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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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農本主義のこと③ 岩崎正弥著『農本思想の社会史 生活と国体の交錯』

tuchi.jpg 岩崎正弥さんとは大学院時代に同じ研究室で同じテーマを抱えてともに学びあった仲である。実の兄弟の身体が同じ食べ物によって形作られているのなら、同じ知識を分かち合って過ごした私たちの思考の一部は、きっと同じものからできているはずである。
 『農本思想の社会史 生活と国体の交錯』(京都大学学術出版会、1997年)は、日露戦後から敗戦までの「農を機軸にすえた社会思想」を対象として、その歴史的・現代的意味を考察した学術書である。この本には、私も途中まで一緒に歩んだ道程が書き込まれている。まずそのことに感謝するとともに、私が研究室を去った後、岩崎さんが一人で歩いた困難な道程の長さを実感し、ただただ頭の下がる思いがした。彼が切り開いた部分がいかに大きいかを確認する意味で、読後の私の断想を少し書き連ねておく。
 戦後に書かれたかのような稀有な社会批評紙『ディナミック』。戦争中にこの個人紙を発行し続けた石川三四郎が、どのような生き方を通して、戦前戦中と戦後とが連続する地平を築きえたのか。デモクラシーを民主主義ではなく「土民生活」と訳し、帰農して文字どおり「土民生活」を生涯貫き通し、絶対的価値たる「自然」をそこに見出して依拠した、とその謎を解き明かしている。
 「社稷自治」という魅力的だが難解な権藤成卿の思想の核心を、弟子の松沢保和さんが発する聞き取りにくい言葉に辛抱強く耳を傾け続けることを通して、私たちにも容易に理解がとどくように、「民衆相互の契約」などと、分かりやすく説く。私なら、中国起源の発想で日本農村には受容の基盤をもたない、と文化相対主義で切ってしまいかねないところを、日本現代史研究の実証的方法も尊重して、自治農民協議会の飯米闘争などの実際の運動の展開と照らし合わせて論証している。
 このように思想が社会に影響を及ぼすと同時に廃れていく様を、思想の送り手側だけでなく受容する人たちの側にも立って、その帰結までしっかりと見とどける。農本連盟の岡本利吉は、一種の「新しき村」といえる「部落生活団体」を基盤にした協同社会を構想したが、岡本が主催した農村青年共働学校で学んだ人々を丹念に訪ね歩いて、岡本の実践の軌跡を明らかにするとともに、その理念に感化されて運動に参加した白山秀雄の生活と精神の遍歴もたどり、つまり一農村青年の目の高さから、さらに掘り下げている。
 同時代にそれぞれ独自の光を放っていたこうした巨星たちを、農本思想という天空に配して、一つの星座を描く。異彩を放つ革新派だけでなく、必要なら国体の枠内で農村自治を唱えた山崎延吉のような地味な保守体制派の位置づけもきちんとなされている。また、一つの星座のなかに位置づけると、たとえば、「家稷農乗」など特異な造語で行と場の独自の百姓哲学を説いた江渡狄嶺も理解が容易になる。石川の帰農生活や権藤の自治観念あるいは岡本の地域構想との異同を見比べることができるからである。だが、星座を描くには天空に座標が必要で、直接表に現れていないが、背後に潜む著者の問題意識は現代思想に通じている。
 私たちの日常生活の身体感覚にまで入り込んでいる現代の権力支配の仕組みを、ミシェル・フーコーがその発生の場にさかのぼって圧倒的な史料をつきつけながら語ったように、戦争(総力戦体制)と歩を一にして「保健衛生」が農村生活の中に入り込んできた過程を、戦時下の農村厚生運動の資料と証言を発掘して実証し、同時にそこに、行(心身鍛錬)を柱にした戦時下の農民道場の「訓育」にも通じる、自発性を喚起する新しい管理型の権力のあり方を観るという、たぶん全く前例のない力技に挑んでいる。
 ところで、農本思想家たちが歩いた道程を丹念にたどることによって、岩崎さん自身はいったいどんな地点にたどりついたのだろうか。その一つは、階層や世代や地域を場合によっては横断する、ゆるやかながらも共有された「生活世界」の存在であり、思想や運動の分析を「生活世界」の変容から捉えなおす視点であるという。まだ問題提起の域を出ないと自ら認めているが、それは農本思想研究の一つの到達点である。私たちの命と直にかかわる「生活世界」は、国家や経済の価値では捉えられない部分を今なお内に深く秘めているはずである。
 岩崎さんが切り開いたフロンティアに立って、新たな「生活世界」の創造に向けて、思考と実践を通して一歩でも前に歩を進められたらと、私はいま思い始めている。

片倉和人(農と人とくらし研究センター代表)
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