忍者ブログ

農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

洞を歩く

 秋の取り入れが終わって、冬用に野菜の取り込みをしたり、干し柿、切り干し芋、切り干し大根などをしながら、年末までは、何か追われるような気分で、慌しく過ごしますが、お正月が過ぎた途端、なにやら暇になってきます。
 義母たち、近所の年寄り衆も、日当たりが良くなってくる昼前後には、時々畑で草を引いたり、野菜の手入れをしたりする姿を見かける程度です。ましてや百姓見習いの私には何の仕事もないので、毎日、餅を食べて、グータラしていたり、パソコンに向かっているだけの日々が続きます。
 昨年夏から、普及員の全国組織の協会からある委員を頼まれ、その報告物の提出が迫っていたので、パソコンでしなければならない仕事は、嫌になるほどありました。
 そんな日が続いていた時に、健康診断にいったら、糖尿の気配が濃厚という診断を受けました。大変、大変。日ごろから、伊深地内や近辺は、コンビニに行く時も、友人知人の家を訪ねる時も、運動代わりに自転車に乗っていましたが、こんな運動くらいでは手ぬるい、やはりしっかり歩かなければと決心して、毎日30分はしっかり歩くことにしました。
walk.jpg それでも、そんなに友人知人を訪ねる用事がありません。そこで、山を歩くことにしました。毎日同じところを歩いてもつまらないので、家から歩いて15分くらいの、うちの山に至るまでの道筋に、いくつかの洞があるので、その洞を1つずつ探検することにしました。時間は薄暗くなって、人目につかなくなる5時過ぎ頃です。
 集落の中を、昼日中、犬も連れずにぶらぶら歩いていると、必ず2・3日のうちに、近所中に「Y子さ(義母のこと)の嫁ごがあんなとこをのんきに歩いとった、何しとったやろ」と伝わります。

 ある洞へ入っていったら、見慣れない軽トラックが3台と、大きなバンが1台停まっていました。「ごみを捨てに来たんやろか」 最近、近くの山の中に、いろいろなごみが捨ててあるという話を聞いていました。「そうやったら、ナンバーを覚えておかなあかんなあ」と思っていると、山の中から無線か何かで大声でしゃべっている声がして来ました。「猟に来たんや、そんならイノシシを撃って貰えるで、助かるなあ」そう考えてトラックを見ると、確かに、1台のトラックに犬を入れる檻らしきものがあります。次の瞬間「あっ」と思って、来た道を走り出しました。「犬に追われたら大変、イノシシに間違われたら大変」 今にも散弾銃が飛んできて、犬が追っかけてくる気がして、走りました。思いっきり走って、しかも、履いているのは、軽いスニーカーではなく、重い長靴です。この日は相当カロリーを消化した気がしました。

 その次は別の洞へ入っていきました。棚田になっている3枚の田んぼが途切れたところに、山手のほうに上がる石段がありました、コンクリート製の石段なので、そんなに古くないもの、こんなところに何があるんだろうと思い、登っていきました。お墓があり、その脇には小さな、像が彫ってある石が祀ってありました。お墓には枯れていない花が立ててあります。墓石の側面には、薄暗がりの中、豊臣秀吉の家来の村井○○という文字が読めます。
 先日は、Aさんが、小学校の5年生の質問に答えて、いろいろな伊深の民話、歴史などをお話され、その話が貴重なので、一緒についていって、録音、記録させてもらいましたが、そのときにもこんな村井某の家来の話がありませんでしたし、以前読んだ伊深の歴史を調べて書いたものにもありませんでした。このことを誰かに聞いてみよう、また1つ新しいことがわかると思って、楽しみに帰りました。

 別の日には、また違う洞を進んでいきました。そこも2枚の田んぼの先は、ぼうぼうの草薮です。道は歩きやすくなっているので、誰かが山へしょっちゅう行っているようには思えました。薄暗がりの中をドンドン歩いて行きます。草藪がだんだん木の藪になって行きます。洞は棚田のように、段々になっている様子がわかります。でも大きな木や小さな木が生えていて、すっかり山状態。それは洞の奥まで、もう先は下り坂という、てっぺんらしきところまで続いていました。確かにそこまで田んぼが作られていたようです。誰の田んぼだろう、いつ頃切り開いて、いつ頃作らなくなったのか。

 私がこの洞の前を通って、山奥の田んぼに田植えや稲刈りに行く頃には、この洞は、確か2枚くらいの田んぼしか作っていなかったと思います。とすると30年以上前から、もう田んぼではなかったのか。
 伊深は、佐藤駿河守と言う旗本の領地でした。江戸時代、「天和の伊深一揆」というものがあったと古文書に記されているそうです。以前映画化もされた「郡上一揆」と、規模は小さいものの、ほぼ同じような一揆があって、処分された百姓もあったそうです。もしかしたら、そのころには、隠し田だったかもしれないなどと思いながら歩いていましたが、考えながら歩くということは、考えることに気をとられ、しっかり歩かないので、あまり、カロリー消耗の運動にはならない気がしましたが、暮らしているところの歴史、今の私の暮らしがどういう過程を経て築かれてきたのかを知ることは、運動以上に大切なことだと思い直して歩きました。
 友人の家を訪ねるために歩いていると、田んぼへ水を引き込む用水路の取水口も見当たりました。このように、歩くことで、先祖の様々な手の跡にも気づきます。人の目や口を気にせずに、やはり、物が見えるときに歩かなければと思いました。

『ひぐらし記』No.19 2008.2.2 福田美津枝・発行 より転載
PR

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
e-mail:
Copyright ©  -- 農・人・くらし --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ