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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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「農村生活」時評⑤ "生活に迫ることはできたか-学会の印象あれこれ-"

hakari.jpg 11月20・21日、つくば研究交流センターで開催された「第55回日本農村生活研究大会」に参加して、全日程につきあったがここでは一般報告についての印象を記したい。
 一番印象的なことは、私の時代と異なり、皆さんが映像で語るということだった。もちろん、昔からスライド使用はあったが、それは写真とか図の説明に必要なものであり、私などはもっぱら語りという古典的なスタイルに終始した。今から思えば発表の中身より語り口にたよっていたのかも知れない。しかし語りの芸は「生活」の表現方法としては存在理由があるように思う。それが一体何なのかということはうまくいえないが、生活者の心情ついて更にはその研究をしている発表者の思いの部分はなかなか映像には写せないのではないか。もちろん映像作品としては「木村伊兵衛・秋田」とか、最近では「宮本常一・写真」などがあるが、そういう世界ではなく私たちが課題としている農村生活の現実の解明という過程における人間の姿の描写である。
 発表のもうひとつの側面は新しい研究手法の採用が印象的だった。脳の動きまで電子的に捉える手法が提起されたが、これっを使えばさっきの心情問題にも迫れるかもしれない。夜の「情報交流会」で発表者と語り合ったが、この種のデータはそれをどう読むか、解釈するかが問題で、結局は研究者が調査時、計測時の多様な条件とおかれた状況でその数値を判断することになる。だから研究者の見方、ひいては農村生活についての見識が問われることになるのである。新しい手法、新しいアプローチへの挑戦は不可欠だが、その背景には生活への思いがないと、研究にはならない。
 その一方で古典的な聞き取り、アンケートなどによる報告も多い。これはまさに今、私たちがいつも頼っている手法だが、そこに開発された電子的計測にも負けないような新しい手法としての深化の方向はないだろうか。聞き取り現場において、そこでの課題についての「話のやりとり」の過程において、聞いているこちらだけ納得するのでなく、聞かれている側も改めて考えることになり、お互いがその話題について理解を深め合うということか。これは間違いなく自分自身の課題である。
 生活原論分野としては「ワーク・ライフ・バランス論」が提起された。これについてはうまく議論ができなかった。現場からの提起で、研究方法論の側面もあり、いかにも大問題なので機会を改めて寸評ではなくしっかりと考えたい。

森川辰夫
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