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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

カテゴリー「■ 人」の記事一覧

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いま流行りのカタカナの職業(前編)

 ワークショップのファシリテーター(進行役)を私は都合がつくかぎりいつも喜んで引き受けている。ワークショップの魅力が何かと問われれば、多くの人と出会うことができ、参加者から実にさまざまなことを学ぶことができるからと答える。
 2007年7月の第三土曜日、JICA東京のセミナールームで開かれた国際開発学会の「生活改善」部会でファシリテーターをつとめた。非学会員でも参加できる研究会で、生活改善に関心のある、国際開発にたずさわる若い人の参加が多い。第5回を数えるが、これまでの会合では若い人の発言が少なく、残念に思っていた。彼らの声が聞きたいというのが、発表者の役を引き受けた理由のひとつだった。国際開発に関わる人たちだけあって、若いけれど一種の自信というか、生きていくうえでのたくましさを身につけている人が多い、という印象を私はもっていた。"みんなで楽しく「生活改善」について考えてみよう" と題して、演劇的手法をつかったワークショップをおこなった。
young.jpg ワークショップが始まる前から、参加者のひとりが気にかかっていた。自分は場違いの場所にいる、とでもいうように若い男性が身を硬くしてひとりだけ浮いている。その姿をみて私には彼がいま何を感じているかわかる気がした。20代の頃の私自身の姿がそこにあったからである。居場所がない、肩身が狭いといった、ある種の生きづらさを体現していた。手作りの名札に他の参加者から呼ばれたい自分の名前とロゴマークを書いてもらったが、彼が描いた小さな絵は美しくて好感がもてた。
 お互い知り合うための準備のセッションで、他己紹介という手法を用いた。まず二人がペアになり、それぞれ自分について1分間半だけ自由に語ってもらう。次に自己紹介ではなく、聞いたことを、相手になったつもりになって一人称で紹介する。
 「いま流行りのカタカナの職業をやってます。フリーターというアレです。はじめはかっこいいと思ってたけど、いまはちょっとあせってます・・・」ペアになった元気のいい参加者が、彼にかわって皆に紹介した。そのとき隣に座っている彼の表情が一瞬ふっとゆるんだ。それを確認して、彼への気がかりは私の意識から消えた。

片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)
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二つの雑誌(下) 出会い

 中村さんの言葉を借りれば、私は中村さんと16年前にすでに出会っていたが、鶴見俊輔さんとは、今回はじめて出会うことができた。
 鶴見さんは「上野千鶴子が私の戦争責任を厳しく問い詰めたように、何を聞いてくれてもかまわない」と言って話を終えた。聴衆は20人強で、私が質問の口火を切った。
 京都に住んでいたときに何度か講演を聞いたこと、著作を読んでその思想に個人的にとても共鳴したこと、とくに、言うこと(思想)と実際にやること(行為)がかけ離れていない点が大切であることを学んだことを、まずお伝えした。そして、影響の一例として、戦争責任の取り方について、鶴見さんたちの「坊主の会」を真似して、15年間、8月になると丸坊主にしていた自分の体験を披露した。父が日本軍の兵士だったので、私にも何がしかの戦争責任があると感じていたからである。長い前置きをした後、「鶴見先生が他の戦後の日本の知識人と違って私に魅力的に見えたのは、今日のお話のなかで先生は自分の偏見としてUSAを信用していないと繰り返していたが、そのアメリカのプラグマティズムに由来しているのではないか。先生はご自身ではどう思っていますか」と問うた。
 鶴見さんは、しばし沈黙した後、「ありがとう」と一言いって、私の質問には直接答えず別のエピソードをいくつか披露された。以後、誰の質問に対しても、直答することなく、関連のありそうな話題や体験談を提供することを繰り返した。講演と質問は三時間に及んだ。会が終わって参加者の一人が私に、「鶴見さんはとても嬉しそうな顔をしていたから、あなたの発言は核心を突いていたのだと思う」と教えてくれた。残念ながら、私は鶴見さんの表情の変化に気づく余裕はなかった。
 鶴見さんは、戦後まもなくの著書『アメリカ哲学』の中で、プラグマティズムをあえて訳せば「行為主義」がいいと書いている。私は、鶴見さんが米国から学んだプラグマティズムの思想が戦後の「生活改善運動」のなかにも潜んでいたと思っている。それは米国が育んだ思想の中で最も良質なものである。もしその思想を、生活改善の脈絡の側に手繰り寄せることができるのなら、両者の関係を明らかにして後世に伝えたいと思う。

片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)

二つの雑誌(中) 終刊号

 2日の午後は、鶴見俊輔さんから話を聞いた。白内障の手術後で体調が心配されたが、鶴見さんは思ったより元気な様子で、「私が考える戦後の岐路」という与えられた題目にとらわれることなく、現代史の問題をたてるときには自分を含んでいることが大切であると言って、個人史を中心に語られ、最後は、用意してきたという雑誌『朝鮮人』の話で締めくくった。在日朝鮮人の強制送還の装置だった大村収容所が役割を終えたのは、残念ながら、市民運動の成果というより、必要がなくなったからで、韓国が豊かになり、収容される韓国・朝鮮人がいなくなったからだという。
 雑誌『朝鮮人』は、1969年7月「任錫均氏を支援する会」の機関紙として創刊された。創刊直後、内紛により会は解散し、第2号から故飯沼二郎さんが主催する個人誌となった。任氏は韓国で政治運動を行い、死刑の宣告を受けて日本に逃げてきた人で、会は日本政府が密入国者として彼を本国に強制送還するのを阻止するために結成された。当時、朝鮮人をめぐる日本人の市民運動はまだ皆無の時代で、この運動を通して、飯沼さんは「見えなかった人々が見えてきた」と述懐している。当時飯沼さんは今の私と同じ51歳、鶴見さんは47歳だった。ちなみに、西洋農業経済史に関する飯沼さんの講義を、私は大学生のときに受けた記憶がある。この雑誌に「大村収容所を廃止するために」という副題をつけることを提案したのは鶴見さんである。
 21年間続いた『朝鮮人』の終刊号で、「終刊の辞」を飯沼二郎さんは次のように結んでいる。
 はじめから私は、二〇号まで出すといいふらしていた。私には、もともと意志薄弱なところがあり、個人雑誌を出しても、おそらく二、三号で止めてしまうにちがいないと思われたので、そのような自分を縛る意味で二〇号まで出すといいふらしたのである。そして二〇号に達したとき、私はその「公約」に従って二〇号で廃刊にしようとした。しかし、実は、そのことが、大村収容所を廃止するという本当の「公約」からの違反であることに気づかなかった。
 その提案者である鶴見さんは、大村収容所が廃止されるまで出しつづけるということで、二一号以後の発行を引き受けられた。その生存中に廃止にならなければ、息子さんが発行をつづけるということであった。そして遂に今日、その廃止をみとどけて『朝鮮人』を廃刊ということになったのである。これこそ真に「公約」の履行であり、鶴見さんに較べて、自分の不誠実さを、いやというほど思い知らされている。

片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)

二つの雑誌(上) 創刊号

books.jpg PARC自由学校の「検証戦後史」のクラスが、2007年6月2日から3日にかけて京都で開かれた。受講生の一人として私は京都を訪れ、講師の中村尚司さんから『高瀬川を歩く』の創刊号を、鶴見俊輔さんから『朝鮮人』の終刊号をいただいた。いま手元に『高瀬川を歩くⅠ-崇仁・東九条の歩み-』(龍谷大学、2001.3)と、『朝鮮人-大村収容所を廃止するために-』第27号(朝鮮人社、1991.5)が置かれている。
 「人々が出会う高瀬川」と題する、中村尚司さんの発刊に寄せての一文は次のように始まる。
 ヒトは誰でも、人間に出会って、はじめて人間になる。人間に出会うことのないヒトは、ただの哺乳類である。暮らしの豊かさは、出会った人間の豊かさで決まる。私の出会った人柄の豊かさが、人間として私が獲得できる豊かさの源泉である。
 その反対に、対等な人間として出会う道を閉ざす試みが、社会的な差別の出発点である。人間の営みを他の人間から断ち切る社会的な力が、部落であれ民族であれ、あらゆる差別の根源である。そのような試みは、差別される側だけでなく、差別する側の人間も貧しくする。
 『高瀬川を歩く』は、長年に及ぶ社会的な差別の力に逆らって、人が人に出会う場を語る。・・・この『高瀬川を歩く』では、ヒトが人間となって育ち、出会う場を提供したい。・・・
 中村さんの案内で、3日の日は一日かけて、受講生一行とともに高瀬川沿いに崇仁地区と東九条を歩き、電車で宇治市に移動してウトロ地区を訪れた。崇仁地区では柳原銀行記念資料館で「崇仁地区の文化遺産を守る会」の山内政夫さんが、ウトロ地区では「ウトロを守る会」の斎藤正樹さんが、休日にもかかわらず、私たちの案内と説明を買って出てくれた。今回この三つの地区に、私ははじめて足を踏み入れた。18歳から36歳まで18年間も京都に暮らしていたにもかかわらず、である。被差別部落も在日朝鮮人も、長く京都に暮らしていれば関わりが全くないことはない。しかし、当時の私は自分の視界にそうした問題を入れることはなかった。一緒に歩いた受講生の浅輪雅夫さんの言葉が耳に残る。「少数派というのは、多数派になることはなくても、社会にとって重要な存在なんですね。」

片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)

農と人とくらし研究センター

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