい

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.29(2010.10.13発行)より転載

栗の木の下

keitou.jpg わが家から上の大きい道路に出る坂道(車一台がやっと通れる幅)の途中に小さな栗の木が2本あります。栗が実ると道に落ちます。
 先日、夜、外出先から10時半頃帰ってきて坂道を下ってくると、ちょうど栗の木の下に、なんと、イノシシが並んで落ちた栗をあさっているのに出くわしました。ウリ坊より少し成長したくらいの子イノシシばかりです。いち、にい、さん…数えたら5頭もいました。
 車のライトに照らされても動じる様子もなく、栗を探しています。ゆっくり進んで行くと6~7メートルくらいになったところで、やっと脇の茂みに這い登って行きました。
 翌日、隣のおばさんが「昨日、畑にマルチを敷いて、たまねぎやブロッコリーの苗を植えたのに、今朝見たらイノシシにぐちゃぐちゃに踏み荒らされてしまった」と怒りまくっていました。あの5頭があの後やらかしたのでしょう。
 イノシシ、確実に増えています。人家に平気で近づくようになっています。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.29(2010.10.13発行)より転載

産業としての自立

duredure29-cut.jpg
 3日のこのETV特集、残念ながら見逃しました。この新聞を見て「ああ、テレビを観ればよかったなあ」と後悔。
 「農業を既得権益漬けにし、産業として自立する芽を摘んできた戦後農政の歩み」という言葉にちょっと引っかかりを感じています。
 「産業としての自立」? それは、グローバル化に対応できる競争力をつけろということでしょうか? それは、規模拡大・合理化ということでしょうか? それで、産業として自立できるのでしょうか? 農家・農村を踏み台にして肥大化した自動車や家電産業は産業として自立しているといえるのでしょうか?
 そもそも、農業は「産業」というくくりで、「自立」を迫られるべきものでいいのでしょうか?
 ここ数年、うちの周辺の田んぼで、ヒエがワサーッと稲穂を覆い隠すくらい伸びた田がとても増えました。ヒエを生やすのは百姓の恥という気持ちを持った年代が高齢化で働けなくなったのです。息子世代はヒエを恥と思わず、高性能の(もちろん高価な)コンバインはヒエ田も上手に刈り取ってくれます。
 「それでいいのだぁ」とバカボンのパパは言うだろうか?
 農政の誤りを検証しても、壊れた百姓の精神は再生出来ないのでは…と、マイナー思考の私は思ってしまうのです。
 
渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.29(2010.10.13発行)より転載

鳥日記 (2010.10)

duredure29_2.jpg サギとカラスばかりの夏が過ぎて、そろそろ身近なところでもいろんな鳥たちが見られる季節になりました。といっても、今、野山や村や町を制圧しているのはヒヨドリです。年中いるはずなのに、真夏にはどこに隠れていたのか声も姿も見せなかったヒヨドリが今、わが者顔でヒーヒーキーキーとうるさいこと限りなしです。
 でもヒヨドリばかりじゃないですよ。
 先日、朝、犬の散歩中に、電線に止まっている一羽の鳥に気付きました。キジバトかな? でも、よく見ると頭の大きさ形が明らかにワシタカ系。おっ、ハヤブサか?
 急いで、犬を引っ張って家に帰り、カメラを持って行きました。まだ居てくれ、まだ居てくれ、と念じながら。
 おおーっ。まだ居た! そーっと近づいて撮ります。もうちょっと近づいてもいいかな、と何歩か進んで撮ります。まだいいかな、と近づきます。どうやら、長旅でお疲れだったようで、ほとんど真下に近づいても動きませんでした。
 帰って図鑑で調べたら「チゴハヤブサ」でした。しっかりカメラ目線でカッコよく撮れています。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.29(2010.10.13発行)より転載

臓器移植

 臓器移植法が改正され、本人の意志とは関係なく、家族の同意で脳死臓器提供が出来るようになり、立て続けに移植が実施されました。これって、どうなんだろう、と考え込んでしまいます。医学の進歩で、人はなかなか死ななくなり、「脳死」なんて状態で、法律で「これは死です」と判定してもらう。それ自体、何だかイヤ。その上、その体から臓器を取り出して他の人に移植するなんて、う~ん、どうなんだろう。
 私は宗教者ではないけれど、「私のいのち」って何だろう、とか、生きることと死ぬことの距離とか、考えてしまいます。人間はどんどん死ななくなって、でもそれが幸せとイコールではない日常があって、一方には無意味に殺されるいのちがあって…。
 臓器移植そのものに異議を唱えることはおおっぴらには出来ない時代になってしまいました。「移植で救える命があるのに」「自分の子どもだったら、どうなんだよ」と言われると黙り込むしかありません。
 科学は人類にたくさんの幸せをもたらしたと同時にたくさんの不幸せも強いてきました。「進歩・発展」がすべて「善」だと信じないこと、立ち止まって「本当にいいことなのか?」と自問する時間をたっぷり持つことが、何事にも必要だと思うのですが…。
 死ぬのも難しい時代です。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.28(2010.8.31発行)より転載

老親介護

 最近、同じ年頃の女性たちと話をしていると、決まって親の介護のことに話は行き着きます。子どもがひとり立ちして、やっと自分の時間が増えたと思う間もなく、親が老いて目が離せなくなり手がかかるようになり、何年もの過重な介護の果てに、やっと両親を看取った頃には自分が老いて、したいことも出来なくなっている。「女は割りに会わんねえ」で話は終わるのです。
 わが家も、酪農をやめて、さあ、泊りがけで旅行でも出来るぞ、と思ったら、母が老いて、特に今年の夏の暑さですっかり弱って何もしなくなり、一日中ごろごろ・ずーずーと寝てばかりです。物事の判断力も急速に劣化して、40年毎日してきたことも突然仕方が分からなくなるといった状態で目を離せません。介護認定を受けるほどではなく、だからデイケアにも行けず、ごろごろ・ずーずーです。手芸が好きな人でしたが、もうそんな能力も意欲も完全になくしています。ただ、まだ食欲だけは健在で、持病の高血圧・糖尿病によくないといわれるものばかり欲しがります。ダメというと隠して食べるので、いまでは好きにさせています。食べたいものを我慢させて、少しくらい長く生きても幸せとはいえないだろうと思うので…。 それにしても、テレビを観ながら突然、掌に味塩を振りかけてなめる(日に何度も)のを見ると「この人、ゆるやかな自殺をはかっているのか?」と思ったり…。
 ところで、以前にも紹介した介護マンガ『ヘルプマン』の15巻、とてもいいです。ぜひ読んでみて下さい。とてもとても面白い方向に進んでいます。(講談社・イブニングKC・くさか里樹)

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.28(2010.8.31発行)より転載

鳥日記 (2010.8)

 真夏さすがに鳥たちも早朝じゃないと姿を現さず、昼間は木陰に潜んでいるようです。炎天下でも元気なのはサギ類とホオジロくらいです。バイトに行く途中の川でも電線でさえずるホオジロと川の中にたたずんで小魚を狙うシラサギ・アオサギくらいしか見かけることのない毎日です。
 8月最後の土曜日、鳥師匠三丸さんに誘ってもらい、由布高原の林の奥の湧き水の所に水浴びにやってくる小鳥たちを観に行きました。久々の遠出鳥見です。すぐ近くの上を高速道路が通り、車の音は結構うるさいところながら、林に踏み入ると木々の緑に囲まれて、俗世から遮断された気持ちよい空間に身を置くことが出来ました。先客(といっても三丸さんのお仲間・希少生物研究会のおじさん)がすでに来ていて、迷彩色のネットを張って、その隙間から望遠カメラを突き出して水場を狙っていました。
 私たちがそれぞれの場所を確保して間もなくから、次々と美しい小鳥たちがやって来ました。オオルリ、コガラ、ヤマガラ、キビタキなど。間近に見るのは初めての鳥たちです。
 始めは水場の向こうの低木の枝に来て、ちょろちょろと安全を確かめるように枝を移り、それから驚くほどの大胆さで、水場に舞い降りて翼をひろげて体を震わせて水浴びをするのです。その光景が何と我々の4~5メートル先で展開されるのです。何という無防備さか、と感動しました。
 オオルリのコバルトブルーの鮮やかさ、キビタキの黒と黄色のコントラスト、そしてコガラのかわいさ。木々の緑、涼やかにしめった空気、コケむした岩を這い登る1センチにも満たないカエル、草の葉に張り付いて動かない小さな蛾、みんな静かな山の夏の日を伸びやかに生きていました。
 「この後、また別の鳥が来るんだけど…」という声に後ろ髪を引かれる思いで山を下りました。仕事に間に合わないから…。
 さて、下界に下りたら何と暑苦しいこと!
 ところで、オオルリやキビタキなど美しい小鳥たちを間近に見て、もちろん夢中でカメラを構えて撮りまくったのですが、後で見るとどれもイマイチ鮮明に撮れていないのです。いわゆるピンボケです。あんなに間近に被写体がいてあんなに一生懸命ピントを合わせたつもりなのに「なぜ?」。その答えは少々悲しいものでした。「老眼」のせいだったのです。ファインダーから見る映像は眼球のすぐ前にあるから老眼には鮮明に見えないということなのでしょう。今、カメラの方を微調整中です。Mさん、「腕のせい」って言うなーっ、老眼のせいじゃーっ。どっちも悲しいけど。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.28(2010.8.31発行)より転載

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
e-mail:
Copyright ©  -- 農・人・くらし --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ