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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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住まい

house.jpg 山村で百姓をするということは、その土地に住んで、土地を持って稲を作り、野菜を栽培し、山を管理するということである。
 私の場合、生れ故郷の本籍地であった。両親がはやく亡くなり、家屋は取り壊されており、屋敷地だけが残って荒地になっていた。僅かばかりであったが、田畑山林は受け継いでいた。
 屋敷地に住まいを建てることからの始まりであった。還暦を目前に住まいを建てることは勇気のいることであった。今後何年くらせるか、先ずは20年はという見込みで決断した。後継者はいなかった。
 高齢に向かってどの様な住まいにするかから始まった。屋内に段差は付けないから始まって、平屋として出入りの段差も配慮し、考えられる高齢者住宅を考え、更に百姓家としての機能を持たせることであった。
 先ず、土間スペース、これは百姓仕事をする上で仕事着の着脱、収穫した作物の置き場諸々、場合によっては食事場等の多様な空間である。
 地元の工務店(幸い、小学校の同級生)と相談して建築に入り、1989年3月上棟、1989年11月完成、1989年11月16日から本格的な田舎ぐらしが始まったのである。
 百姓をするということは、体一つというわけにはいかないが、当初は自給だからと軽く考えていた。しかし、20数年もの間放置していた屋敷は周囲は3m近い篠竹のブッシュになっていた。冬の期間中、山の下草刈り用の長柄鎌で篠竹を刈り取り燃やすということを続けた。その後も、百姓をするための農具、道具を一通り揃える破目になった。
 百姓をするためには、寝食のための住まいだけでは出来ない。納屋(木屋という)建築から始まる。材木は自家山の間伐材を製剤所に切り出してもらい製材して屋敷地の石垣を利用した2階建てで、屋内作業所、農機具等の収納庫、自動車・運搬車等の車庫、米など穀類の収納庫が納まった。農産収穫物の貯蔵、漬物、梅干等農産加工品置場のための物置、これも檜の間伐材を半割りにして組んだロッジ風に建てた。こうした1990年3月から百姓を始めるにあたって、2棟60㎡の付属建物を建てた。
 こうして、このむらでくらし始めた第1年目に建物だけは整えることが出来た。

小松展之『あわくら通信』第34号(2008.5.21発行)より転載
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