忍者ブログ

農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

バラ満開

dure2_43bara.jpg 次女がちょうど1年前の今頃から、コツコツと「開墾」を始めて、冬に植え付けたバラが今、満開です。まだ木が小さいので豪華絢爛とは言えないけれど、でもきれいに咲きそろってくれて感動ものです。
 1年前は藪でした。小さな手鍬一本で、竹、クズ、ヤブガラシ、ギシギシなどの根を掘り、大きな石もたくさん掘り出し、半年かけて草一本ない畑にしました。
 次女は薬剤師として岡山で働いていたのですが、うつを患って、いろいろあって家に連れ戻し、もう4年あまり引きこもり状態でした。去年の春、突然、「バラ園を造る」と開墾を始め、毎日、ほぼ一日中外で作業をするようになり、近所のおばさんたちとも親しく会話できるようになり、バラが咲き始めた5月、ついに就職しました。
 祖母の最後を看取ったこともあって、ヘルパー2級の資格を取る気になり、4月に講座に通い、資格を取りました。しかし、就職となると薬剤師の経歴がけっこう重く、「なぜ、高給がとれるのに、薬剤師の仕事をしないのか」と不審がられたり、また、介護施設はどこも「夜勤」があって、「夜勤は無理」という次女の望むようなパート勤務は簡単に見つかりません。
 そんな時、有光さんのお仲間の安部住職が理事長をされている犀川学園という知的障害者施設にお世話になることになり、「夜勤は無理」と言いつつ夜勤も何とかやっています。
 毎日、帰宅するともうぐったりで、バラの手入れどころではなくなってしまったけれど、一ヶ月続いたので、ちょっと希望もてるかなぁ、とハラハラしながら話聞き役に徹しています。
 バラの花がら摘みや消毒や草取りも娘に代わって私がやります。「仕事がザツ」と文句言われながらやっています。
 満開のバラに囲まれて、道を通る近所の人たちに「きれいねえ」とか言われたりしたかったのだろうけど、でも、社会人として再出発できたことの方がどれだけ娘の人生にとって大事なことか、と思うのです。給料は薬剤師の頃の3分の1くらいだけど、でも、前を向いて歩いてくれれば、それだけでいい、と思うのです。
 「バラ園」造りがとてもいいリハビリになったのだなぁと、炎天下でしゃがみこんで竹やクズの根と格闘していた去年の次女の姿を思い出しています。
 ところで、老人介護施設や障がい者施設などの職員の仕事というのは、肉体的・精神的に本当に重労働なのに、給料が低すぎると思います。福祉国家とは名ばかりで、高速道路造ったり軍艦や戦闘機を買ったりする方に税金をつぎ込んで、福祉の現場で働く人たちは家族を養えないような低賃金のままです。彼らを支えているのは使命感なのでしょうか。
 それに甘えている「政治」に、私たちはもっと怒るべきです。民主党の「モノから人へ」なんて、うそっぱちじゃねえか!

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.43(2012.5.31発行)より転載
PR

宮沢賢治の童話,『グスコーブドリの伝記』

 「ブスコーブドリの伝記」は,あのイーハトーブの火山局技師,ブドリの短い生涯を語った童話である。腕の良い木こりの息子として生まれ,天候異変や火山の噴火など自然環境の厳しさとそこで暮らしを営む人びとの暮らしをよくしようと努力していくストーリーになっている。
 ブドリが最も影響を受けるクーボー博士は,宮沢賢治その人のように見えてくるのは,私一人ではないだろう。科学知識を熟知し,それを人びとに教えながら,地域に役立つ技術をつくりだし,若い人々を育ててゆく。
 私は賢治の作品をすべて読んだわけではない。でもこの童話の舞台となるイーハトーブそのものを描いたのは,この作品だけではないだろうか? イーハトーブは岩手県そのものをさす,と言われている。賢治が農業学校の講師として活躍した花巻は,イーハトーブの里として地域おこしに使われているので,多くの人は,こうした宣伝を通じてイーハトーブを知り,賢治の世界に入っていく契機にもなっているのだろう。イーハトーブは,賢治が理想郷として描く地域で鏡の国アリスの世界と同様なもの,創造された世界であることを語っている。
 この伝記を読んでいてオリザを耕作した人が「山師」として扱われている。オリザとは稲のことで稲作をしてそれで儲けようとしている農民をリアルに描いているが,こうした位置づけは,賢治がどのように農耕を考えていたのか,手掛かりになり,実に興味深い童話になっている。どちらかというと難解な『農民芸術概論』を読む上での導入口としての『グスコーブドリの伝記』をお勧めする。
 なお,アニメの情報は以下のサイトで。
 http://wwws.warnerbros.co.jp/budori/

富田祥之亮

鳥日記(2011.5)

 「目に青葉、山ほととぎす 初鰹」の季節です。ほととぎす、とにかくよく鳴きます。我が家の周辺でも、ほぼ一日中鳴きます。鳴き続けます。たぶん同じ個体、つまり一羽だと思うのですが、我が家の近くの高くて葉の茂った木ばかり数本選んで、その数本の木を移動しながら鳴き続けます。早朝から、昼間も、夕刻も、深夜であっても鳴きます。雨がザーザー降っても鳴きます。木から木へ飛び移る途中も鳴きます。大きな甲高い声を張り上げて鳴きます。トッキョキョカキョク・トッキョキョカキョクと鳴き続けます。
 よく疲れないものだと感心します。よくノドがつぶれないものだと感心します。あれはメスへのラブコールなのでしょうか。縄張り宣言なのでしょうか。いずれにしても、オスという生き物は大変です。
duredure35_usagi.jpg 最近、母のこともあり、あまり遠出していません。家の周辺で見かける鳥の種類も冬場に比べると減っていて寂しいです。いま、カメラが活躍するのはもっぱら野ウサギちゃんに向けてです。バイトに行く途中の田んぼに脇の茂みから野ウサギが出てきて、のんびり草を食べているのに頻繁に出会います。
 いつも同じ距離から同じ時間に撮るので、似たような写真ばかりになり、娘からバカにされます。でも、毎日「今日は出ているかな?」「おっ、いた!」とついついカメラを取り出すわけで、同じ大きさ、同じアングルのウサギちゃん写真がどんどん増えていくばかりです。
 しかしまあ、このウサギちゃん、車がガンガン通る道路に面した田んぼでのんびりお食事の毎日って、警戒心なさすぎじゃないの?

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.35(2011.5.31発行)より転載

M君、酪農廃業

roubai.jpg 私と同じ築上町船迫で酪農をしていたM君が先日、とうとう廃業しました。彼はまだ40代前半かな?若いので今後どうして暮らしを立てて行くのか、他人事ながら心配です。借金が2千万とも3千万ともウワサされています。家や土地を売っても、船迫じゃぁたいした金額にはなりません。いらぬお世話だけど、これから大変だろうな、と思うのです。
 船迫という地区はかつては酪農がとても盛んな集落で、私がここに来て酪農を始めた頃は、船迫全戸で60戸くらいの集落の中に酪農家が11戸もありました。あれから35年、今回のM君廃業で最後の1戸が消えました。
 築城は当時からレタスの特産地で、牛飼いの我々はレタス農家の庭先を回ってレタスの外葉を回収して(もちろんタダ)牛に食わせて乳を搾っていました。冬場の半年はレタスと稲わらだけで粗飼料は十分でした。脂肪率3.0の時代の話です。レタス農家に「牛飼いはええなぁ。タダの物食わせて乳でもうけて、おまけにクソまで金にする」と言われていました。
 時代は変わり、乳脂肪率が3.5だの3.6だのと誰の意向か知らないけど、どんどん引き上げられ、レタスで牛飼いは出来なくなりました。輸入乾草で牛を飼うのが常識のようになり、みるみる収支残高は減っていきました。円高・円安などというどうにもならない情勢に振り回される不安定な経営が農家を疲弊させ、精神を荒廃させて行きました。
 今、ホルスタインの乳脂肪率はほぼ4.0以上です。牛自体がそういうものに「品種改良」されてしまって、元には戻せないらしいです。それが経営安定につながるのではなく、経営基盤を弱らせ、収入を減らし、廃業や倒産を促進しているとしたら、それは「改良」とは言えないのでは?
 稲わらとレタスの外葉、いわば産業廃棄物の有効利用で営んでいた酪農。それは収入の過多という意味とは別の「豊かさ」を示していたように思います。
 日本の酪農の将来がどうなろうと、私の知ったこっちゃないけれど、かつて一緒に汗を流した仲間たちが次々と借金返済不能で倒産廃業に追い込まれていくのを見るのはつらいし、こんな風に農家を押しつぶして平気な国が栄え続けるはずがない!と腹が立つのです。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.41(2012.2.29発行)より転載

農地の除染

 福島原発事故により放射能汚染された土壌の除染作業が進められています。表土を削り取るという単純な作業のようです。田畑も同様です。
 いったん放射性物質が大量に降り注いでしまった以上、汚染された土壌を取り除く以外に方法はないのでしょう。仕方のないことだと思います。
 でも、「汚染された土を削り取る」ということがなにを意味するのか、私たちはもう一度よく考えてみるべきだと思います。田畑の土というのは、単に無機物と有機物の混合物ではないのです。親やその親やそのまた親や何代もの農民たちの血と汗と涙を重ねて出来上がった、いわば歴史そのものだと思うのです。
 本紙の前身である「楽農ぐらし」に以前書いたことなのですが、かつて酪農の大先輩だったおばちゃんが、田んぼの基盤整備工事の後でこう話してくれました。「基盤整備の工事でうちの田んぼの上土が○○の田んぼに行ってしまった。取られてしまった。悔しい。あの田んぼには牛の堆肥をせっせと入れてきた。車も行かん狭いあぜ道をリヤカーで運んだ。雨や雪でぬかるんだ時にはソリに乗せて引いて行った。そうやって堆肥で肥やした大事な土がみんな他所の田に乗ってしまった。○○に取られてしまった。悔しい。わしゃ、○○に〈西から風が吹いてきたら、わしの恨みの風と思え!〉と言ってやった。」
 基盤整備工事というのは、あちこちに散らばっている小さな変則的な形の田を出来るだけそれぞれ一ヶ所に集約して四角にして農作業がし易いようにする事業です。だから、自分の田が元の位置に必ずしもなるわけではないのです。このおばちゃんの丹精込めた田のあった位置は○○さんに割り当てられる結果になったのです。仕方のないことですが、おばちゃんのいう「悔しさ」は分かるような気がしました。
 農民にとっての田畑の土はそういう重い意味を持っているものです。歴史です。文化です。いのちの連なりです。
 そういうものを放射能で汚したのだということを、東電も政治家も役人も財界人も、ちゃんと認識しなくてはいけないと思うのです。汚染された土を取り除けば、それでいいという問題ではないということを、金で補償すればいいという問題ではないということを、ちゃんと思い知らねばならないと思うのです。
 ヤツ等はそんなこと少しも分かろうとしていない!
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ペルシャ湾情勢がまた不安定になってきているようです。もうメディアは原油が値上がりするのだのオイルショック再来だのと煽っています。
 せっかく脱原発が見えてきたというのに、世論を「やっぱり原発は必要だ」という方向に引き戻す口実が出来たようで、ヤバイです。
 一家に一冊、松下竜一さんの『暗闇の思想』を!

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.40(2012.1.16発行)より転載

区民農園ミニコメント

背中に残る子供のぬくもり
 学園の子供たちとサツマイモの苗を植えていたとき、しゃがんで作業していた私の背中にソッとおぶさり、ネエー爺ちゃん何しているの? と、話しかける子がいた。
 見ると小学校低学年らしく、2人はそのままの姿勢でしばらく話しをつづけた。
 名前も顔も知らなかった子供の柔らかい、温もりは今でも私の背中に残ってる。

ネギの声を聞く
 家庭菜園定番の長ネギは春先になると、今年こそは!とみな勇んで植えつける。“太くなれ”“長くなれ”と… 深い植えみぞを掘り、ワラを背に敷いて植え、そして早い時期から根気よく土寄せを繰り返す。これは間違いではないが…、ここでネギの声を聞いてみよう。「乾きには強いが湿気には弱い」三沢地区のような多様な地形の場所では畑によっては深い溝が雨時にプール状になって致命傷となることがありうるのです。

石うすのこと
 苦労の末、少しばかりのソバの実を収穫した。量が量だけに製粉屋でも相手にされない。
 さてー…と、庭石にしてある昔の石うすを掘り起こして何とか試せる状態にはしたが、どっちまわりに回すのか?、臼の穴にはどの程度入れるのか?等々戸惑うばかり。
 昔は石臼の目立て屋さんという人がいて定期的に巡回していたとか。
 何度もひいて篩って粉らしくなりソバにしてはみたが、かすかなジャリジャリとした食感は気になった。これも臼が何十年と眠っていた間の風化の味かと納得しつつ味わった。

火鉢のこと
 美里和窯でできた炭を持ち帰り、早速火鉢を持ち出して試してみた。
 猛烈に寒いこの冬、居間の補助暖房としてかなりの威力を感じた。ヤカンをのせておけば使いきれないぼどの熱湯が沸く。ペットボトルに入れて布団の中に置けば朝まで快適である。
 そんな中、ヒヤッとしたことがあった。
 遊びに来た小さい孫が火鉢の周りで遊んでいたが突然眠気を訴えた。一酸化炭素のことも気になっていたので部屋の換気には気を配ってはいたが、もしやと思い、別の部屋で寝かせた。
 まもなく元気な姿にもどって安心したが、素人なりにこの出来事を振り返ってみた。昔とくらべ部屋の気密性が高まっている中で、大人と比べて敏感な幼児がいるときには格段の注意が必要と。

林弘旦(農と人とくらし研究センター スタッフ)
農と人とくらし研究センター冊子
『区民農園の歩み』2012年3月20日発行に一部掲載

毛虫

 朝顔が伸びてきたので支柱を立てました。竹を切って次女と二人で運んで立てました。終わって家に上がって仕事着を脱いだら、小さな毛虫がたくさん服に付いていました。翌日から、二人で体中をぼりぼり、がしがし。娘の方が激しい症状で、皮膚科に行きました。
 医者は見るなり「チャドクガです」
 帰って図鑑を見ると「ツバキ・サザンカに付く」とありました。朝顔のそばにサザンカの木があります。おそるおそる近づいてみると、一箇所に毛虫の塊りが…。うおっ、おぞましや!
 早速、殺虫剤を買いに行きました。「最大4メートル飛ぶ」と書かれているスプレーを買いました。出来るだけ近づきたくないと思って。でも、実際には、1メートルくらいしか飛ばない感じで、よくよくかけようと50センチくらいまで近づいて散布。翌日見に行ったら毛虫はいないようだったので、薬が効いたのでしょう。
 私も娘も、毛虫を見て「きゃーっ」と叫ぶほどではないのですが、毒蛾の幼虫って怖いですねぇ。今後は気をつけよう。
 もう一つ毛虫の話。プランターに植えていたパンジーの葉を数匹の毛虫がぼりぼり食い漁っています。黒に赤いトゲトゲのケバイ毛虫です。図鑑で調べたら「ツマグロヒョウモン」というよくみかけるきれいな蝶の幼虫でした。きれいな蝶だから許してやろう、と食い漁るままにしていたら、そのうちの2匹がサナギになりました。きらきら光る点々が付いたサナギです。先日、そのうちの一つが羽化するところを娘が見つけました。もう一つはまだサナギのままです。今度は私も立ち会いたいと思って、日に何度も見ています。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.36(2011.7.4発行)より転載

バラ園か藪か

 我が家の裏に5反ばかりの土地があります。酪農をしていた時は牧草地でした。酪農を廃業した直後は「野菜を生産して出荷して、それで生計をたてよう」などと思っていましたが、実際には、そんな体力も気力も技術も持ち合わせておらず、5反の土地は文字通りの原野と化しています。
 ここはもともとが竹藪だった土地なので、耕作しないと、あっという間に藪に戻って行きます。切っても切っても、草と竹がどんどん茂ってきて、気力が萎えまして「見ないことにしよう」と2年ほど放置していました。(その結果、どういう状態になっているかは、とても言葉では言えません)
 うちの次女はこころの病で仕事も辞めて自宅療養3年目です。その次女が最近、ガーデニングなどを少々やり始めまして、特にバラに熱中しています。家の表の花壇は限られたスペースしかないので、余り多くのバラを植えられません。そこで目をつけたのが、藪と化しつつある裏の土地です。道路に近い一角を「開墾」し始めました。
 次女はトラクターも草刈機も使えません。クワも使ったことがありません。貝堀りの熊手をもうちょっと頑丈にしたような道具で、地面にへばりついて、こつこつと開墾しています。竹・クズ・ヤブガラシなどの密生していた所を私が草刈機で切りました。その後をこつこつ掘って、根を掘り出しています。冬がバラの植え替えにいい時期だから、それまでに何度か出た芽を掘り出し、また出た芽を掘り出しするのだと張り切っています。
 ここがたくさんのバラが咲き乱れる花園になるまで、彼女の気持ちが折れずにいてくれれば、家でごろごろしているより、ずっと健康的でいいのですが…。
 「ここがバラ園になっても、人に見えないから、竹や草を切ってよ」とせっつかれて、私も草刈機を背負う日が増えています。
 さてさて、ここがバラの花園になるか、竹藪が我が家の軒先まで迫り来るか、数年後のお楽しみというところです。
 ところで、娘がコツコツ開墾しているのを近所のおいちゃん・おばちゃんたちが見て「おねえちゃん、がんばりよるねぇ。バラがいっぱい咲くのを楽しみにしとるよ」と言ってくれるのはいいのだけれど、その後に続けて「でも、気をつけりよ。この場所はあんた方がここを買ってブルで押した時に、マムシの巣があって、バケツいっぱいのマムシが捕れたんやけぇ」と誰も彼もが「忠告」して下さるので、娘はかなりびびっています。
 40年近く前のことなのに、みんなよく覚えているんですねぇ。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.36(2011.7.4発行)より転載

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
e-mail:
Copyright ©  -- 農・人・くらし --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ