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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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田舎暮らし

 バイト先のYさんが堆肥の配達のために山道(といっても立派な国道)をダンプで走行中、道路をゆっくりと横断しているスッポンを発見。「はじめはカメかと思ったけど、ダンプを止めて降りて見たらスッポンだったんでつかまえて助手席に乗せて帰ってきた」そうです。今、営農組合の仲間に預けてあるそうで、営農の飲み会の時に「みんなで食う」予定だと言っていました。
 去年、Y牧場の下にある営農組合の倉庫に、オスのキジ同士が喧嘩して、1羽が窓ガラスを突き破って飛び込んで即死するという「事故」が発生し、そのキジもキジ飯になって、常農のみんなの胃袋に収まったのでした。
 Yさん夫妻と、お茶しながら、将来の生活不安の話をしていて、国民年金で暮らしていけるのか、というところから、話はスッポンに発展したのです。つまり、こうです。
 都会では、持ち家があれば極貧暮らしで切り詰めれば何とか生きてはいけるかもしれない。でも、家賃を払う暮らしは到底無理だろう。都会では大根のシッポも拾えないもの。でも、田舎で暮らせば、現金なくても生存は可能。野菜は自分で作ればいいし、作れなくても近所の誰彼が「食いな」と持ってきてくれる。魚は近くの川で、いくらでも獲れるし、肉が食いたけりゃ、イノシシやシカもいる。「それに、キジは窓から飛び込んで来るしスッポンは道路を横断してるし…」
 というオチが付いてはなしは終わりです。
 まあ、イノシシやシカは「食う」というより、畑の作物を「食われる」方が多いのですがね。
 しかし、少なくとも、東京の最高齢とみられていた111歳の男性が実は30年以上前に死亡していたらしい、なんて話は田舎では絶対に起きません。近所のばあさんが3日も顔を見せなければ「あんた方のばあちゃん、どうかあるかね?」と聞くし、一人暮らしの老人の姿が見えないと、家に上がりこんで安否を確認します。「昨日、タクシー呼んで出かけた」とか「大きな荷物持っとったけぇ、入院でもしたのかも…」とか、時には煩わしいと思うくらいに近所の目が「見守って」くれます。
 私の老後は、施設などに入る金もないし、この家で近所の人たちの目に見守られながら最後を迎えることになるだろうと思っているのだけれど、ただ、家そのもの、つまり家屋が私より早く朽ちるのではないかという不安があります。大きい台風が来ないことを祈るばかりです。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.27(2010.7.30発行)より転載
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