忍者ブログ

農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

都会で大豆を・・・

daizu.jpg 子どもと手をつなぎ、私の住む町を歩いていると、ところどころ、空き地に出会う。「あれっ、ここの家、壊したんだね」などと言いながら通り過ぎる。たいていは新しく家が建てられるか、アスファルトで固められ、駐車場へと変貌するのだが、そのまま置かれている空き地もたまにある。
 農業を学び、研究する日々を送ってきた。外部者として関わるだけではモノ足らず、狭いベランダや庭で小さな畑をしたり、生ごみを堆肥化したりしてきた。少し足を伸ばし、小田原の「あしがら農の会」という有機農業グループでの農作業や味噌造りなどにも参加したりしているが、いかんせん遠いため、予定を調整し、一日がかりで行かなければならないし、そう頻繁にも通えない。農的暮らしには程遠い。それならば、いっそ農村に住めばどうか、と言われてしまえば、言葉もないが、諸般の事情でそうもいかない。
 それに、このような時代にこそ、都市に農をもってくる必要があるとも思うのだ。子どもらに、食べものを獲得することの大変さを実感させたい。生命のたくましさ、そしてはかなさを知ること、自然の恵みを味わうと同時に、その自然が思うとおりにならないということを身を以って知ることのできる機会が、都市では決定的に少ない。
 ここ数年、空き地を通り過ぎるごとに、ここで何か作れたら、と強く思うようになってきた。そのきっかけは、区の社会福祉協議会が、道路予定地を使って始めた市民農園への参加であった。その市民農園は、堆肥の投入に百万単位のお金をかけたというのに、いつまで経っても道路ができないことに業を煮やした地主が建物を建てるからということで、3年で取りやめとなった。とても残念だったが、こんなやり方があるのか、と感心し、これならほかのところでもできるかも、と思った。
 もう一つのきっかけは、もう70をとうに越えた私の母である。千葉の田舎育ちの母は、小さいときから鋤をふるい家業の農業を助けてきた。結婚し、町場に引っ越してきたあとも、庭で畑仕事に励んでいた。20年以上前に、電車と徒歩で1時間弱ほどのところにある住宅地の一角を購入したのだが、そこには何も建てず、大豆作りをしている。宅地を購入した頃には、周辺には緑がたくさん残っていたが、今では回りにどんどん家が建ち、ぽつんと残った緑地となっている。近くに住んでいないので、苗を抜かれたり、といった嫌な思いは時折するようだが、月に1回程度の畑の手入れに、嬉々として出かけている。
 収穫した豆は枝豆にしたり、味噌を作ったりしている。肥料も与えず、農薬もまかず、水遣りもしないが、これまで10年以上連作を続けながらも、収穫もまずまず、失敗したことは無いと言う。
 まず考えたのが、現在、道路拡張予定のために、建物が壊され、どんどん空き地が増えている外苑東通り沿いである。道路建設が始まるには、まだ10年くらいはかかるだろう。そこで、空き地の管理者である都の道路課に、このような空き地を畑として利用することは可能か、問い合わせてみた。しかし、「土ぼこりなどが舞ったり、ごみを放られたりして、近隣から苦情が来るだろうから、むずかしい」、といわれた。次に、その空き地がある町会の集まりに顔を出してみたが、これもまた反応は良くなかった。結局、空き地には次々にアスファルトが貼られ、ごみを投げ入れられないように、と金網の柵が立てられた。
 次に考えたのが、私有の空き地である。所有者は不在なため、連絡方法が見つかりにくいが、幸い、よく通る公園の真向かいの空き地の所有者の連絡先を知ることができ、電話をしてみた。すると、あやしい業者と疑われたようで、にべもなく断られた。「家を建てる予定がありますので」、と言われたが、その後何年経ってもその気配はなく、草ぼうぼうのその土地を通り過ぎるたびに、「ああ、もったいないなあ」と心の中でため息をつく。
 このような空き地で、地域の子どもらを中心に、大人も手伝って農業をしてみたらどうだろう。土でどろんこになるだけでも良い。みみずや虫や、いろいろなものと出会うことができるだろう。空き地が、人の集まる場所になる。それだけでも楽しい。
 いつ返すことになるかわからない土地なので、お金をかけてはもったいない。大豆は、窒素固定できるので、やせた土地にも育つだろう。サツマイモも肥えた土地ではつるぼけするので、良いかも知れない。でも、大豆の方が、収穫後、味噌造りという加工につながる楽しみがある。もちろん一部はゆでて枝豆で食べるのも楽しいだろう。
 都会の空き地で大豆を作り、味噌を作る。その味は格別だろう。できては消える都会の空き地を利用し、ゲリラのように大豆を作る。すぐ身近にぽかっとできた畑に、近所の人はびっくりしつつ、のぞきに来るだろう。ごみなどを捨てられるかもしれないが、それもまた経験だ。収穫物を取られてしまうのは、さすがにたまらないが・・・。
 こんなことを考え、何年かが過ぎた。しかし、まだその実現のめぼしは全く立っていない。都会では、土地は資産であり、また固定資産税というお金のかかるものでもある。こんな酔狂な提案に乗るような人はいないかもしれない。でも、町という空間を構成する要素でもある。ドイツなどで街づくりの話しを聞くと、土地は個人のものでありながら、個人だけのものではない。街づくりの計画の中に、個人の土地の利用法も組み込まれている。所有者にとっては不自由なことだろうが、それを受け入れる公共の精神があるのだろう。せめて、空き地を遊ばせておく間だけでも、町を楽しいものにするために利用できるようなシステムが作れないものか。最近、規制緩和で建設が相次ぐ、周りの景色をさえぎるように聳え立つマンションを見ると、ため息がでる。周りの家は日陰になるし、風の通り道も変わるだろう。自分だけ良ければ、と体を張って主張しているかのようだ。
 今のところ、めどは立たない。それでも、やりたい。誰か、新宿区近辺で(近辺じゃなくても・・・)、"うちの空き地を"という方がいらしたら、ぜひご一報下さい。

吉野馨子(農と人とくらし研究センター研究員)
PR

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
e-mail:
Copyright ©  -- 農・人・くらし --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ