忍者ブログ

農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

農本主義のこと⑥ 近代化への対抗原理(上)

 宇根豊さんの話しぶりは文章に劣らず凄みがあった。題目は「近代化を超える・天地有情の農学か百姓学か」だった。だが、所定の時間では、用意されたレジメの半分ほどしか触れられず、「農本主義の挫折と再生」という項目には至らなかった。農本主義についてどういう話をするつもりだったのか。また農業改良普及員の仕事を宇根さん自身はどう思っていたのか。この二点について質問した。
 天地有情の農学の出発点は、宇根さんが福岡県の農業改良普及員だった1978年28歳のとき始めた減農薬運動にさかのぼる。戦後の農業改良普及事業には、農民を上から指導する旧来の農政や農学の流れと、アメリカ流の、農民といっしょになって改良にとりくむ流れとがあり、両者がせめぎあっていた時期があったという。減農薬運動は、単に農薬を減らす運動ではなく、農薬をふるかふらないかを百姓が決める。自分の田んぼの一枚一枚について虫見板で病害虫の発生状況を調べた上で判断する。農薬を散布する時期まで農政や農協が決めて指導するのと対照的に、農民の主体性をはぐくむ取り組みであり、普及事業が農民といっしょになってすすめた最後の実践ではなかったかという。
 宇根さんは49歳で普及員を辞めて就農し、「農と自然の研究所」を設立した。現在、会員900人を擁するNPO法人だが、来年(2009年)が10年目なので規約により解散する予定という。この仕事に区切りがついたら、農本主義の研究に没入したい、のだそうだ。予期せぬ言葉だった。そして農本主義者としてまず口にしたのが茨城県水戸の橘孝三郎(1893-1974)の名前だった。その名前を私は複雑な思いで聞いた。
 宇根さんが農本主義に共感するのは、近代化を徹底的に問うている点である。農本主義には近代化に対する強い嫌悪感が潜んでいるという。昭和維新は天皇親政による一種の「革命」を目指したが、そのなかで提唱された農本主義は重要な概念を指摘した。明治以降、工業ばかり重視してきた国家に対して、農業は生命を対象とした営みゆえに、工業と同じ産業とみなすことはできない。農業こそ国の本である、と異を唱えた。
 ひるがえって近年の有機農業に目を向けると、それがさらなる広がりをみせるかどうかは、安心・安全な食べものの生産に甘んじるだけでなく、近代化されない価値をきちんと定義できるかどうかにかかっているという。もはや農業は近代化の尺度だけでは測れない。それと異なった尺度を、社会共通な尺度として見出してゆかねばなるまい、と。

片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)
PR

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
e-mail:
Copyright ©  -- 農・人・くらし --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ