忍者ブログ

農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「気違い農政周游紀行⑧」 わしの手からダシがとれる

 できれば苦労はしたくないと思うのが人の常である。しかし、苦労しなければ何も身につかないということもまた真実である。老いた農婦の、日に焼け節くれだった皺だらけの手に、私たちは何を見るのか。
 『変貌する農村と婦人』(監修丸岡秀子、家の光協会、1986年)の序に、ある古老の女性の話が出てくる。
 北海道で、明治期に親に連れられて入植し、現在、酪農の安定した生活を持つようになった九十二歳の老母の話を、このごろ聞く機会があった。熊と鮭と鰊と、そして極寒未開の凍土と、明治初期の北海道は、徒刑と流刑囚の蝦夷が島だった。その中で、生活を築き上げたのが、彼女の歴史だった。
 ところが、彼女は、「苦労なんか、何ひとつなかったよ」と、したたかな面魂で、訪ねてきた女性に答えたという。お話し合いした家の前には、大雪山の雪渓が、冷えびえと連なっていたが、ふと、彼女の手を見たとき、その手は、ズワイガニを思わせる凄さだったともいう。これは、北海道の婦人史に取り組んでいる女性の報告である。
 これを書いた丸岡秀子は、「ズワイガニを思わせる凄さだった」と女性史家の感想を記して、手についてそれ以上の論評は控えている。続けて、「ここにも、わが農村婦人の生活史を築く、活力の象徴がある。」とだけ書き添えている。
 この序を読んで、「苦労なんか、何ひとつなかった」と語る北海道の女性の言葉に偽りはないと思った。ズワイガニのような手が彼女の積み重ねた苦労の跡であるのなら、苦労なんかなかったと語る「したたかな面魂」は、人間として彼女の魂が到達した計り知れない深淵をあらわしている。その暗闇は私たちが容易にうかがい知れぬほど深い。乗り越えてしまった苦労は、もはや苦労ではないのだろう。
yubi.jpg 先だって山口県を訪れたとき、生活改良普及員(今は農業普及指導員という)の西村美和さんにその話をしたら、こんな人を知っていると、ある生活改善実行グループの女性の言葉を教えてくれた。その女性は、年輪を重ねた手を差し出して言ったという。「わしの手からダシがとれる」と。苦労の証だけでなく、何でもできる手、という意味なのだそうだ。その表現には、自分のたどった半生に対する自負が込められている。
 農家の女性の多くは「自分の娘は農家に嫁がせたくない」と言ってはばからない。よく耳にする話だが、私たちは聞き違えてはならない。農家の女性たちが決して自分のことを卑下しているのではないことを。強いて言えば、憤っているのである。家族の暮しを支えるために、自分が重ねてきた苦労に対して、周りの評価があまりに低いことに。
 農家に嫁いだなら身につけて「当たり前」と昔は思われていたことが、決して当たり前でなかったことを肝に銘じたい。苦労を刻んだ手をもつ一介の農婦はみな偉大である。

片倉和人
PR

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
e-mail:
Copyright ©  -- 農・人・くらし --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ