忍者ブログ

農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「気違い農政周游紀行⑥」 先生は協定を結んでいますか

 ワークショップだけにしておけばよかった。知り合いの主催者に頼まれて、うかつにもワークショップの冒頭、20分も貴重な時間を使って「家族経営協定」の意義について自説をえらそうに展開してしまったのがいけなかった。
 私は家族経営協定をテーマにした寸劇を作るワークショップを数年前からやっている。ドラマは対立があると盛り上がるから、普段は隠されがちな家族間の葛藤が表に現れやすいし、また普段の自分とは別の立場の役を演じると、頭で考えていたのとは違う予期せぬ発見があり、相手に対する理解が深まるなど、家族経営協定を考えるのに演劇的な手法がぴったり合っていると思うからである。ときどき協定を推進する行政からワークショップの依頼がくる。群馬県の前橋でワークショップを行ったときのことである。
 2時間という予定の終了時間を過ぎていたが、ふりかえりの時間を設けて、急いで帰らなければならない人から発言を促した。真っ先に一人の年配の男性が立って、「先生ご自身は協定を結んでいますか。なぜ農家だけに勧めるのですか。私は家庭内のプライベートなことにまで行政が口を出すのはおかしいと思う」と発言して、そのまま会場を後にした。楽しそうに寸劇を演じていた方だっただけに、意外な発言だった。どう答えたらいいのか思案している間に、男性がいなくなってしまったので、質問だけが宙に浮いた形になった。その場に残された参加者が代わりにそれぞれ答えていく。「うちは農業後継者がいないので結んでいないが、自分は勧める立場にあり、あらためて協定を推進していこうと思っている。」殊勝な意見が、協定を結んでいない農業委員の男性たちの口から多く聞かれた。
 賛成反対それぞれの本音を引き出した点で、このワークショップは私にとって成功であった。同時に、協定を結んでいない農業委員が感じたであろう後ろめたさを私も感じた。協定を推進するために妻との間で協定を結んでいる研究者がいることを知ってはいるが、私自身は誰とも協定を結んでいない。ただ、協定の調査をしたことによって、自分が得たものがとても大きかったと自覚している。
family.jpg ある農家での調査中につい口にしてしまった自らの失言によって、私は男たちの多数派の一人として自分がいかに生活を軽視してきたかを身にしみて感じることができた。遅まきながらでも、そのことに気づく機会をもてたことに感謝しているので、家族経営協定には人一倍、恩を感じている。
 家族経営協定の効果は何か、とよく問われる。協定は一つの道具だから、効果の有無は使う人の使い方次第だ、と突き放した答え方もできる。でも、功績は何かと問われたら、はっきりいえることが一つある。それは、上記の男性のように「家族の問題に農政は口を挟むな」という反発を引き起こしたことである。なんらかの震かんに触れたからこそ、こうした反応があるのであり、問題の核心を突いていることだけは確かである。
 農政の意図は、家族農業経営の問題点を改善していくことにあり、その中で働く後継者や女性たちの働きがちゃんと評価されることをめざしている。しかし、家庭内に根深い問題を抱えている農家は、農政が意図するような家族経営協定を結べない。協定を結んでいるのは逆に、他の模範となるような、問題の少ない農家である。皮肉な見方かもしれないが、問題の有無を見極める一つの試金石として、今の協定は機能している。
 結べる農家と結べない農家の違いは何か。協定の締結は相手があることだから、協定を必要とする人がどんなに切実に欲しても結べるとは限らない。世の常として、弱い立場の人が自分から言い出すのは勇気がいる。実際は、経営主が妻の苦労をねぎらって、あるいは早く後継者が一人前になるのを願って、または、経営主の妻が、かつて自分が味わった苦労を嫁にさせないために、そういう「いたわり」が締結の原動力となっている。つまり、協定によってあぶりだされるのは、農家の中に、弱い立場の家族への配慮があるかないか、ということである。

片倉和人
PR

農と人とくらし研究センター

Research Institute for
Rural Community and Life
e-mail:
Copyright ©  -- 農・人・くらし --  All Rights Reserved

Design by CriCri / Photo by momo111 / Powered by [PR]

 / 忍者ブログ