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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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農本主義のこと⑤ 虫見板

mushi.jpg 宇根豊さんが講師の日は2008年10月15日で、初めてお目にかかれるのを楽しみにしていた。前もって近著『天地有情の農学』(2007年、コモンズ)を読んで臨んだ。
 この本に宇根さんの野心的な持論は余すところなく述べられていると思った。百姓のなかに息づく近代化への違和感をすくいとって抱きしめ、あらたな百姓学を提唱して、近代化を推し進めてきた戦後農政と近代農学に対抗すべきだというのである。戦いに赴く武士が携える刀は、宇根さんの場合はさながら虫見板(むしみばん)であろう。
 虫見板は、小学生が使う下敷きほどの大きさの板である。ただの黒い板だが、それによって、田んぼが害虫や益虫だけでなく、多くの虫たちを育んでいることがわかる。百姓も認識していなかった「ただの虫」たちである。虫見板のすごさは、多様性を測る一つのものさしを私たちが手に入れたことだと思う。生物の多様性への気づきは、昆虫や動物にとどまらず、作物以外は雑草とひとくくりにされる植物にも及んでいく。それは、農薬や化学肥料を是としてきた近代農業に異議を唱える一つの拠り所となる。
 私は一昨年から田舎で暮らすようになって、荒れ果てるまま放置されてきた畑の一枚を耕し始めた。まだ百姓などとはとても言えない仕事ぶりだが、草を手鎌で刈る作業が基本的には稲刈りと同じ行為だと感心し、畑にひとりでいても少しも寂しくないのは対話する相手がいるおかげだと気づいた。やっかいな雑草たちは、手ごわい話し相手でもある。
 宇根さんの本を読んで、百姓仕事のもつ多様性だけでなく、農村のくらしがもつ多様性を測る「虫見板」がほしいと思った。宇根さんたちが、赤トンボやオタマジャクシを、人の手が入っていたからこそ息づいていた「自然」の産物として数え上げたように、かつての自給自足のくらしに息づいていた多彩な手仕事の「豊かさ」を数え上げてみたいと思った。農婦たちがみな一様に身につけていたであろう衣食住の技の数々をである。一銭の稼ぎにならなくても、そのどれもが家族が生きていくうえで大切な仕事であったはずだ。自給だけでなく、「自足」するためにも多くの技と労を必要とした。だが、主婦も外に稼ぎに出るようになり、自給農業が専作に変わり、あるいは道具が機械に代わるにつれ、技と労もろとも、そうした手仕事の多くは失われた。失ってはじめて存在のかけがえのなさに気づくのだが、いったい私たちはどれだけの仕事を失ってきたのだろうか。
 そんなことをつらつらと考えながら、宇根さんの講座に出た。当日の宇根さんのレジメに「農本主義」の四文字を見つけて私は少し姿勢を正した。『天地有情の農学』には、終わりの方に松田喜一を引用して「九州を代表する農本主義者」と紹介している箇所があったが、それ以外に農本主義という文字はなかった。

片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)
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