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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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春(3~5月)

haru.jpg 山の春は3月からである。3月の陽射しは、まだ寒暖の差の激しい中でも春が来たという強さを感じる。枯れた雑木林の中に[満作]が黄色なつつましやかに春の訪れを告げる。そして、こぶしの白い花が天を突くように咲き、夕暮れには打ち上げ花火のように見える。そして、鶯が声を上げ始める。当初は、下手な泣き声であるが、日に日に上手になり夏の真中まで心地よい鳴き声を聞かせてくれる。こうした山々の春を告げる姿に、人々は百姓の野良仕事の心を掻き立てられるのである。
 山の春は日に日にその景観を変える。暗かった冬の山が、[満作]、[コブシ]の花を見ると間もなく雑木林の梢が盛り上がったように見えてくる。赤茶けたような杉林が濃い緑に変わってくる。山桜が咲く。この桜は何種類かあって花の期間が1ヶ月ぐらい続く。そして、山全体が淡い緑、黄、赤と織り交ぜて盛り上がる。
 山の春は、山菜がある。蕗の薹、よもぎ、芹、ぜんまい、蕨、蕗、独活、シオデと一通り採取のために山歩きしないと気がすまない。然し、1997年ごろからツキノワグマが出没するという話が出て山に入るのを遠慮するようになった。
 百姓の春は、野良仕事から始まる。屋敷地とはいえ荒地になっていた処に家を建てたのであるから、当初は周辺の整備からが野良仕事である。冬の間は屋敷周りの篠の刈り取りであったが、春は開墾から始めた。笹が一面に生え、笹根が這い巡っている所を備中鍬(ミツグワ)、唐鍬で起こして畑にして馬鈴薯を植えた。あわくらの百姓の第一歩であった。
 こうして、荒地を開墾して畑にして春野菜の種を蒔き、夏野菜の苗を植えるのが春の野良である。流石に、開墾を人力だけで行うには限界があり、管理機を入れ機械で開墾ということになった。
 百姓の春の大仕事は稲作の準備がある。3月の苗つくりから始まる、苗箱の土入れ、種籾塩水選、消毒・浸水催芽、播種、発芽処置、育苗管理が4月、5月と続き、5月中旬の田植まで春の仕事である。
 春の旬に筍がある。このむらの日当たりの良い場所に家の孟宗竹の林がある。4月始めには筍が掘れる。朝早く竹やぶに入って筍を掘るのは楽しみである。当初は2、3本やっとの思いで掘るが、盛期には30本くらい採れる。
 この筍も何時の頃か、猪が入って掘って食い荒らすようになった。彼らは嗅覚が張っていて地中深いところの筍を掘って食べる。3月の中ごろから出没し、初物は人様の口に入らないようになった。
 この春という季節に、我が家に思いがけない大きな事柄が生じた。妻久枝の癌の手術であった。1994年正月に、体調を崩し村の診療所で検査の結果、大腸癌、しかも初期の段階を過ぎ進行性と診断された。埼玉県立がんセンターに入院、4月の手術と入院・手術・退院・帰宅と4ヶ月の闘病があった。
 以来、春・秋の定期健診を1997年まで、以後2001年まで7年間、毎春の定期健診を続け完治することができた。癌との遭遇は、わが身に起こることとは考えても見ないことであった。幸いにして、癌を克服することができ、妻久枝は、様々な農作物を「私、加工する人」に徹した暮らしを続けることができた。
 春は、食べ物の加工(農産加工)の始まりでもある。製茶:屋敷地にある茶の木から新芽が4~5葉に伸びたものを摘んで厚鍋で蒸し炒りして丹念に揉む。こうして自家製のお茶ができる。加羅蕗:山菜として蕗を採るが、量が少なく、畑に植えるようになった。5月、6月が盛期である。10㎏から20㎏もの蕗を加羅蕗にする。年末の贈答品として貴重な製品である。これらは妻久枝の大切な田舎ぐらしである。

小松展之『あわくら通信』第34号(2008.5.21発行)より転載
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