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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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「農村生活」時評31 "共同ぶろに入ろう"

 鳩山内閣が発足早々から難題に直面している。この内閣の前途はともかくとして、皆さんは首相の初めての国会演説のことを覚えておられますか。鳩山さんがこの演説だけを残して去るのではないか、と早々と予測する人もいる。これまで歴代の自民党首相演説があまりにも酷かったせいか、この「所信表明演説('09.10.26)」は私にとっても新鮮で、世間の評価が高かった。しかしどうもあの鳩山さんにしては出来すぎだと思ったら、ともかく朗読の練習は自分でやったが、原稿を作文した官邸スタッフと添削者が明らかになった。オバマ演説も別に書き手はいるのだから、その是非ではなく、私が注目したのはそこに「地域のきずな」という項目で地域社会の再生が提起され、「信頼の市民ネットワーク」という中味で新しい共同体という表現が登場したことである。
 新しい世紀を迎えた時から、時代にふさわしい、何らかの人々の連帯のあり方が問われてきたが、前にこの雑文欄でも触れたように、ここへきて懐かしい「共同体」という表現が世間に登場してきた。詩人・作家の辻井喬は一年前にやはりこれからの社会の姿を問われて、慎重に「共同体の再評価、でしょうか」と発言している。この言葉にはかつての古いマイナスの語感があるから、勉強してきた人ほど発言に注意してきたが、これまで「共同体」をおしのけて戦後社会を支配してきた既成組織への反発も、さらにはそれらの刷新の課題もあり、半世紀ぶりに新鮮な装いで登場してきた。
 さて市民連帯とか同好のサークルといえばわが「農と人とくらし研究センター」もその一つに他ならないが、やはり「共同体」となると空間的限度の側面を備えた、市民の暮らしの要素が含まれるのではないか、と愚考する。そもそもこの話の基本は連帯のあり方の模索だから、人々の結びつき方自体については、私はこの社会の中でみんな勝手に、それこそ好きにやってくれ、という思いである。そこにはどのような限定もいらないが、もし、具体的に日本のどこかで地域づくりを検討するとなれば、やはり多くの指導者・関係者たちが、営々と農村地域で積み上げてきた経験がこれからの社会には生きることだろう。ともあれこの課題が今後の論壇の重要なテーマの一つになろう。
 そこでは人々の連帯のあり方が最大の課題で、そこから二次的に施設や空間設計のあり方が盛んになる。多分、そこでの暮らし方はあまりにも当たり前の営みで新しい関心も呼び起こさず、したがって殆ど研究課題にはならないだろう。しかし私はエコ時代にふさわしい素朴な暮らしの設計を図り、その生活単位から積み上げて、そこの空間のありかたも人びとの連帯のありかたも再検討するという模索の回路、もしくは課題の側面を尊重したい。暮らしといっても単なる衣食住のような日常生活だけではない。
 これまでの伝統的な「共同体」にあたかも自然に存在していて、今の、かつこれからの「共同体」づくりに最も欠けているのはそこの暮らしの精神的な核になるもの、地域の目玉になるもの、地域個性の象徴になるものである。どうやら傑出した指導者が核になる時代ではない。さりとてテレビ局を呼ぶような、地域の目玉として祭りを新しく生み出すのにはかなりの背後地と住民エネルギーの蓄積が要る。他人に頼らず金もかけない、住民が共有できる新鮮なシンボルが地域社会には不可欠である、と人々が考えるようになった時から、物事がはじまる。
onsen.jpg かつて山口大学・故山本陽三先生のお供をして院生・学生さんと一緒に、福岡県糸島地域を農村調査に歩いた時、ひとつひとつの集落が隣とは全く異質のシンボルを持っていることに驚いた記憶がある。もっとも調査対象のそのような核を探して歩いたのではなく、それぞれの社会組織を調査票に記入する際に、その訪れた集落が一体、何を中心にして社会としてまとまっているのかと、私が関心を持って現地で体感しただけである。そこではやはり特別に、伊都国以来の歴史の豊かな地域だけに神社・仏閣、祭りなどの伝統的なものが多かったが、一方では混住社会の全く新しい組織体に誇りを持っていたり、農業先進地にふさわしい営農組織を生み出していて、そこでは地域が生き生きとまとまっていて感銘を受けた記憶がある。あるところで各世帯にはフロが無い時代に集落で共同風呂を設けて維持してきた例に出会った。その後時代が変わり農家の生活も改善されたが、それでも困難な時代の記憶のためか、その設備を大事にしておられた。私が「これはフロ・コミュニティーだ」といったら、山本先生が大笑いされた思い出がある。
 この連載に時々、ふろの話が出てきて恐縮だが、私の住んでいる市にも隣の市にも公共の入浴施設がある。どちらも高齢者を中心にして繁盛しているが、全国的な温泉ブームも根っこにあるのはこういう生活性向ではないか。残念ながら、まだ住民連帯のために自主的に新しく地域に共同風呂をつくったという話は聞かない。しかし今は夢物語だが、日本中の地下にある温泉源を活かして、何かを造る試みはいつかは現れるであろう。

森川辰夫
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