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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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「農村生活」時評15 "献立はどこへ?"

 何か考えている時に、そのテーマに関連する情報に接すると有難いし、なによりも励まされるものである。昔の馴染みの研究者仲間では、お互い、役立ちそうな文献の紹介は日常のことだった。今のような文献検索のシステムが整備される前の話である。隠居生活の今は圧倒的な情報量のTVと新聞中心のくらしだが、乏しい読書の中にドキリとすることもある。この欄で「100」という数字にこだわった話を書いたが、すぐその2.3日後に、地域での読書会の関連で「民族、国民にとって自ら関わった戦争の総括には百年という歳月が必要」という歴史家・文芸評論家の対談を読んで驚いた。
school.jpg かつて私は「農村生活研究」の手法の一つとして、農家食生活分析のために「献立型」というものを考えたことがある。農村生活にはいまなお多くの解決すべき課題があり、従って独自の研究領域があるはずだが、といっても必ずしも独自の研究手法が開発されてきた訳ではない。隣接する学問の手法を借りて、他人のやらない、いわば地味な問題をていねいに取り組むというのが、率直なところ、この分野の研究の大勢ではなかったか。もちろん私にとっても生活行動の類型化、生活時間、生活リズムなどの手法が独自の積りでも、どこかにルーツはある。この「献立型」のアイディアも出自は家政学であろう。ただ全国の多くの農家事例を対象に長期記録分析も含めていわば全面的に展開を試みたのは、前例がなかったから、ほとんど独自の手法だと思い込んでいた。しかし余程欠陥の多い手法で、その研究成果にもみるべきものがなかったようで、その後、全く関連研究が生まれなかった。それどころかそもそも評価の対象にもならなかった。私の生活時間研究や生活リズム論も不毛で後継者が皆無であることは同じだが、それでも当時研究者仲間で少しは話題になった記憶がある。しかしこの「献立型」はそれもなかった。
 そのような経過から私はいろいろな場面で「献立」という言葉をみるとドキリとする。もちろん「型」という手法だけにこだわっている訳ではない。昭和30.40年代の農村生活分析に役立ったとしても、今日の状態は異なる。高度経済成長期を経て日本の食生活が「多様化」して、ついには崩壊しいわば「形無し」になったことが不幸の根源で、「献立」として捉えることさえ困難になっている現状が気になるからである。購入した冷凍餃子でも、単品ではなく「献立」の構成部分になっていれば救われるのだが。
 評判のわるい、というより評判にならなかった私の「献立型」諸類型の基本型はごく当り前のもので、ご飯・味噌汁・主菜・副菜というものだが、これが「風倒木」⑭の大学学生食堂の夕食に「登場」して安心した。この献立はもともと高齢者施設の定番であるが、今はそこに色々な工夫と彩りがあってそれぞれ量はわずかでも献立としてはもっと立派なものになっている。
 日本列島におけるあるべき食生活の姿を、歴史と風土をふまえて再構築しなければならない時点にきているが、食材としてはやはり米、やさい、魚(海も川も)が基本だろう。かつて私も単身赴任生活の時はこの組み合わせによる実に単純な食事だったし、いまでも孤老の方々の食が、そのようなものと聞く。しかし、当時の農家は丁寧に見ると必ずしもそれだけの、ただ貧しいと表現されるものではなく、かつての農家「献立型」は食材は限られていても、調理法の組み合わせとその毎日と季節変化で食卓は多彩な演出で彩られていたのである。

森川辰夫
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