農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
子供たちに伝えたいふるさと伊深
子供たちに伝えたいふるさと伊深
-「伊深をめぐる路~語り継ぎたい暮らしの風景」のマップづくり-
-「伊深をめぐる路~語り継ぎたい暮らしの風景」のマップづくり-
近くのお年寄りから「井上村長は、その昔、伊深のためにいろいろな事業を起こしてくだれて、それで今、伊深はうるおっとるが、その頌徳碑は忘れられてしまっとるなあ」という嘆きの声が聞こえてきました。
それで、私たちの読書サークル「伊深親子文庫」では、井上太十郎村長の経歴や取り組まれた事業、頌徳碑の場所などを文庫便りで紹介しました。
紹介はしたものの、私たち自身も頌徳碑に行ったこともなければ、遺跡である灌漑池のありかも知らなかったので、一度私たちでその場所を歩いて確認しようということが始まりでした。
サークルのメンバーに、伊深公民館の運営委員がいて、「遺跡巡りをするなら、公民館講座として開催して、地域の人にも呼び掛けてみよう、きっと、興味を持つ人もいるはずだから」と助言してくれたので、早速その手続きをして、地域の人に、回覧版で呼びかけました。
「伊深めぐり」と名付けて計画した講座は、半日では巡りきれない程各所に巡りたいところが見つかり、結局3回に分けて行い、その都度、地域以外からも参加者がありました。その中に、毎回、市役所の方々がおいでになりました。その中の都市計画課のみなさんは、伊深を「里山のある景観地域」としてとらえ、市の景観モデル地域の1つに上げておられました。
公民館講座の直後に、計画した私たちは「伊深地域景観ワーキング」の会合に呼び出されるようになり、そこで、景観保全の話し合いや、現地調査を行いました。その中で出て来たのが、伊深の自然や文化、遺跡の場所を示す地図作りでした。ワークショップの人達、専門家の先生がたを交えて、再度伊深めぐりを行い、それぞれの場所や景観スポットを確認して、地図=マップを作り上げました。
マップの裏面には、私たちが伊深めぐりをしたときに、参加者にお渡しした、それぞれの場所のいわれなどを書きいれました。もちろん、この中には、当初の目的だった井上村長の残した灌漑池や、柴田長七さんが自費で掘った用水の取入れ口も説明してあります。
講座を計画する中で、私たちは、伊深の自然や文化、遺跡などをきちんと子どもたちに伝えることにより、伊深に生まれ育ったことに誇りと自信を持ち、伊深を大切にしてほしいと思いました。その願いのこもったマップです。このマップにより、子どもたちと、さらに「ふるさと伊深」の姿を見つけていきたいと思っています。
福田美津枝
※ 「伊深をめぐる路~語り継ぎたい暮らしの風景」のマップは若干はありますので、希望される方にお分けします。農と人とくらし研究センターnouhito@rircl.jpへご連絡ください。郵送料80円でお送りします。
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チョロちゃん
チョロちゃんの蛾狩りの方は確立5割くらいかな。
時には地面にぼとりと落ちたりすることもあるけど、次の晩はまた元気にガラスに張り付いています。
渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.27(2010.7.30発行)より転載
隠居できない高齢者(1994.4)
サラリーマンであれば、60才で定年、第2の人生といわれるが、それがない。セッセセッセと山の手入れをして、田畑の管理をして財産を守る。立派だと思うとともに、何故、こうまで身を粉にするように働くのかとも思う。サラリーマンであった人が、一定の年齢に達したら、今までの蓄積を基礎に生活するように、くらしにゆとりを持ってよいのではないか。跡取りは家を離れて働いているのであるが、子や孫に対する思いが、都市とは違っているように思う。(あわくら通信第5号)
小松展之
『むらのくらしからみえること』(2009年4月15日発行)から
田舎暮らし
バイト先のYさんが堆肥の配達のために山道(といっても立派な国道)をダンプで走行中、道路をゆっくりと横断しているスッポンを発見。「はじめはカメかと思ったけど、ダンプを止めて降りて見たらスッポンだったんでつかまえて助手席に乗せて帰ってきた」そうです。今、営農組合の仲間に預けてあるそうで、営農の飲み会の時に「みんなで食う」予定だと言っていました。
去年、Y牧場の下にある営農組合の倉庫に、オスのキジ同士が喧嘩して、1羽が窓ガラスを突き破って飛び込んで即死するという「事故」が発生し、そのキジもキジ飯になって、常農のみんなの胃袋に収まったのでした。
Yさん夫妻と、お茶しながら、将来の生活不安の話をしていて、国民年金で暮らしていけるのか、というところから、話はスッポンに発展したのです。つまり、こうです。
都会では、持ち家があれば極貧暮らしで切り詰めれば何とか生きてはいけるかもしれない。でも、家賃を払う暮らしは到底無理だろう。都会では大根のシッポも拾えないもの。でも、田舎で暮らせば、現金なくても生存は可能。野菜は自分で作ればいいし、作れなくても近所の誰彼が「食いな」と持ってきてくれる。魚は近くの川で、いくらでも獲れるし、肉が食いたけりゃ、イノシシやシカもいる。「それに、キジは窓から飛び込んで来るしスッポンは道路を横断してるし…」
というオチが付いてはなしは終わりです。
まあ、イノシシやシカは「食う」というより、畑の作物を「食われる」方が多いのですがね。
しかし、少なくとも、東京の最高齢とみられていた111歳の男性が実は30年以上前に死亡していたらしい、なんて話は田舎では絶対に起きません。近所のばあさんが3日も顔を見せなければ「あんた方のばあちゃん、どうかあるかね?」と聞くし、一人暮らしの老人の姿が見えないと、家に上がりこんで安否を確認します。「昨日、タクシー呼んで出かけた」とか「大きな荷物持っとったけぇ、入院でもしたのかも…」とか、時には煩わしいと思うくらいに近所の目が「見守って」くれます。
私の老後は、施設などに入る金もないし、この家で近所の人たちの目に見守られながら最後を迎えることになるだろうと思っているのだけれど、ただ、家そのもの、つまり家屋が私より早く朽ちるのではないかという不安があります。大きい台風が来ないことを祈るばかりです。
渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.27(2010.7.30発行)より転載
去年、Y牧場の下にある営農組合の倉庫に、オスのキジ同士が喧嘩して、1羽が窓ガラスを突き破って飛び込んで即死するという「事故」が発生し、そのキジもキジ飯になって、常農のみんなの胃袋に収まったのでした。
Yさん夫妻と、お茶しながら、将来の生活不安の話をしていて、国民年金で暮らしていけるのか、というところから、話はスッポンに発展したのです。つまり、こうです。
都会では、持ち家があれば極貧暮らしで切り詰めれば何とか生きてはいけるかもしれない。でも、家賃を払う暮らしは到底無理だろう。都会では大根のシッポも拾えないもの。でも、田舎で暮らせば、現金なくても生存は可能。野菜は自分で作ればいいし、作れなくても近所の誰彼が「食いな」と持ってきてくれる。魚は近くの川で、いくらでも獲れるし、肉が食いたけりゃ、イノシシやシカもいる。「それに、キジは窓から飛び込んで来るしスッポンは道路を横断してるし…」
というオチが付いてはなしは終わりです。
まあ、イノシシやシカは「食う」というより、畑の作物を「食われる」方が多いのですがね。
しかし、少なくとも、東京の最高齢とみられていた111歳の男性が実は30年以上前に死亡していたらしい、なんて話は田舎では絶対に起きません。近所のばあさんが3日も顔を見せなければ「あんた方のばあちゃん、どうかあるかね?」と聞くし、一人暮らしの老人の姿が見えないと、家に上がりこんで安否を確認します。「昨日、タクシー呼んで出かけた」とか「大きな荷物持っとったけぇ、入院でもしたのかも…」とか、時には煩わしいと思うくらいに近所の目が「見守って」くれます。
私の老後は、施設などに入る金もないし、この家で近所の人たちの目に見守られながら最後を迎えることになるだろうと思っているのだけれど、ただ、家そのもの、つまり家屋が私より早く朽ちるのではないかという不安があります。大きい台風が来ないことを祈るばかりです。
渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.27(2010.7.30発行)より転載
キツネの災難
危険を察知して一家そろって逃げ出していてくれただろうことを祈っているのですが、土砂崩れ以降、私はキツネの姿を一度も見ていません。Yさんは牧草地の下の方で最近2匹見たと言っているので、きっと6匹全部、無事だったと思います。思いたい。
あれ以来、毎日、仕事をしながら、キツネの姿をさがしています。草が伸びたこともあって見つけることは出来ないままです。
キツネさんたち、一家そろって元気な姿を見せに出てきてよ。
渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.27(2010.7.30発行)より転載
(2010.7.30)
豪雨続きで、大地も人間も弱りきったところに、ガーーーーッとやってきた猛暑。弱り目にたたり目ですね。連日、38度だ、39度だと報道されると、なんとなく、33度くらい「暑い」うちに入らないような気がしてきます。でも何年か前まで、33度もあると「死ぬほど暑い!」と言っていたような…。
温暖化の一言で片付けたくはないけれど、やっぱり確実に気温は上昇しているなぁと実感せざるをえない暑さです。犬も猫も母もぐったりです。私もぐったりです。
畑の草は大雨と高温度でぐんぐん伸びています。伸びるがままに放置していたけれど、隣の畑と接している一部で、クズやヤブガラシなどのツル系が生い茂って隣の畑のみかんやキゥイの木に覆いかぶさる状態になってしまったので、さすがにまずいと思い、早朝、草刈り機を持ち出しました。
そんなに広い面積を伐ろうとしたわけじゃないのです。でも、ツルが絡まりあって簡単に切れ倒れてはくれません。思った以上に力を要します。ぶんぶん振り回すけどツルは絡まるばかり。草刈機のエンジンの振動はけっこう心臓に響いて体力を奪います。
そのうちお日様カンカンです。
まだ、予定の面積の1/3くらい残っていたけど、「ああ、もうほんとに心臓が止まりそう」と、意志軟弱な私はそこであきらめて、エンジン止めて家に帰って、シャワー浴びて寝てしまいました。
寝ていると、裏の畑(ツルが覆いかぶさっていた畑とは別の人の畑)で草刈機の音がガンガンしはじめ、しばらく続きました。「うるさいなぁ。昼寝も出来やしない」(実はまだ朝なのだけれど)と独り言。
夕方、畑の側を通りかかった時に見たら、何と、私が朝、刈り残していた部分も裏の畑のおいちゃんがついでに刈ってしまってくれていたのです。「うるさい」なんて思ってごめんなさい。
梅雨明けとともに、口蹄疫がやっと終息に向かったようで、やれやれです。宮崎県で、全頭殺処分の対象となった畜産農家の7割が畜産農家として再出発する意向だと新聞に出ていました。若い人、後継者のいる人、借金の額が大きいひと、いろいろ事情は違うだろうけれど、みんな強いです。
みんな殺してしまって、ガランと空っぽになった畜舎を前にして、またここを牛(豚)でいっぱいにするぞ、という熱い思いは私ならわき上がらせることはできないだろうなぁと思うのです。
渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.27(2010.7.30発行)より転載
田の草取り
このところ、田の草取りに追われています。田植え直後には、水を見に田んぼを回っていたのですが、苗が落ち着いて、水回りも落ち着いてきたので、しばらく行かずにいて、数日前に畦草を刈ろうと、田んぼに行ってびっくりです。田植え後に、規定通りの除草剤をまいたというのに、びっしりと草が生えていました。
畦草刈りもそこそこに、田の草取り開始です。家の裏にある3枚の田んぼは、どれもこれも草だらけ。義母に言わせると「隣の田んぼから、種が流れてきたに違いない」。確かに、この田んぼは、昭和30年代に耕地整理をしただけの、今や、歴史的遺物の感がある田んぼです。用水と排水が分けられていなくて、田んぼのそばにある溝には、隣や上の田んぼから水が流れ出て、それを次の下の田んぼに引き入れるのです。でも、見渡せば、隣の田んぼも上の田んぼもそれほど草がひどくない。そこから流れ出たものとすれば、その田んぼも草が多いのではないか。
次に考えられるのは、除草剤散布後の水管理が悪かったこと。夫はこの季節になると、スイートコーン栽培に魂を奪われています。田植えが終われば、後のことは上の空で、暇を作ってひたすらスイートコーン畑に日参します。「田んぼの水見といて」「ああ・・・」てな具合で、全く当てにできないので、仕方なく私が見て回るのですが、どのくらい入れていいものやら、抜いていいものやら、俄か農婦の悲しいところです。おまけに水口も、水尻も、石を置いたり、泥で固めたりする原始的な方法。その加減がむつかしく、まさに「いい加減」だったようです。
仕方なく、田の草取りを始めました。小さい草なら田んぼの中へ押し込めばいいのですが、もはや大きくなってきている「いも葉(こなぎ)」や「ホタルイ」など、とても押し込めるものではありません。プラスチックの「レジかご」を株の間に滑らして、その中にとった草を入れ、一杯になったら、畦に捨て置きに行きます。その重いこと。
腰は痛いし、手は疲れるし、レジかごは重いし…。1回に2時間ぐらいが限度。朝少し、夕方少し。その合間にいろいろな用事で出かけることもあって、約20a、4枚の田んぼに1週間もかかりました。
始めの頃は、何の因果でこの私がこんなことを…と、恨みタラタラでしたが、そのうち、取り終ったあとの奇麗な株間が誇らしく、また、目の前にある草だけをとっていく、何も考えなくてもいい仕事。なかなかいい時間だなあと思うようになりました。
この春に、仲間と作り上げた「ていねいな暮らしがあった頃・伊深の百姓仕事」という昭和30年代の伊深の暮らしをまとめた冊子。この時代はみな、このようにして、来る日も来る日も田の草取りが夏の仕事であったという。そのことを聞き取り、書き記したのでしたが、実際に自分で「田の草取り」を体験して、この仕事が初めて、自分のものになった気がします。
草取りを終えて一段落したら、もう、田んぼには次の草「ヒエ」が目立ち始めました。これからは「ヒエ切り」が「ていねいな百姓仕事」になります。
福田美津枝
畦草刈りもそこそこに、田の草取り開始です。家の裏にある3枚の田んぼは、どれもこれも草だらけ。義母に言わせると「隣の田んぼから、種が流れてきたに違いない」。確かに、この田んぼは、昭和30年代に耕地整理をしただけの、今や、歴史的遺物の感がある田んぼです。用水と排水が分けられていなくて、田んぼのそばにある溝には、隣や上の田んぼから水が流れ出て、それを次の下の田んぼに引き入れるのです。でも、見渡せば、隣の田んぼも上の田んぼもそれほど草がひどくない。そこから流れ出たものとすれば、その田んぼも草が多いのではないか。
次に考えられるのは、除草剤散布後の水管理が悪かったこと。夫はこの季節になると、スイートコーン栽培に魂を奪われています。田植えが終われば、後のことは上の空で、暇を作ってひたすらスイートコーン畑に日参します。「田んぼの水見といて」「ああ・・・」てな具合で、全く当てにできないので、仕方なく私が見て回るのですが、どのくらい入れていいものやら、抜いていいものやら、俄か農婦の悲しいところです。おまけに水口も、水尻も、石を置いたり、泥で固めたりする原始的な方法。その加減がむつかしく、まさに「いい加減」だったようです。
腰は痛いし、手は疲れるし、レジかごは重いし…。1回に2時間ぐらいが限度。朝少し、夕方少し。その合間にいろいろな用事で出かけることもあって、約20a、4枚の田んぼに1週間もかかりました。
始めの頃は、何の因果でこの私がこんなことを…と、恨みタラタラでしたが、そのうち、取り終ったあとの奇麗な株間が誇らしく、また、目の前にある草だけをとっていく、何も考えなくてもいい仕事。なかなかいい時間だなあと思うようになりました。
この春に、仲間と作り上げた「ていねいな暮らしがあった頃・伊深の百姓仕事」という昭和30年代の伊深の暮らしをまとめた冊子。この時代はみな、このようにして、来る日も来る日も田の草取りが夏の仕事であったという。そのことを聞き取り、書き記したのでしたが、実際に自分で「田の草取り」を体験して、この仕事が初めて、自分のものになった気がします。
草取りを終えて一段落したら、もう、田んぼには次の草「ヒエ」が目立ち始めました。これからは「ヒエ切り」が「ていねいな百姓仕事」になります。
福田美津枝
(2010.6.30)
6月半ばから、鹿児島・宮崎で大雨が続いていたのがついに北部九州まで上がってきて、一週間ほどかなりはげしい雨が降りました。やっと色づき始めていたわが家の畑のミニトマトは、雨でみんな割れてしまい、大きいトマト(桃太郎)の実は腐れ落ちています。トマトは水気が多いのを嫌うので、路地栽培にとって長雨はヤバイです。
でも、それくらいで文句は言えません。口蹄疫で牛や豚を殺処分し埋設作業している宮崎県に、無情に降り続いた大雨。作業にあたっている人たちが消毒のために大量に投入された石灰が雨でどろどろ状になった中での作業で、滑って石灰と家畜の死体の海に倒れこんだりしていると聞くと、天を恨めしく思ったりします。
今の時期、雨が多いのは当たり前で、また、降らないと夏場の渇水で苦労することになるのだから、「降るな」とも言えないんだけど、今年は、今、ちょっとだけ、宮崎から遠ざかってあげてよ、梅雨前線さん。
福岡県でも、畜産農家には石灰がどさどさ配布され、農場入り口の路面に散布するように指示が出ています。普段は鷹揚で少々ルーズともいえる酪農家さんたちも、宮崎の惨状が気になるようで、みんなまじめにせっせと石灰をまいています。でも、激しい雨が一晩で流してしまいます。
ああ、早く梅雨があがってくれないかなぁ、早く口蹄疫が終息してくれないかなぁ、です。
渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.26(2010.6.30発行)より転載
でも、それくらいで文句は言えません。口蹄疫で牛や豚を殺処分し埋設作業している宮崎県に、無情に降り続いた大雨。作業にあたっている人たちが消毒のために大量に投入された石灰が雨でどろどろ状になった中での作業で、滑って石灰と家畜の死体の海に倒れこんだりしていると聞くと、天を恨めしく思ったりします。
今の時期、雨が多いのは当たり前で、また、降らないと夏場の渇水で苦労することになるのだから、「降るな」とも言えないんだけど、今年は、今、ちょっとだけ、宮崎から遠ざかってあげてよ、梅雨前線さん。
福岡県でも、畜産農家には石灰がどさどさ配布され、農場入り口の路面に散布するように指示が出ています。普段は鷹揚で少々ルーズともいえる酪農家さんたちも、宮崎の惨状が気になるようで、みんなまじめにせっせと石灰をまいています。でも、激しい雨が一晩で流してしまいます。
ああ、早く梅雨があがってくれないかなぁ、早く口蹄疫が終息してくれないかなぁ、です。
渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.26(2010.6.30発行)より転載
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