忍者ブログ

農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「農村生活」時評19 "再び地域経済・自給圏構想を"

sakura.jpg 21世紀の愚策として歴史に刻まれるのか、いま話題の「定額給付金」の即日支給の自治体として青森県西目屋村がメディアに登場した。全国的に無名で地味な村なので、村長さんがこの機会を狙っていたそうだから、この宣伝作戦は成功である。ただ、この出来事の背景に、この小さな村が村民投票で津軽全域を被った平成大合併をことわった経過があることが印象的であった。私は7年半もこの村の隣、弘前市に暮らしたので、岩木山信仰や「太宰治」などでそれぞれに由緒ある市町村が広域的に一緒くたになり、多様な地域が平板に表現されるようになり、何がなんだか分からなくなってしまい、残念に思っていた。
 もう10年以上前の、その弘前にいた頃の出来事だが、津軽全域からの参加者のいる会合で私の話にえらい勢いで発言した人がいてびっくりしたことがある。もとより頼りない話の中身に反発したのだろうが、その方の語調というか、口調というか個性的な津軽弁にも参った記憶がある。そのあと会合関係者にその発言について意見を聞いたら、皆がなぜか話題にしない。「おかしいな」と思ったら、この発言者の地域には、昔から独特の語調があって、地元津軽の人は慣れているらしい。ただそのことを口にすると、なにか差別につながるような恐れがあり、その場の関係者は皆、公務員だったから避けたということのようだった。外部から見るとおなじ津軽でも風土・景観ばかりではなく、地域には文化的個性があり、難解で有名な津軽弁にも文字だけでは表現できない個性的な口調があるらしい。
 現今のアメリカの金融危機に際して、世間には多くの発言があふれているが、かねてからこの事態を予想して警告を発してきた評論家・内橋克人氏の発言は、特に重要である。今は病み上がりらしくあまりメディアに登場しないが、TV番組でこの危機を脱する方策を問われて、氏の持論である「共生経済」論を説かれ、食、エネルギー、ケアなどの地域経済圏の構築を述べられた。私はこのごく短い発言を聞いて、20年も25年も前に国土庁の地域定住圏の関連で故吉田喜一郎さんたちと今で言うところの地産地消の、「地域定食圏」構想を提唱したことを思い出した。今の農村地域をみると、定食圏構想にあった産直センターのようなもの、農村食堂のようなものは盛んになったが、いずれも広域的な範囲が営業圏になっており、グローバル化全盛のこの歳月、枠組みとしての「地域圏」の実体もイメージも定着しなかったようである。今日の社会でこれらの提案のような人間本位の「地域」を構築することはすなわち、今の支配的な「社会システム」を創りかえることだから、もとより簡単なことではない。
 農と食のあり方の課題は各論となると難問山積とはいえ、少しずつ関係者にかつ地域社会にも見えてきたようである。また全国民的な関心事、福祉問題は全く国の政策そのものの責任だが、それを実施するのは給付金とおなじく自治体単位になっている。しかも福祉事業をいわゆるビジネスにして展開しても、そのケアの人手はどうしても地域自給となるだろう。内橋氏が今日的に共生経済の中身でケアを重視するゆえんである。この福祉活動は農業よりも公共的な側面が強い世界である。日本では社会が崩されて「国」が公共的な世界を代表しているが、人々の暮らしにとっては自治体は基本的な「地域」である。それが「平成大合併」で住民感覚上広域となり、いわば暮らしから距離をおくようになったことが残念でたまらない。暮らしの中で日々、住民自身が身近に地域を学習しなければあるべき「地域経済圏」などは、空中楼閣にすぎない。その意味でかの「大合併」は地域づくり運動には大きな打撃だった。社会環境が変わったら改めて分町分村を考えるべきだと思うが、それよりも地元で農産物を食べる、小規模な福祉の助け合いシステムをつくるといった、暮らしを創る活動の方が現実的だろう。この先、そういう活動が地元の若者の雇用と結びつけば、展望は一気に開けるのだが。

森川辰夫
PR

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
e-mail:
Copyright ©  -- 農・人・くらし --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ