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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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二つの雑誌(上) 創刊号

books.jpg PARC自由学校の「検証戦後史」のクラスが、2007年6月2日から3日にかけて京都で開かれた。受講生の一人として私は京都を訪れ、講師の中村尚司さんから『高瀬川を歩く』の創刊号を、鶴見俊輔さんから『朝鮮人』の終刊号をいただいた。いま手元に『高瀬川を歩くⅠ-崇仁・東九条の歩み-』(龍谷大学、2001.3)と、『朝鮮人-大村収容所を廃止するために-』第27号(朝鮮人社、1991.5)が置かれている。
 「人々が出会う高瀬川」と題する、中村尚司さんの発刊に寄せての一文は次のように始まる。
 ヒトは誰でも、人間に出会って、はじめて人間になる。人間に出会うことのないヒトは、ただの哺乳類である。暮らしの豊かさは、出会った人間の豊かさで決まる。私の出会った人柄の豊かさが、人間として私が獲得できる豊かさの源泉である。
 その反対に、対等な人間として出会う道を閉ざす試みが、社会的な差別の出発点である。人間の営みを他の人間から断ち切る社会的な力が、部落であれ民族であれ、あらゆる差別の根源である。そのような試みは、差別される側だけでなく、差別する側の人間も貧しくする。
 『高瀬川を歩く』は、長年に及ぶ社会的な差別の力に逆らって、人が人に出会う場を語る。・・・この『高瀬川を歩く』では、ヒトが人間となって育ち、出会う場を提供したい。・・・
 中村さんの案内で、3日の日は一日かけて、受講生一行とともに高瀬川沿いに崇仁地区と東九条を歩き、電車で宇治市に移動してウトロ地区を訪れた。崇仁地区では柳原銀行記念資料館で「崇仁地区の文化遺産を守る会」の山内政夫さんが、ウトロ地区では「ウトロを守る会」の斎藤正樹さんが、休日にもかかわらず、私たちの案内と説明を買って出てくれた。今回この三つの地区に、私ははじめて足を踏み入れた。18歳から36歳まで18年間も京都に暮らしていたにもかかわらず、である。被差別部落も在日朝鮮人も、長く京都に暮らしていれば関わりが全くないことはない。しかし、当時の私は自分の視界にそうした問題を入れることはなかった。一緒に歩いた受講生の浅輪雅夫さんの言葉が耳に残る。「少数派というのは、多数派になることはなくても、社会にとって重要な存在なんですね。」

片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)
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