農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
自主独立農民という仕事
森まゆみさんの書いた本です。「佐藤忠吉と木次乳業をめぐる人々」という副題がついたこの本に私は偶然にも酪農をやめる決意をした直後に出会いました。
「草の匂いのする牛乳や山葡萄の香り高いワイン。健康な野菜にホンモノの卵。島根県木次は滋味に満ちている。めざすは地産地消」「次代に手渡す〝農〟がある」などの帯の言葉が示すように、島根県奥出雲の木次という小さな町で展開されている佐藤忠吉という85才の人がリーダーとなって造りあげて今も変貌展開を続けている地域として独立しているかのような経済の形態を示したノンフィクションです。
佐藤忠吉さんは酪農家で、でも日本人と牛乳の関係に早い時期に悩み、ホルスタインをやめてブラウンスイスという種を導入して山地放牧酪農を、そして、数人の共同出資で木次乳業という小さな乳業メーカーを立ち上げ、日本で一番早くパスチャライズ(低温殺菌)牛乳の販売を始めた人です。
世間の人が低温殺菌に関心も知識もない時代に全国を自ら回って販路を作り、工場を拡張し、牛乳のみならずチーズ工場も作り、小さいながら地元にも認められる優良企業に育てています。
そして、彼の好奇心は牛乳に留まらず、また彼の回りにいろんな人びとが集まって来る中で、葡萄園が出来、ワイナリーが出来、地元大豆の豆腐屋が出来、卵屋が出来、古民家を移築して研修施設が出来、こだわり野菜の農家が増え、焼酎や日本酒も造り…という風に、木次の町の小さな経済はグローバル化に突き進んで行く日本の経済から独立して独自の広がりをゆっくりと重ねているのです。
佐藤忠吉さんの語る言葉はどれもこれも「う~ん」とうならされるものばかりなのだけど、特に私がうなったのは次の言葉です。
「町づくりだの村おこし、地域の活性化とさわいでおりますが、地域は活性化する必要はない。むしろ鎮静化すべきだと思うとります。」
私が以前から言って来た「進歩発展はもうやめよう」という言葉に通じるものがあるという気がします。
また彼は言います。
「20アールの土地があったら、完全自給できます。何が起きても、国がなくなっても、その土地があれば食える。こうでもしない限り、貨幣経済からは自由になれません。」
う~ん、これもすごい!
「私は政府の政策は無視する。研究する必要もない。現場を知らんもんが、農民でないもんが、机の上で計画をたててうまくいくはずがない。お上が決めたことがえらい、という権威主義とは縁をもちたくない」
う~ん、う~ん、すごい!すごい!
政府の政策に振り回されて、ついに振り落とされてしまった私はうなるしかないです。
つらい決断をした直後の私は呻くようにこの本をよみました。
私は佐藤忠吉さんのように地域を動かして行く力量も人望も財力もないので、今更彼の生き方のマネなど出来ないけれど、でも、自分自身の中で「自主独立農民」という生き方を探ってみるのは出来るんじゃないか、と思い始めています。
田んぼは1ヘクタール近くあって、耕作は他人にまかせているけれど、食べる米に不自由しないし、50アールの畑もあるから、まず荒れ放題になっている畑地を少しづつ、ちゃんとした畑にして行って、とりあえず自分の食べるものは極力自分で作ることを目ざそうと思います。
そうして、余ったものを直売所などで販売する。決して「売る」ために単一作物をダーッと作るなんて愚は繰り返すまいと思うのです。
貨幣経済からの自由。政策からの自由。
そういう農業を自分の暮らしの小さな腕で囲える範囲の中だけで確立して行こうと思うのです。
「自主独立農民」として一人きりで立って行きたいと思うのです。
で、今、放置していた家庭菜園の部分に手をつけ始めたところなのだけれど、3年近くの放置の結果、木や竹が生い茂り、伸びた草が絡まり、倒木が横たわり、苦戦しています。ぼちぼちやります。
政策に振り回され、数字に追い回された酪農人生30年から開放されたのだ、と思えば、廃業を前向きにとらえることが出来ます。
渡辺ひろ子『私信 楽農ぐらし』NO.116(2007.6.15発行)より転載
「草の匂いのする牛乳や山葡萄の香り高いワイン。健康な野菜にホンモノの卵。島根県木次は滋味に満ちている。めざすは地産地消」「次代に手渡す〝農〟がある」などの帯の言葉が示すように、島根県奥出雲の木次という小さな町で展開されている佐藤忠吉という85才の人がリーダーとなって造りあげて今も変貌展開を続けている地域として独立しているかのような経済の形態を示したノンフィクションです。
世間の人が低温殺菌に関心も知識もない時代に全国を自ら回って販路を作り、工場を拡張し、牛乳のみならずチーズ工場も作り、小さいながら地元にも認められる優良企業に育てています。
そして、彼の好奇心は牛乳に留まらず、また彼の回りにいろんな人びとが集まって来る中で、葡萄園が出来、ワイナリーが出来、地元大豆の豆腐屋が出来、卵屋が出来、古民家を移築して研修施設が出来、こだわり野菜の農家が増え、焼酎や日本酒も造り…という風に、木次の町の小さな経済はグローバル化に突き進んで行く日本の経済から独立して独自の広がりをゆっくりと重ねているのです。
佐藤忠吉さんの語る言葉はどれもこれも「う~ん」とうならされるものばかりなのだけど、特に私がうなったのは次の言葉です。
「町づくりだの村おこし、地域の活性化とさわいでおりますが、地域は活性化する必要はない。むしろ鎮静化すべきだと思うとります。」
私が以前から言って来た「進歩発展はもうやめよう」という言葉に通じるものがあるという気がします。
また彼は言います。
「20アールの土地があったら、完全自給できます。何が起きても、国がなくなっても、その土地があれば食える。こうでもしない限り、貨幣経済からは自由になれません。」
う~ん、これもすごい!
「私は政府の政策は無視する。研究する必要もない。現場を知らんもんが、農民でないもんが、机の上で計画をたててうまくいくはずがない。お上が決めたことがえらい、という権威主義とは縁をもちたくない」
う~ん、う~ん、すごい!すごい!
政府の政策に振り回されて、ついに振り落とされてしまった私はうなるしかないです。
つらい決断をした直後の私は呻くようにこの本をよみました。
私は佐藤忠吉さんのように地域を動かして行く力量も人望も財力もないので、今更彼の生き方のマネなど出来ないけれど、でも、自分自身の中で「自主独立農民」という生き方を探ってみるのは出来るんじゃないか、と思い始めています。
田んぼは1ヘクタール近くあって、耕作は他人にまかせているけれど、食べる米に不自由しないし、50アールの畑もあるから、まず荒れ放題になっている畑地を少しづつ、ちゃんとした畑にして行って、とりあえず自分の食べるものは極力自分で作ることを目ざそうと思います。
そうして、余ったものを直売所などで販売する。決して「売る」ために単一作物をダーッと作るなんて愚は繰り返すまいと思うのです。
貨幣経済からの自由。政策からの自由。
そういう農業を自分の暮らしの小さな腕で囲える範囲の中だけで確立して行こうと思うのです。
「自主独立農民」として一人きりで立って行きたいと思うのです。
で、今、放置していた家庭菜園の部分に手をつけ始めたところなのだけれど、3年近くの放置の結果、木や竹が生い茂り、伸びた草が絡まり、倒木が横たわり、苦戦しています。ぼちぼちやります。
政策に振り回され、数字に追い回された酪農人生30年から開放されたのだ、と思えば、廃業を前向きにとらえることが出来ます。
渡辺ひろ子『私信 楽農ぐらし』NO.116(2007.6.15発行)より転載
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