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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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「農村生活」時評11 "緊急事態下の生活をまもる"

 「農と人とくらし研究センター」の総会と設立イベントの最中、岩手・宮城内陸地震のニュースが飛び込んできた。昼すぎの時点ではもとより事態がよく判らなかったが、かなりの地震だということはすぐに理解できた。私の住んでいる茨城南部地域はよく、ドンと感じる地震が起こり、やや慣れているが、話の様子で今度は規模が違うようだと感じる。新潟・中越地震のときはたまたま入院中で、ベッドでおとなしく夕方の配膳を待っていた時であり、今もその時の印象が鮮やかだ。この頃、世界でも日本でも地震が多いのではないか。
kasai.jpg 今度の被害地は岩手と宮城の県境地帯で、そこの被害者も出ているがすぐ西は山形、秋田である。ここは東北地方のいわば背骨にあたり、栗駒山、温泉の観光が主力だが、農業も盛んである。直接の調査対象地ではないが、この麓の稲作生産組織に行ったことがあり、高原の開拓地の大根生産の話を聞いた記憶がある。この災害の様子がテレビ、新聞で連日のように伝えられるので、どうしても阪神・淡路大震災のことを思い出すことになる。
 この災害は規模の大きさや近代的な人口密集地での生活破壊として、その後の日本社会に多大の影響を及ぼした。私は当時、教員養成の仕事をしていたので、新一年生対象の生活論的な授業の中で、ただの一コマだけだが、この災害をテーマにして地震対策とともに被害から立ち上がる具体的課題をとりあげた経験がある。ただ一般的に児童・生徒を守る地震対策というのではなく、学校は災害時に住民の避難所として利用されることも多いので、先生候補者にはある程度の問題意識を持っていてもらいたかったのである。同時期に私はいわゆる戦後開拓地における生活建設の歴史をレポートにまとめていて、もとより局面は異なるが、緊急事態下での命のつなぎ方、人間生活ということを考えさせられた。
 阪神の時はまず、各地で大変な火災も起きたが、本震がおさまりどうにか安全な空間にのがれた人に必要だったのは"水"であった。そしてケガをされた方には薬が、ついで冬の早朝であり体に羽織るものが、おにぎり、パンなどの軽い口に入れるものが、その日のうちに落ち着ける避難場所という順番ではなかったか。
 開拓地の場合には予期せぬ災害と異なり、それなりの覚悟の上だから、やや時間的なゆとりはあってもまず大事なのは水源の確保であった。これが定まらないと住まいの場所がきまらない。簡単な衣類と当座の食べ物は持参したことであろうが、その蓄えのあるうちに雨露をしのぐ仮小屋の建設が当時の緊急課題であった。そこには阪神の時も大問題になったがトイレの確保がついてまわることになる。
 私の授業ではリュックに入る程度のボトルの水、保存食、防水用具、きずグスリ、着替え・軍手などの災害対策用品を用意して詰めて行き、教壇上に並べて学生に見せたが、そこではあまり反応も効果もなかったようだ。「稀にしか起きない出来事で生活を語るとは、なんと際物好きの教師だ」と思ったかも知れない。しかし不幸にして、その後日本でも世界でも連続して震災が起きている。今度の地震のことで、彼等のうちでもし学校現場にいたら何かを思い出している者もいるかも知れない。
 今の日本人にはあまりピンとこないかもしれないが、世界中にあふれている「難民」の姿を映像で見るにつけ、乳幼児を中心とした不幸を最少限度に止めるために日本として、もっとできることがあるのではないか。そのためにも緊急事態下の救急的な生活システムの構築という問題は、いまなお生活研究の一課題だと思われる。国際的にも災害社会学という分野が活躍しているようだが、そこにもう少し具体的で、生々しい課題を任務とする生活研究の成果と手法が参加すべきではないか。

森川辰夫
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農と人とくらし研究センター

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