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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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山のむらでの稲つくり14年 (3)

 レンゲ稲作は、レンゲの鋤き込み(空鋤)期間と田植後のガス抜きがポイントである。レンゲを導入して3回の稲作を経過した時点で、レンゲ稲作を総括のうえレンゲ稲作技術設定を行なった。

1. 田植 5月15日

2. 栽植密度 30×15㎝ 22株/㎡(72株/3.3㎡)
3. ガス抜き 5月22日
4. 除草 5月25日 除草剤施用 水を掛け流しして田面が出ない。
5. 有効分げつ 第4号~第7号分げつ 出葉期:第7葉~第10葉出葉
 6月2日から6月20日

6. 中干し期 主稈出葉9.1葉~11.5葉 11.5葉期=葉齢指数92まで
 6月20日から7月10日まで

7. 幼穂形成期 第1次枝梗分化期=第11葉出葉期 6月27日
8.出穂 8月1日
9. 収穫 9月20日

 レンゲの播種量、生産量に不確実な要素はあったが、レンゲ稲作の収穫量は基本的に安定したものと見られた。稲の収穫量を不安定にする要素は、天候と病害虫被害と猪被害であった。
 病虫害はイネミズゾー虫、モンガレ病、葉イモチ病、穂首イモチ病、穂イモチ病で毎年何らかの被害はあったが、不良天候の年は20%~40%程度の収量減になっている。
 何よりも被害が大きいのは猪被害である。稲への被害は1991年、「今年は、山が猪にとって住みづらかったのか、早くからタンボで暴れてくれました。おかげで、我が家も万里の長城ならぬトタンの長城と鳴子ならぬネコカンナルコを築く羽目になりました。」とやや牧歌的に書いていますが、年々、田んぼでの猪の運動会は激しくなり、奥田の山側(カヤンドウ側)だけでなく全面にトタン、魚網を張り巡らし、やがてはトタンを2層に張るまでになった。
 奥田上、奥田下は、猪の被害が大きく、2003年稲作から全面休耕田にした。
 出穂期は8月1日前後である。稲が穂を出してから刈り取りをするまでは、一日千秋の思いである。
 出穂後25日という思いはあるが、意外と天候不順の年が多い。例えば、1993年の出穂の7月30日から8月25日までの間に、雨天日16日、曇天日7日、晴天日4日という記録がある。9月には台風がある、なるべく刈り取り時期を遅らせて登熟を高めたいと思うが、台風を心配して若干の早刈りになる。我が家の稲刈り予定日の9月中旬は、例年台風に遭遇する度合の多い時期であった。
 そうした、稲つくり14年の成果を収量で見てみると、10a当り収量が、
 200~300㎏の年が、4年 (1994、98、99、2002)
 300~400㎏の年が、6年 (1990、91、92、93、2000、03)
 400~500㎏の年が、4年 (1995、96、97、2001) であった。
 この収量を見ると、年を経るごとに収量が増えているわけではなく、天候、病虫害そして後半は猪被害が減収要因となっている。
 立地が比較的安定している前田だけでみると、
 300~400㎏の年が、6年 (1990、91、93、98、99、2003)
 400~500㎏の年が、7年 (1992、94、95、96、2000、01、02)
 500~550㎏の年が、1年 (1997) であった。
 前田は、全体の収量に比べて1ランク多い。これは明らかに立地(日照時数、病害、猪)による差である。それでも、年次間の最高、最低の収量差は、220㎏、225㎏もあり差の大きいのは意外である。
 両者の下位ランクに共通する年は、1998年、1999年の2ヵ年だけで、山村での水田立地の影響が大きいことを窺わせる。
 こうして、「知識としての稲作技術」は持ったとはいえ、手探りではじめた稲作も1年1作のなかで試行錯誤を繰り返して、「経験としての稲作技術」に変えることができた。そして、農薬を使わない、化学肥料を施用しないレンゲ稲作に到達して1段階を超えたという思いがあった。

小松展之
『あわくら通信』第35号(2009.10.10発行)より転載
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