農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
原野に戻る田んぼ
山奥の田んぼを耕作している頃は、まだ義父も元気で、稲刈りや脱穀の頃には小さかった子供たちと一緒に、義父の運転するテイラーの後に付けてあった荷車に乗って、この田んぼまでを行き来していました。ゆっくり走るテイラーの荷台から、他の家の仕事の様子や、周りの山の木々、アケビの実や野菊の咲く様子などを眺めながら、ゴトゴトとオオバコなどが生えている道を行くのは楽しいものでした。
ところがびっくり。この日、山の果樹園へ向かう道には雑草がみっしり生えて、車の轍すら見られません。左側の山の木の枝や、丈高い雑草は道へ張り出し、右側は生い茂っている草で畦か田んぼかわからないくらい。すでに雑木の生えている田んぼもあります。軽トラックはまるで原野の中を走っていくのです。
休日のたびに山の果樹園へ手入れや収穫に行き、その先の山でしいたけを採り、耕作放棄の田んぼやその畦の草刈に来ている家人は、その日も、行く先を阻むように生い茂っている他所の家の田んぼの畦の藪を刈り払いに行ったのでした。
この洞の田んぼを作っていた家々は、わが家も含めてすべて、ここを休耕田にしてしまいました。両側に山が迫り、その山の手入れをしなくなって、生えている木がどんどん大きくなり、田んぼがますます日陰になってきました。その上イノシシの出現です。それに加えて転作面積が増えたため、いっせいに条件の悪いこの洞の田んぼを作らなくなりました。それでも、畦草を刈り、田んぼを起こすなど、手入れはされていました。しかし、手入れをしていた人たちが亡くなったり年をとったりして、どのうちも年々手入れが行き届かなくなり、すこしずつ原野になっていきました。わが家の田んぼ近くの、いつも軽トラックを停める場所はSさんの山があって、そこは下草が刈ってあり、その奥の田んぼに通じる道も草が刈られていました。原野の中のオアシスのようでした。
家人曰く「Sさんがやれんようになれば荒れるやろう、息子はそこまでやらんからなあ、あそこの、道のうえに山の木がせり出してきとるところがあるやろ?あの枝を伐って欲しいと持ち主のTさんに頼みに行ったら、わしはやれんで息子にそう言っとくと言っとったけど、息子はぜんぜんやってくれへん。無理もないけどなあ」。
確かにSさん、Tさんの世代は小さい時から持ち山の仕事を親についてみようみまねでやってきたからできたし、草も刈らず、枝も払わずにいて、人に迷惑をかけるようなことはしてはいけないと言う心持が大いにあったのだろう(このことはいつも義父母から言い聞かされてきた)と思いますが、その次の世代はすでに山仕事の経験はなく、今の自分の暮らしに追われている時期で、百姓仕事は田んぼ作りが精一杯、その田んぼ作りもしなくなった人もいます。村の決まりも言い習わしも途絶えてしまっています。
われに返って見渡せば、わが家の田んぼも畦も草ぼうぼうです。亡くなった義父が「田んぼだけは荒らすな」と言っていたことを、家人は今のところ守って田んぼの中も畔も定期的に草刈をしていますが、この夏の暑さは草刈どころではなく、サボっていたためです。何よりもまず、わが家から原野解消をしなければならないのでした。
『ひぐらし記』No.17 2007.9.30 福田美津枝・発行 より転載
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