農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
農業で懐かしさを取りもどす試み 4.稲が泣いている
- 2012/02/27 (Mon)
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生家には田はなかったから、一から学びながらの稲作だった。最近まで母親を手伝って1枚だけ田を作っていた農業委員の技術と知識だけが頼りだった。田植えは地域の子どもたちとその親たちに参加を募った。除草剤は使わず作りたいと言った手前、除草は私が責任をもった。
田の草取りも、ゆっくりと自分のペースでできるのなら決して不快な作業ではない。良く晴れた日に田んぼに入るのはむしろ気持ちがいいものだ。しかし、水草の成長との競争となると話は別であり、適期の除草が間に合わずに、稲の悲鳴が聞こえてくる。
8月下旬、収穫間近の田の無残な姿を目にしたときの衝撃は、全く予想していなかっただけに鮮烈を極めた。猪に踏み荒らされたのだ。食い物の恨みは深いというか、心に殺意すら抱いた。1年目の稲刈りは子どもたちなしで行った。
翌年、懲りずに、JTのNPO法人を対象とした青少年育成の助成金を得て、20数年間耕作されていなかった棚田を2枚開墾した。そこを体験の場として、児童養護施設の子どもたちと一緒に、代かき、田植、草取り、かかし作り、稲刈り、収穫祭などを行い、稲を育てた。
稲作の専門家から見れば、稲作に関する技術体系は確立していて、乗用機械に乗って、もはや泥の中に足を踏み入れなくともコメ作りはできるのかもしれない。でも、条件の悪い棚田で、子どもたちを巻き込んでやる区民農園のコメ作りは全く趣を異にする。田植え、除草、稲刈り、ハザかけは手作業で、だいぶ昔の作り方に近く、苦労ばかり多くて、収穫は少ない。 収穫が少なくても田んぼを作る意味はあるのだろうか。稲作を体験して気づいたのは、もし主食であるコメづくりの技を身につけることができたなら、不思議な力が備わるということである。それは、自分の立っている位置を足の裏で確認するような感覚をもたらし、生きていく上で心の支えになる。
3年目の今年も年寄りが1人作るのをやめ、それを引き継いで区民農園の田はまた1ヶ所増えた。昨年と同じ場所の2枚を子どもたちと植えた。その田んぼは、雑草に負け、猪に入られ、1枚は無残な姿をさらしている。コナギとの競争には3連敗中で、今年も稲が泣いている。来年は除草剤の助けを借りざるをえないと観念した。対策が遅れたが、子どもたちと稲刈りをするために、残りの1枚に遅まきながら防獣ネットを張りめぐらせた。
多くの区民に味わってもらおうと、わずかに実った区民農園のコメを、市価よりも安い値段をつけて販売した。そのとき思った。これまでの苦労を全く知らない人に食べさせるくらいなら、採れたコメを全部、自分が買いとって食べたいと。このコメができるまでの過程を一番良く知る私には、値段が市価の10倍でも安いくらいだ。今年から直売を始めたが、区民農園のコメは販売にはむいていない。来年は、コメを作りたい人たちを別に募って、収穫したコメを、作った人たちだけで分け合う方式にしようかと考えている。
片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)
『長野県農業普及学会報』第16号 2011年9月より転載
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