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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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米のことあれこれ-新米の話-

 大方の野菜を自給しているわが家では、採れたての新鮮なものを食べていますが、米についてはまったく違います。兼業農家に嫁に来た私は、新鮮な野菜を食べられて満足でしたが、新米はなかなか食べられませんでした。勤め人で、何もかも買っていた実家では、秋になると安い標準米ながら、新米を食べました。
kome2.jpg ところが、このうちでは、秋に新米がとれてもすぐには食べないで、年末になるとやっと義母が新米をついて(精米して)、大歳の年越しに新米ご飯を始めて炊き、正月三が日は新米のご飯でしたが、その後はもとの古米になるのでした。義母は「ここらはどこの家でもそうや、ふだんに新米を食べるところはどっこもあらへん」というので、そんなもんかなと思いましたが、こういうことでは、本当においしい米の時がなく、もはや新米といわれなくなってから、やっと「新米」に切り替わるのでした。
 それは「もしかの時に米がないようなことでは面目ない」と言って、家族が食べる1年分以上に米を備蓄してきたからでした。もしかの時はそんなにあるわけがないので、新米がとれても、たくさん残った備蓄米を先に食べなければ、どんどん古米になっていきます。「秋の収穫が終わる頃に米がまったくないようなことは面目ない」「いざ金がいるという時にも米があれば金に換えられる」とも言いました。
 ずっとそれを守ってきたので、今日現在、まだ古古米(17年産の米)を食べています。すなわち、17年にはたくさんの備蓄米を残していたのです。昨年(18年)秋に、新米を冷蔵庫に入れようにも、17年産米がたくさん残っていて入りきれません。そこで家人と相談して、米を売ることにしました。案の定、義母が反対しました。「もし私が死んだら、葬式で人寄りがあるから米は要る」という(とても死にそうにない元気な義母)のを、「今じゃ人寄りがあってもそんなに米は食べん、もし足らなんだらいつでもどこでも買えるから」。「金に困る時に米を売って金にできる」というので「米を売ったくらいの金はいつでもどこでも借りられる」などと説得して、とにかく1年分の家族の食べる分だけを残すことにしました。しかし、古米は買い手がないので、18年産の新米を売って、古米を残したのでした。
 それからの1年は古米でした。普段から古米を食べなれているのでしたが、さすがに春先からはまずくなって、米屋で餅米を買ってきては、毎回少しずつ混ぜて炊いてきました。義母も家人もこんな努力は知らず「やっぱり古米でもそう悪いことはないな」とか「冷蔵庫やで、味がそう落ちん」などと満足げに食べています。その古米もあと僅かでお終いです。これから、晴れて新米がおいしく食べられます。ばんざい!

『ひぐらし記』No.18 2007.11.20 福田美津枝・発行 より転載
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