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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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こじきねぶか

nobiru.jpg 木々の芽ぶきが盛んなころ、野山を何人かで歩いていた時のことです。誰かが野蒜を見つけて掘り採ったことから会話が始まりました。
「この前テレビで見たけど、皇后さまが御所を散歩しとって、野蒜を見つけんさった。天皇陛下に見せんさって、『この野蒜は酢味噌和えがおいしいですよ』と言いんさった。ここら辺じゃ『乞食ねぶか』っていうんやけど、そんなもんが皇居にも生えとるんやなあ」
「そうらしいなあ。乞食ねぶかもえらい出世したもんや」
「皇后さまはいつこんなもんを食べんさったやろ」
「戦争中は疎開しとんさったで、そんな時に食べんさったやろうか」
「よう今まで覚えとんさったなあ」「ほんとやほんとや」
「酢味噌和えもええけど、乞食ねぶかは卵とじが一番やなあ」
「そやなも、わっちも卵とじは好きやわ、あれはええなも」
と会話が続いていきました。
 私の住む地域では「野蒜」のことを「乞食ねぶか」というのです。畑ではなく、あちこちに雑草のように生えるからなのか、それを乞食でも採って食べられたからなのか、ひょろっとした姿が乞食を連想させたのか、義母に聞いてもその訳はわかりませんでしたが、ある時、知り合いの家で野蒜の根元の球の部分だけをさっとしょうゆで煮たのがおいしかったので、早速家の周りで採ってきて煮てみたら、「なんや乞食ねぶかか、そんなもん、うまいことないで」と鼻先でけなされてしまったので、乞食=まずいものという意味もあるのかと思っていました。

 皇后さまが野蒜の酢味噌和えを疎開時代に食べられたとしても、一般庶民はなおさら、その頃やそれ以前の時代には、野草ならずとも野菜でも味噌和えにするか、地だまり(自家製たまり)でさっと煮ることくらいしかしなかったのではないでしょうか。以前、八十代くらいの方から、「昔は何でもみそ煮やった、たまりはなんぞごとの時にご飯を炊くくらいしか使えんかった」ということを聞きました。酢味噌和えは、酢も砂糖も購わなければならないので、この時代にはきっとご馳走だったのです。
 さきほどの会話の主たちは、七十代前後、皇后さまと同じ年頃です。疎開=戦中の頃はまだ子供でした。きっと乞食ねぶかの卵とじを作って食べたのは、嫁入りして主婦として落ち着いた三十代から四十代頃か。そのころならば卵もふんだんに使えるような時代になって、ただしょうゆで煮ただけの乞食ねぶかに、さっと溶き卵を回しいれて半熟に煮る卵とじはおいしい料理だったのでしょう。

 山歩きの翌日の日本農業新聞に、「野蒜の唐揚げ」を見つけました。ナチュラリストの方の「育てて食べるおいしい野草」という文の中に、「野蒜の根っこの球をさっと唐揚げして塩をぱらっとふる」とありました。時が現代まで進んでくれば、今度は油を使う揚げ物料理となりました。そういえば、この頃のアウトドアブームや山菜ブームなどで、山菜の食べ方を紹介してあるのは、大体が「天ぷら」で食べるというものです。しかし、山間地域のお年寄りに聞くと、もみじがさも、こしあぶらも、こごみも、タラの芽も、茹でておひたしにするとか、さっと煮つけるとかとおっしゃいます。昔からそういう食べ方をしてきて、それが一番おいしいということでしょう。

 「野蒜」1つをとってみても、こんなに食べ方が移り変わってきました。その時代の暮らし方、経済事情、食のあり方で、食べ方が変わっていきます。食べること・食べ物・食べ方は一つところにとどまらず、時代に合わせて変わっていくことが見てとれました。

 郷土食というものは、ある一定のもの、一定の作り方、一定の素材というものではなく、その時代の世の中の状態、家族の好み、調理の技術など、さまざまな要素によって変化していくものだということを考えました。

福田美津枝, 2009年4月23日 のふうそう
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