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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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「気違い農政周游紀行⑤」 国内生産だけの食卓

 半世紀を生きてきたが、幸いなことに飢えた経験は一度もない。中国製冷凍ギョウザ中毒事件をきっかけに、私の周囲の人たちは一様に、国産食品への志向を強めている。減少しつづけてきた食料自給率の数字がにわかに気になりだしたようだ。しかし、漠然とした飢えへの恐怖はあるものの、まだもう一つピンとこない点があった。食料自給率39%といわれても、実際に食料輸入が全くできなくなった場合の、日本の食卓がどんなものか、想像できなかったのである。親切なことに、農林水産省のHPには「国内生産のみの食事のメニュー例」が、一目でわかるように掲げられている。
 ご覧になって、その質素ぶりに落胆された方も多くいるかもしれない。が、私は至極安堵を覚えた。なあんだ、と思った。意外なことに、魚の切り身まで付いていて、うれしくなった。私はもっと質素な三度三度の食事で暮らした経験がある。
katsudon.jpg 朝は一椀の粥に沢庵と胡麻塩だけ。昼は麦飯と沢庵と味噌汁。晩は麦飯と味噌汁に精進料理一皿がついた。これが10日間続いた。まだ19歳の若者の身での経験だった。大便は山羊の糞のように黒くコロコロしていた。食べ物の栄養をすべて吸収すると、排泄物がどうなるか、とてもよくわかった。あれ以来、あのような便をしたことがない。少し激しい労働をすると、かすかにめまいがした。
 30年以上前の話で恐縮だが、刑務所の食事だってもっとずっと贅沢だったにちがいない。私が思い出しているのは、福井県にある永平寺に参禅したときの食事である。食事も修行の一つであり、何百年も続けられてきたものだというから、きっと今でも同じメニューだと思う。
 19歳の私は、10日間の参禅を終えて山門を出るや否や、目の前の店に飛び込んでカツ丼を注文し、それが出てくるのを待てずに、店頭でハムを買ってかぶりついていた。その姿は餓鬼のようだったのでは、と今になって想う。身体が求める食欲にただただ素直に反応していた。食欲にただ屈するのではなく、やせ我慢と言われようが、もう少し悠然とかまえることだってできたはずである。要するに10日間ではまだまだ修行が足りなかった。

片倉和人
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農と人とくらし研究センター

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