農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
「農村生活」時評①
こういう世相のなかでいわゆる「美しい国」というのはいかにも白々しいと思っていたら、なんと農水省も「美しいふるさとづくり事業」を進めると聞いた。もう、2、30年も前だろう、山村の過疎化が社会問題になり、現役時代には「限界集落」ということばの嵐のなかでなんとか再生を願ってきたが、とうとうこちらが限界人間になってしまった。
高齢者ならぬ、昔の表現でいえば〝もうろくじじい"は世間の隅で大人しくしているのが「期待される人間像」だが、昨今のあまりにひどい世間のようすに、貴重な機会を頂いたので、私の守備範囲の分野について、数々の妄言を書く、いや打つことにしました。
昭和という時代の終わりの頃、「果実日本」誌に「21世紀型の農村生活像」という連載記事を2年間書かせてもらった。21世紀までには十年以上あったので、それまでにはこういうむらのくらしにしたいし、なるだろうというかなり本気の文章をかいた積りである。その文章を、また恥知らずにも何年か後に単行本に納めて出版したのだから、中味が少しでも農村の現場で実現してもらわないと困る立場にある。
むらのくらしの現実についての研究が浅薄だったことはいうまでもないが、それにしても農業・農村の厳しさは予測を超えるし、もっと深刻なのは社会全体の崩れ方のすさまじさではないか。いうまでもなく、むらのくらしは世間の動向と無縁ではない。以前から農村高齢者がつつましいくらしに努めて、作ったコメや野菜だけでなく、僅かな年金をも貯めて都会に住む、すでに働いている息子や娘の家族に仕送りする事例はあったが、それが日本列島における社会一般の姿になるとは思わなかった。21世紀の幕開けをこのような姿で迎えることを予測できた研究者がいたら脱帽したい。
村人を対象にして生活課題を研究することは現役の方々にお任せして、私はこれまでむらや暮らしのなかで学んできたことを、農村だけでなく社会全体に生かす途を考えてみたい。私はすでにあたかも「風倒木」の様な状態にあるが、その上に生える幼木の種子が飛んでくることを期待してしばらく発信していきたい。
森川辰夫
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