忍者ブログ

農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

農業で懐かしさを取りもどす試み 2.ペーパー百姓の野良仕事

 私はどこを向いて歩いてきたのか。少しややこしい言い方になるが、未来に新たな目標を打ち立て前を向いて進むのではなく、過去に顔を向けて、後ずさりするように、のろのろと未来に向かって、歩を進めてきた。自分の残りの人生を賭けて、「懐かしい」過去を取り戻そうとする、目算のない一つの実験を始めた。
 51歳で33年ぶりに郷里に戻ってまず思った。もし人に見せることができるのなら、今あるこの姿ではなく、私が子どもだった頃の野山や田畑の光景を見せてあげたいと。記憶にあるのは、手入れの行き届いた田畑の風景であり、自然の恵みを大切に活かす倹しい暮らしであり、額に汗して真摯に生きる人たちの表情である。
 それまで農林水産省関連の研究所に勤めて調査の仕事で全国各地をまわった。農水省が関心をもつのは、経済活動としての農業である。わが郷里は、そんな農政の対象にはまずなりえない。どうみてもビジネスとしての農業が成り立ちえない地域だから。天竜川は諏訪湖に端を発する。その源流の谷あいのむら、岡谷市三沢区で、私は生まれ育った。物心ついたときにはまだ、かつて川沿いに製糸工場が軒を連ねていた往年の面影が色濃く残っていた。生家は養蚕を行い、山羊を飼った。蚕と山羊は、子どものときの記憶と結びついて特別な存在である。しかし、今は近隣に山羊1頭なく、岡谷から養蚕農家が消えて四半世紀が経つ。
 私は車の運転を必要としない都会暮らしが長く、文字通りペーパードライバー。野良仕事に関しても、いわば「ペーパー百姓」だった。家業の糀屋を手伝いながら、居候生活を始めた。年老いた父母から、初歩の農具の使い方の手ほどきを受けた。家の荒れた畑に鍬を入れ、土手草を鎌で刈ることから始めた。技術もだが、身体が付いていかない。手の指がしびれて、病気になったかと心配して病院にいった。農作業の動きに耐える身体ができていなかっただけのようだ。軽トラを購入して乗りこなし、鍬と鎌に代えて、耕耘機と刈払い機を使うようになるのに、まる2年を要した。
 野良仕事は、地味で華がない。衣服が汚れ、辛そうに見える。やってみてわかったが、人目を気にせずにできる野良仕事は、無理のないペースでやれれば、気持ちの良い作業が多い。とりかかりは意識してゆっくり始め、徐々にペースをあげ、長時間つづけられる自分のペースをつかむのがコツ。農作業のベテランの仕事ぶりを見ていて最近わかった。人目を気にしすぎて具合が悪くなっている都会人には、健康を取り戻すのにちょうど良い運動になるのではないか。

片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)
『長野県農業普及学会報』第16号 2011年9月より転載
PR

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
e-mail:
Copyright ©  -- 農・人・くらし --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ